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『時任謙作』から『暗夜行路』に至る経緯はわかったが、作品単体としては今ひとつ。
『和解 (新潮文庫)』 新潮文庫旧版
志賀直哉『和解-代表的名作選集33』(1919(大正8)年初版/新潮社)
1917(大正6)年10月、志賀直哉(1883‐1971)が34歳の時に発表した中篇で、父と不和になっていた主人公の「順吉」が、次女の誕生を機に、次第に父と和解していく様が描かれていますが、志賀直哉はこの年の8月に、それまで確執のあった父親と和解しており、この作品は志賀直哉自身のことをほぼそのままに書いた私小説と見ていいのではないかと思います。父との確執から尾道に籠もり、父との葛藤をテーマに『時任謙作』という長編を仕上げようとして成らず、その後、本作にある実生活での父との「和解」を経て問題を"対象化"することが出来、それが『暗夜行路』に繋がったという時間的経緯を再確認しました。
以前に『暗夜行路』を読んだ際に、かなり丸々"私小説"として読んでしまったような気がします。但し、実はどのような経緯で父と対立するようになったのかといったことは、この『和解』の中にも書かれておらず、作者の個人史を知らないとよくわからない部分があるというのは、作品単体で見た場合どうなのかなという気もしなくもありませんでした。
同じ年に発表された「城の崎にて」は、実生活上での「和解」の前(同年5月)に書かれたもので、まだ葛藤が続いているその心象が小動物に投影されていたということになります(この作品も、そんな説明的なことは何も書いてない)。
『暗夜行路』には主人公の生誕の秘密を巡る父親との確執がありますが、実際には、思想的な対立(志賀直哉は社会主義思想に共感していた部分があったが、父親は典型的な資本家だった)が両者の確執の契機として最初あったわけで、この『和解』にある、長女を喪い新たに次女を授かるという経験を経て、「思想」的確執から「生誕」を巡る確執にモチーフを置き換え、よりフィクション化することで、作家自身にとって描き易くなった(?)ということかも知れません。
この『和解』は、そうした作家が一皮むけるに至った経緯を知る上では重要な作品であるし、面白いと思います。但し、単体の小説としては個人的はそれほどいいと思えず、文体は既に完成されているのだけれど、何か見せ隠ししながら書いている感じもあって、何となくすらすら読めなかったような気がします。
『和解・城の崎にて』 旺文社文庫
【1949年文庫化・1991年改版[新潮文庫]/1954年再文庫化[岩波文庫(『和解・ある男、その姉の死』)]/1960年再文庫化[岩波文庫(『大津順吉・和解・ある男、その姉の死』)]/1960年再文庫化[旺文社文庫(『和解・城の崎にて』)]/1997年再文庫化[角川文庫]】