「●日本語」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【943】 加納 喜光 『漢字の常識・非常識』
作家たちの用いた「俗字・宛字」的漢字表現を蒐集。「手書き文化」の産物?
『遊字典―国語への挑戦 スキゾ=パラノ・ハイテク・マニュアル (1984年)』['84年]『遊字典 (角川文庫)』['86年]改題『辞書にない「あて字」の辞典 (講談社プラスアルファ文庫)』 ['95年]
仮名垣魯文以降の作家たちが自ら作中に用いた、一般的には俗字・宛字とされている漢字表現を蒐集し、用法と共に示した「字典」で、なぜこんなものが手元にあるのか自分でもわかりませんが、パラパラめくっていると結構楽しめるのは確か(多分、衝動買いしたのか)。フツーの「○○辞典」と呼ばれるものほど役には立たないし、それほど"使い込んだ"形跡も無いのですが、何となく処分しがたいという点では、「辞典」に通じるものがあります。('84年刊行、'95年 『辞書にない「あて字」の辞典』と改題され「講談社+α文庫」所収)
それにしても、夏目漱石、国木田独歩、島崎藤村、これに限らず多くの文豪たちは、俗字・宛字を実にふんだんに使っているなあと感心させられます。
「くたびれる」を漱石は「疲れる」、独歩は「疲労る」と表し、藤村は「遭遇す」で「でくわす」、「直径」で「さしわたし」と読ませ、確かに、漢字の表意性を生かしているけれども、漱石は「はかりごと」を「謀計」とか「計略」とか作品により書き分けていたりしていて少し節操がない感じもします。
作家にして見れば、このニュアンスの違いが大事なのだろうけれども、漱石は本書のどのページにも登場する常連になっています。
但し、凡例の説明で、作家・作品の重要度に比例して語彙を選択するのではなく、文字(表意)の面白さにのみ着目したとあり、「虚実皮膜」=「パンティ」(南伸坊)などは面白いので取り上げたとし、井上ひさし、筒井康隆など現代作家の用例も集められていています。
帯にも「感じる辞典」とあり、軽い遊びのようなものかと思いきや、実は、その解説の前に「Prefaceのようなメッセージ」と題された前書きがあり、ソシュールの言語理論がどうのこうのとあって、旧来のアカデミズムに対して新たな視座を示すと言うか、随分気合が入っている様子も。
要するに、本書刊行の頃に流行った「ニューアカ・ブーム」に同調するものらしく(「スキゾ=パラノ・ハイテク・マニュアル」というサブタイトルからしても)、確かに、"現代作家"の用例の中に、浅田彰、中沢新一、栗本慎一郎、柄谷行人などのものもあるし、上野千鶴子や山口昌男なども出てきます(このアンバランスが、たまたま"二重に"時代を感じさせ、またアクセントとなって面白いのかも)。
「ニューアカ」云々に関わらず、こういうのは「手書き文化」の産物だという気がし、本書にも事例があるようにCMコピーや商品名では一定のサイクルのもとに興隆するけれど、ワープロ文化、ワープロ原稿全盛となると、一般には衰えていくのではないでしょうか。先のことはわかりませんが、「昔の人は自由にやってたなあ」ということになるような気がします(今、巷で流布しているのは、「誤字」としての宛字だからなあ)。
【1986年文庫化[角川文庫]/1995年再文庫化[講談社+α文庫(改題 『辞書にない「あて字」の辞典』)]】