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コミカルな味のあるシュールな世界。結構わかりやすく「人間疎外」を描いている。
安部 公房 (1924-1993/享年68)
『壁 (1951年)』[月曜書房] 『壁 (新潮文庫)』 /旧カバー版
1951(昭和26)年に刊行された『壁』は、「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」「赤い繭」の3部の中篇から成り、「赤い繭」は更に「赤い繭」「魔法のチョーク」など4つの短篇から成るという構成。この中ではやはり、主人公の「ぼく」がある朝目を覚ましたら、自分の名前を喪失していた―という出だしの「S・カルマ氏の犯罪」のインパクトが大きかったです。
「ぼく」は、自分の名刺を探してみるが見つからず、名前も思い出せない。そこで、勤め先の事務所に行くと、自分の「名刺」が自分の代わりに自分の机で仕事している―。重厚な作品という印象があったのですが、読み返してみると意外とコミカルな味のあるシュールな世界で、且つ、結構わかりやすく「現代人の疎外」を描いているように思えました(「役所に行ったら自分そっくりで姓名まで自分と同じ人間が仕事していた」というドストエフスキーの「二重人格」と似ているが、「名刺」が自分の代わりに仕事しているなんてかなりストレートな暗喩ではないか)。
「S・カルマ」という名であるらしい「ぼく」は、病院の待合室で読んだ写真雑誌の中の景色を自分の胸に"吸いとって"しまい、動物園でラクダに奇妙な愛着を抱いて、これも吸い込もうとして私設警察に捕われて、支離滅裂な裁判にかけられる―。カフカの「変身」と「判決」をくっつけたような流れでもありますが、安部公房の方がユーモラスで、むしろカフカよりぶっ飛んでいる感じもします(後の筒井康隆などに近い感じ)。
彼は何によって裁かれようとしているのか(物語の途中から「ぼく」ではなく「彼」になっている)、彼にとって常に目の前にはだかり、自らを同化せしめんとする「壁」とは何なのか(『バカの壁』という本があったが...)、様々な解釈があるでしょうが、人間の現存在の危うさを突きつけられたような不安感を醸す一方で、ワケワカランままであってもとり敢えず楽しく読めるのが、この作品の魅力です。
「S・カルマ氏の犯罪」は'51(昭和26)年第25回芥川賞受賞作で、この時の選考委員は宇野浩二、川端康成、岸田國士、坂口安吾、佐藤春夫、瀧井孝作、丹羽文雄、舟橋聖一の8氏。選考委員の中では川端康成が推挙したそうですが、当時としては極めて斬新な候補作だったろうになあ(但し、川端康成などは彼自身が大正期の幻想文学の流れを汲んでいる面もあったし、さほど意外でもないことかも)。
ゴーゴリの「鼻」などの影響も見られるかと思いますが、逆に選考委員の宇野浩二がそれを挙げて模倣と決めつけ、「壁」を酷評したことは有名です。「壁」を積極的に推したのは川端康成以外では瀧井孝作だけで、岸田國士、佐藤春夫、丹羽文雄、舟橋聖一は消極的支持派。結構ぎりぎりの線での受賞であったとともに、川端康成の発言力の大きさが窺えます(後に『砂の女』を書き、国際的評価を確立することになる安部公房に賞を与え損ねる過ちを犯さずに、芥川賞の権威を保てたという意味では川端康成の功績大か)。
「魔法のチョーク」も単体では好きな作品です。
【1954年文庫化[角川文庫(『壁―S.カルマ氏の犯罪・赤い繭』)]/1969年文庫化[新潮文庫]】