【1067】 △ 川上 未映子 『乳と卵 (2008/02 文藝春秋) ★★★

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文体は才気煥発だが、話の展開は巻子の狂気に焦点を絞った方がよかったかも。

乳と卵.jpg 『乳と卵』 (2008/02 文藝春秋) 川上未映子.jpg 川上未映子 氏

 2007(平成19)年下半期・第138回「芥川賞」受賞作。

 東京の下町・三ノ輪の「わたし」のアパートに、姉の巻子が東京で豊胸手術を受けるために、3日間の滞在予定で大阪から娘の緑子を連れて上京してくるが、豊胸手術に賭ける姉の意気込みには並々ならぬものがあり、一方、そんな母に反発して、中学生の緑子は誰とも口をきかず筆談で話をする―。

 結構、期待して読みましたが、文体に限って言えば、まさに才気煥発といったところ。
 改行を少なくし、句点も極力用いず、読点のみで延々と繋ぐ文体は、関西弁だからこそ効果的に成立するのか、野坂昭如、町田康を思わせるものがありますが、そうした系譜であるという決めつけ(?)の枠に捉われないオリジナリティを確立しているように思えました。

 但し、話の展開は、何だか纏まりがないような...。
 「わたし」が2人の親子関係や女性の身体について考えを巡らし(女性は女性で女性の身体を厳しい目でチェックしているのだということがわかり興味深かったが)、緑子は、自らの初潮に慄き、卵子に思いを馳せる―(タイトルを「チチとラン」と読むことに、ここで気づいた)。

 読み進むうちに、言葉を発さない緑子の方が結構まともで、姉の巻子の方が、身体だけでなく人格そのものが崩れているように思えてきて、だったら、芥川選考委員の選考委員の小川洋子氏が言うように、巻子の狂気に焦点を絞った方がよかったかも。

 母と娘の卵(タマゴ)のぶつけ合いは壮絶な"愁嘆場"で、やや芝居がかっている感じがし、女性性(ラン)の暗喩としてわかり易すぎる感じもしました。
 だから逆に、石原慎太郎氏のような、「乳房のメタファとしての意味が伝わってこない」という意見も出てくるのではないでしょうか。

 石原氏は、川上弘美氏の芥川賞受賞作『蛇を踏む』の時も、「蛇がいったい何のメタファなのかさっぱりわからない」「こんな代物が歴史ある文学賞を受けてしまうというところに、今日の日本文学の衰弱が窺える」と言っていましたが、たまにこの人の言うことに共感することもあります(「蛇」については自分も同意見)。
 でも、その言われた川上弘美氏も今や芥川賞選考委員になっているわけで、実力があるから賞を獲るのか、賞が実力作家を作るのか―。
 因みに、川上弘美氏はこの作品を「緑子のその後に興味がひかれる」ということで、まあまあ評価していたようです。

 【2010年文庫化[文春文庫]】

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