【1025】 ◎ アーネスト・ヘミングウェイ (高見 浩:訳) 『日はまた昇る (2000/11 角川春樹事務所) 《(大久保康雄:訳) 『日はまた昇る (1955/02 新潮文庫)》 ★★★★☆

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作品としては傑作。ゴシップ的に読むとヘミングウェイは嫌なヤツ(?)。

日はまた昇る.jpg  日はまた昇る (新潮文庫).bmp  日はまた昇る 講談社英語文庫.jpg 日はまた昇る (集英社文庫).jpg 集英社文庫旧版カバー
日はまた昇る』 〔'00年〕/『日はまた昇る (新潮文庫)』〔'03年〕/『日はまた昇る - The Sun also Rises【講談社英語文庫】』 ['07年]/『日はまた昇る (集英社文庫)』〔'78年/'09年改版〕

『日はまた昇る』.JPG 1926年に発表された長編『日はまた昇る』"The Sun Also Rises"は、大久保康雄 日はまた昇る (新潮文庫).jpgパリ時代のへミングウェイの最高傑作と謳われているだけでなく、"ロスト・ジェネレーション"文学の代表作ともされていますが、大久保康雄(1905-1987)訳('55年/新潮社文庫)と比べて高見浩氏の新訳は大変読みやすく(大久保康雄訳も今読んでもそれほど古さは感じられないのだが)、結局、大久保訳と入れ替わりで本書は新潮文庫に加わりました(それ以外に文庫となっているものでは谷口睦男(1918-1988)訳('58年/岩波文庫)、佐伯彰一訳('78年/集英社文庫)などがある)。

新潮文庫(大久保康雄:訳)['55年]
新潮文庫(高見 浩:訳)['00年]
日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)』['12年]
日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫).jpg それでも、戦場で性機能を失った主人公のジェイクと周辺の若手作家や女友達との絡みが描かれている前半部分がややごちゃごちゃしているように感じられるのは、この作品がもともと最初短編として構想されたものに加筆して長編に改編したものであるからでしょうか。
  
 とは言え、多くの芸術家の卵が集った当時のパリの雰囲気をよく伝えているし(ヘンリー・ミラーの『南回帰線』(1934年)を思い出した)、後半、こうした仲間らとスペインへ行き、パンプローナの闘牛やフェイスタ(サン・フェルミン祭)に興じる中、恋の鞘当てを繰り広げる様は、読んでいても面白い!

 祭の闘牛の描写は、作家自身が何かに憑かれたように書いている印象を受け(ヘミングウェイは1922年から5年連続この祭りに通った)、こうした表現トーンの変調はまだ他にもあるものの、やはり傑作でしょう、この作品は。

Ernest Hemingway (far left) in the 1920s.jpg パンプローナのフェイスタの最中、へミングウェイの分身と思しき主人公のジェイクは、ある奔放な女性を巡って若手作家のブレット・アシュリーと争いますが、高見氏の解説によると、これはヘミングウェイが1925年に自分の妻のハドリーや作家仲間ら男女7人でパンプローナのフェイスタに行った時に、ダフ・トゥイズデンというヘミングウェイが魅了された女性を巡って起きた事件が、そのままベースになっているらしいです。

 恋の鞘当ての相手ブレットのモデルは、ダフと関係があったとされる若手作家のハロルド・ローブで、ダフには、パット・ガスリーというフィアンセもいたというから、三角関係ならぬ四角関係とでも言うかややこしい(こうした人たちが一緒になって旅行したわけで、これでは最初から一触即発状態ではないかと思うのだが)。

[写真]フェイスタでの、左から、へミングウェイ、彼の恋のライバルのハロルド・ローブ(後方)、恋の相手ダフ・トゥイズデン、ヘミングウェイの妻ハドリー(中央)、1人おいてダフのフィアンセのパット・ガスリー(右端の呆け顔)[本書より]

 現実は、ヘミングウェイがハロルド・ローブ喰ってかかったのが先だったようですが(ヘミングウェイは後でローブに詫びを入れている)、小説ではブレットが大人気なく激昂したようになっていて、この小説はアメリカで文学の新潮流として高く評価される一方で、作品舞台のご当地ヨーロッパでは、ゴシップ小説的な読まれ方もしたらしいです。

 へミングウェイ自身は小説同様にダフを得ることが出来ないまま、妻ハドリーとも離婚することになり、更にこの小説により、これらの友人を永遠に失うことになりますが、後のインタビューで、「友人を失ったことについてさして痛みを感じない」、「物語を作ることとは、現実をよりあらまほしき形に再構成すること」であり、「物語のモデルとは、セザンヌが風景の一部に人の姿を描くようなものだ」と言っています。

 「登場人物の造形に実在の人物の姿を借りても、そこに息を吹き込んだのは自分自身の創造だ」(友人宛の手紙より)という作家の強い自負を感じる一方で、現象面だけを捉えると、何だか男らしくないというか、後に築かれた「アメリカ人の多くが敬愛する作家」というイメージとは食い違っている気がして、この人、結構、嫉妬深いというか、嫌なヤツと言うか―その点でまたへミングウェイという作家に新たな興味が湧きました。

 【1955年文庫化[新潮文庫 (大久保康雄:訳)]//1958年再文庫化[岩浪文庫 (谷口睦男:訳)]/1978年再文庫化・2009年改装版[集英社文庫 (佐伯彰一:訳)]/2003年再文庫化[新潮文庫 (高見 浩:訳)]/2012年再文庫化[ハヤカワepi文庫(土屋政雄:訳)]】

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