【992】 △ 古田 隆彦 『日本人はどこまで減るか―人口減少社会のパラダイム・シフト』 (2008/05 幻冬舎新書) ★★★

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少子化の真因は「人口容量」の飽和化にあるというマクロ理論。「未来社会学」本。

日本人はどこまで減るか.jpg 『日本人はどこまで減るか―人口減少社会のパラダイム・シフト (幻冬舎新書 ふ 2-1)』 ['08年]

少子高齢化・人口減少.jpg '04年12月の1億2780万人をもって日本の人口はピークを迎え、'05年から減少に転じているわけですが、著者は「少子・高齢化で人口が減る」「子供が減り、老人が増える」「出生率が上がればベビーの数は増加する」といった、国内人口の減少に対する"通説"に論駁を加えるとともに、人口減少の理由として、生物学において動物の個体数減少の理由として提唱されている「キャリング・キャパシティー」(環境許容量が一杯になれば個体数は抑制される)という考え方を人類に敷衍し、但し、人間の「キャリング・キャパシティー」は動物と異なり人為的な文化的・文明的な容量であるため、そうした要素を勘案した「人口容量」として再定義したうえで、少子化の真因はこの「人口容量」の飽和化にあるとしています。

 著者によれば、人間の歴史において人口容量はそれぞれの経済発展や文明の段階ごと拡大しており、その結果として人類はこれまで5つの「人口波動」(増加と安定・減少のサイクル)を経てきたとしており、このことは日本だけの人口増加の歴史を見ても当て嵌まるとのこと、それぞれ減少・安定から増加に転ずる契機となったものを考察するとともに、現在は第5波の「工業現波」の時期であり、日本は人口容量が満杯になった「濃縮社会」であるとしています。

 総生息容量(P)=自然環境(N)×文明(C)
 人口容量(Ⅴ)=総生息容量(P)÷人間1人当たりの生息水準(L)
 著者の「人口容量」の公式はこのように表され、Pが伸びている時はLが伸びてもVにゆとりがあるが、Pが伸びなくなってLが伸び続けると、Ⅴが落ちるために人口は減少に転じるとのこと、Pが伸びない以上、Ⅴを上げるにはLを下げるしかなく、換言すれば、親世代は自らの生活水準を下げて子どもを増やすしかないが、それをしたくないために、生息水準(L)を維持して、子どもの方を諦める、それが晩婚・非婚という結婚抑制や避妊・中絶という出産抑制に繋がることになるらしいです。

 理屈としては面白いし、「格差社会」では人間1人当たりの生息水準(L)が低下するため人口容量(Ⅴ)は増えず、少なくとも人口容量を維持するためには、人口減少によって生じたゆとりが1人1人に適正配分されることが望ましいといった論は尤もであるという気がする一方、経済学でもそうですが、こうしたマクロレベルの理論は結局のところ全て"仮説"に過ぎないのではという気もして、その"仮説"に過ぎないものに基づいて、"近視眼的な"少子化対策などを批判しているのはどうかなあという気も。

 総生息容量(P)増大に繋がる新たな基盤文明(未来文明)へのブレークスルーとして、「新エネルギーの育成・創造法の確立・拡大」を掲げており、アルビン・トフラーの向こうを張ったような文明論は、著者の専門の1つが「未来社会学」であることと呼応しているわけだと読後に改めて気づいた次第。

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