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「夫婦愛」というより「人類愛」を感じた表題作。不思議な味わいがある短編集。
『聖ヨハネ病院にて (新潮文庫)』 上林 暁 (かんばやし・あかつき)
上林暁(1902‐1980/享年77)の短編集で、表題作「聖ヨハネ病院にて」の他、「薔薇盗人」「天草土産」「野」「二閑人交游圖」「小便小儈」「明月記」を収録。
1946(昭和21)年作の「聖ヨハネ病院にて」は、重度の精神病を患い入院している妻を泊まり込みで看病する夫の話で、実際に作者の妻の繁子は1939年に発病して、何度か転院した後1946年5月に38歳で亡くなっています(「聖ヨハネ会桜町病院」は、亡くなる前年の9月から11月初めまで在院した)。
この作品を読む限り、妻が入院するまで、主人公の「僕」はそれほど妻のことをいつも気にかけていたようには思えず、また、妻が入院してからは、眼も不自由で、自分の始末も侭ならず、汚物で衣服を汚す妻に辟易している様子さえ窺え、何でもかんでも口に入れてしまう(「僕」の弁当まで食べてしまう)妻と口論になったりしています。
一方で、そうした妻のことを小説のネタにしている自分を嘲っているような面も窺え、妻が亡くなったら書くことがなくなってしまうことを心配し、また、そうした打算的な心配をしている自分の姿勢を自己批判していたりしています。
そうした気が滅入るような精神的下方スパイルの中で、「僕」はある日、病院で行われるミサに出席し、そこに集う精神病者らの中で疎外感のようなものを感じながらも、「自分はいかなる基督教徒よりも基督教徒的でありたい」という思いに包まれ、そのためには、もっと妻にやさしくしてあげようと思う―。
「神」に依らない信仰とでも言うか、眼も見えず、自分の始末もできない妻を「神」と看做し、それに尽くすことに自らの魂の救済を見出しているということになるのでしょうか。
「神々しいまでの夫婦愛」を描いた作品とされるものですが、個人的には、「夫婦愛」というより「隣人愛」「人類愛」に近いものを感じました。
上林暁は、戦前から戦後にかけて活動した作家であり、また、志賀直哉などの系譜を引く私小説家で、同時代同系統の作家では尾崎一雄(1899‐1983)、永井龍男(1904‐1990)などがいますが、『暗夜行路』を著した志賀直哉などと異なり、長編は1作も書いておらず、創作集は全て短編集、それも、その大部分は自身や家族、友人に関することがその作品のモチーフになっていて、かなり典型的な私小説家であると言えます。
『日本文学全集〈31〉尾崎一雄,上林暁,永井竜男―カラー版 河出書房(1969年)』
「聖ヨハネ病院にて」は主人公の感情の浮き沈みがかなり赤裸々に吐露されていますが、他の作品はどちらかと言うと日常を淡々と描いた地味な作品が多く、読者受けよりも自分の文学的姿勢を大切にしている感じがします。
そうした中、病いの妹のために学校の花壇から薔薇の花を盗んだ少年の話「薔薇盗人」('32年)などは寓話的なリリシズムが感じられ(この作品で川端康成の推奨を得た)、また、三島由紀夫が絶賛したという「野」('40年)には、不確定な自分の内面を見据えようとする真摯な姿勢が感じられますが、将棋などを通しての作家仲間との交遊を描いた「二閑人交游圖」('41年)には、自らを対象化した淡々とした描写の中に、明るいユーモアも感じられ、これはこれで個人的には好きな作品。
「私小説」に対して、何となくせせこましくて面白くないものが多いというイメージがある中で、この人の作品は不思議な味わいがあり、この作品集は新潮文庫の復刻版として'93年に復刊されたものの1つでもありますが、敢えて旧字旧仮名のままであることも、味わいを深めているように思いました(「彌撒」の読み方がすぐに思い浮かばなかったが)。
《読書MEMO》
●「薔薇盗人」...1932(昭和7)年8月発表★★★★
● 「野」...1940(昭和15)年1月発表★★★☆
● 「二閑人交游圖」...1941(昭和16)年1月発表★★★★
● 「明月記」...1942(昭和17)年11月発表★★★☆
● 「聖ヨハネ病院にて」...1946(昭和21)年5月発表★★★★