【991】 △ 池内 了 『疑似科学入門 (2008/04 岩波新書) ★★★

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「複雑系」疑似科学を取り上げたことで面白くなったが、全体的にインパクト不足。

疑似科学入門.gif 『疑似科学入門 (岩波新書 新赤版 1131)』 ['08年]

 冒頭、疑似科学と言われるものを、「第1種疑似科学」(占い系、超能力・超科学系、擬似宗教系など科学的根拠の無い言説)、「第2種疑似科学」(永久機関・ゲーム脳、マイナスイオン・健康食品・活性酸素・波動、各種確率や統計など、科学の装いを取りながら実態の無い言説)、「第3種疑似科学」(環境問題、電磁波被害、狂牛病、遺伝子組換え作物、地震予知、環境ホルモンなどの科学的に証明しづらい「複雑系」)の3つに分類しています。

水の記憶.jpg それぞれについてどういった種類のものがあるのか、「第1種疑似科学」を信じる人間の心理作用や「第2種疑似科学」が世の中にはびこる理由(これ、"健康"と"カネ"が結びついたものが多い)は何かを考察的に整理していますが、まあ、自分に関しては大丈夫かな、という感じで、「水の記憶」なんてバカバカしい"水ビジネス"もあるんだといった野次馬感覚で読み進み、著者の言っているそのワナに嵌まらないための"処方箋"というのも、真っ当過ぎてインパクトが弱いような気がしつつ読んでいました。

 ところが、「第3種疑似科学」=「複雑系」のところに入って、自分の疑似科学に対する"免疫"度に少し自信が持てなくなってきたというのが正直なところ(「複雑系」の全てが「疑似科学」に含まれるわけではないとは思うが)。
 著者自身、「第1種」「第2種」だけで本を纏めるにはあまりにインパクトがないと思いつつも、「第3種」を疑似科学に含めるかどうかについては逡巡したらしく、また、明確な科学違反とは言えない「第3種」への"処方箋"として持ち出した、「不可知論に持ち込むのではなく、危険が予想される場合はそれが顕在化しないような予防的な手を打つべきである。その予想が間違っていても、人類にとってマイナス効果は及ぼさない」という「予防措置原則」の考え方に対してすら、あとがきにおいて、金科玉条的な「予防措置原則」は疑似科学の仲間入りをすることも考えられると、慎重な姿勢を見せています(じゃあ、どうしてそんな曖昧な姿勢のまま本書を書いたのかということについては、批判を覚悟しながらも、これにより議論が拡がれば、ということらしい)。

 疑似科学を振りまく学者もどき(例えば「環境問題は存在しない」という"小言辛兵衛"型の科学者)は困ったものですが、それを批判する側の姿勢(多くが反論のための反論になってしまっている)にも、全否定で臨むのではなく、「部分的には受け入れても全面的に信用しない」姿勢が求められるとしている点が印象に残りました。

 著者の池内了(さとる)氏は、ドイツ文学者でエッセイストの池内紀(おさむ)氏の実弟で、宇宙物理学者でありながら、漱石や寺田寅彦などの再評価も行っている人(本書にも、寺田寅彦の言葉とされる「天災は忘れた頃にやってくる」が引用されている)、本書は社会評論としても読めますが、「複雑系」のところで具体例を挙げている分、この辺は諸説あるテーマが殆どであるために、本書自体がバッシング対象となる可能性もあるように思われます(著者の参照している情報源が限定的であることは確か)。

 著者の科学者としての眼は冷静であるように思え、また個人的には、著者の自省的な考え方に一定の共感を抱いたのですが、「第3種疑似科学」について触れた部分を含めても、本全体としてのインパクトはやや弱かったか。

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