2008年9月 Archives

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「●「ミステリーが読みたい!」(第1位)」の インデックッスへ

サイコメトラーという際どいモチーフを上手く作品に織り込んでいるが、冗長さは否めない。

楽園 上.jpg 楽園〈下〉.jpg 宮部 楽園 文春文庫 上.jpg 宮部 楽園 文春文庫下.jpg 楽園 ドラマ.jpg
楽園 上』『楽園 下』['07年]『楽園 上 (文春文庫)』『楽園 下 (文春文庫)』['10年]連続ドラマW「楽園」(2017・WOWOW)出演:仲間由紀恵,黒木瞳,夏帆,松田美由紀,石坂浩二,小林薫

『楽園 (上・下)』.JPG 2008(平成20)年・第1回「ミステリが読みたい!」(早川書房主催)第1位作品。

「模倣犯」の事件から9年が経ったフリーライター・前畑滋子のもとに、一人息子を交通事故で失った荻谷敏子という中年女性が現れ、12歳で死んだその息子には特殊能力があったのかもしれない、少年は16年前に殺された少女の遺体が最近になって自宅の床下から発見されたという事件の前に、それを絵に描いていたという―。

 『模倣犯』('01年)の続編という形をとっていますが、『理由』('98年)など、現代社会における家族の在り方をテーマにした作品の流れに近いように思いました。

 仏教で、親が子より先に亡くなることを「順縁」と呼び、子が親に先立って亡くなることを「逆縁」と呼びますが、「逆縁」にめぐり逢った人は、何かしら宗教的なもの、超常的なものに惹かれ、時にそれが生きる支えになりことがあるといいます。

 本作では、「サイコメトラー」という、現代推理モノとしては少し"際どい"とも思えるモチーフを、こうした人間の心理・心情に自然に呼応する形で上手く作品の中に織り込んでいるように思います。

 但し、クライマックスに至るまでがあまりに冗長で、第4コーナーを回ったところぐらいからやっと"息もつかせぬ"展開になり、それまで焦らされた分だけカタルシス効果が大きいとも言えるのですが、そのクライマックス部分を手紙形式にしたことが、果たして効果的であったどうかも疑問が残りました。

 文章自体は相変わらず読み易く、「冗長さ」を「きめ細かさ」ととればそれ自体は決して苦になるものではないけれども、新聞連載小説という枠組みの中で作品の「長さ」が予め既定され、それに合わせてやや引き伸ばし気味に書いているような感じがしたなあ、比較的単純なプロットの割には。

 【2010年文庫化[文春文庫(上・下)]】

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「●「吉川英治文学賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

「問題社員」がリアルに描かれていて、グッと引き込まれたが...。
 
『名もなき毒』.JPG名もなき毒 宮部みゆき.jpg 名もなき毒.jpg
名もなき毒 (カッパ・ノベルス)』『名もなき毒』(2006/08 幻冬舎)

 2006(平成18) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2007(平成19)年・第41回「吉川英治文学賞」受賞作。

 私こと杉村三郎は、義父が総帥である今多コンツェルンの広報室で社内報づくりに携わる編集者だが、トラブルメーカーのアルバイト・原田(げんだ)いずみの身上調査のため私立探偵の北見一郎を訪ね、偶然そこにいた、連続無差別毒殺事件で祖父を殺された女子高生・古屋美知香、さらにその母親・暁子と関わりを持つことになる―。

 『誰か』('03年/ 実業之日本社)の続編で著者3年ぶりの現代ミステリ。社会派ミステリの傑作が多い著者にしては『誰か』というのはこじんまりしていて、2時間ドラマみたいだと感じたのですが、本書を読んで、シックハウス症候群や土壌汚染、毒物ネット販売といった社会問題は出てきますが、そうした「名前のつけられた毒」との対比において、人間の心の中に潜む「名もなき毒」を描こうとしていることがより浮き彫りになっていて、一般に言う「社会派」とはちょっと異なると思いました(むしろ、著者が時代物でよく描いていた女性の怨念のようなものを現代物に持ってきたという感じか)。

 前半、問題を起こすアルバイトの原田いずみと、それに振り回される社員たちの様子がリアルに描かれていて、身近に実際にあるような話であり、グッと引き込まれました(著者がそういうものを参照したかどうかは分からないが、労働裁判や個別労使紛争などでの類似した事例とその記録は山ほどあるはず)。

 個人的には、原田いずみは、他人を傷つけずにはおれない、ある種「人格障害」だという印象ですが、こうした、世の中に復讐することが生き甲斐みたいになっているタイプというのは、松本清張の作品などにもよく出てきたのではないかと思い、やはり、この人、清張作品の影響が強い?(但し、原田いずみは、精神面で最初から相当に壊れているが)

 現代物は、素材が身近であれば、かなりハマる確率は高いように思え、個人的には"まあまあ"程度にハマりました。但し、(489ページは、著者の作品にしては長くないのかも知れないが)自分としては中盤はもっと圧縮できるような気もしました。

 所謂"キャラが立っている"とでも言うか、最もよく描かれているキャラクターの(この描き方だけで、この作品は充分評価に値するし、テーマの一環を担っている)原田いずみが、ミステリとしてのメインプロットには乗っかってきておらず、騒ぎを起こしているだけの存在みたいで、それとは別に、"事件"を描き、更には家庭内の問題をも描き...といった感じで、これが冗長感に繋がっているのかも。

 【2009年ノベルズ版[カッパ・ノベルズ]/2011年文庫化[文春文庫]】

《読書MEMO》
名もなき毒 tv.jpg・TBS系列「月曜ミステリーシアター」
 2013年TVドラマ化「名もなき毒」
  小泉孝太郎主演
  第1話~第5話「誰か Somebody」共演:深田恭子
  第6話~第11「名もなき毒」共演:真矢みき

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ

項羽・劉邦よりずっと偉かった田王。歴史上の人物に対して様々な評価ができることを示す。

香乱記〈上巻〉.jpg 香乱記〈中巻〉.jpg 香乱記〈下巻〉.jpg香乱記〈上〉』『香乱記〈中〉』『香乱記〈下〉』['04年]
 秦王朝末期、戦国時代の斉王・田氏の末裔である田儋(でんたん)・田栄・田王の3兄弟は、偶然助けた高名な人相見・許負から「3人とも将来王になる」と予言される―。

 始皇帝の病没から陳勝呉広の乱を経て楚漢戦争(項羽と劉邦の争い)にかけての時代に、斉国の再建に命を賭け、不屈の反骨精神をもって秦にも項羽・劉邦の何れにも与せず義に生きた、斉の田王を主人公とした長編小説。

 前半は田氏3兄弟と主従の堅い結束が快く、田王はいったんは始皇帝の太子・扶蘇の客となりますが、始皇帝没後の権力抗争で台頭した宦官・趙高の陰謀により扶蘇は自害させられ、暗愚な二世皇帝の暴政により中国全土に戦乱の嵐が吹き荒れる―、中盤は、こうした王朝の崩壊過程と、各地での諸王の抗争が中心に描かれています。
 強大な中央集権国家が、愚帝と利己的な権力者によりまたたく間に衰亡していく様や、各地の群雄割拠ぶりは読んでいて面白く、また示唆するものも多いですが、そちら方の記述に追われて、その分田王の人柄などの描き方はやや浅くなったかなあと思いました。

 しかし後半、「人を殺し続けて」台頭する項羽と劉邦に対し、それらの抵抗勢力として「人を生かし続けて」屹立する田王の生き様が、再びくっきり描かれるようになり、蘭林・岸当・展成・保衣といった様々経歴を持つ配下の異能ぶり・活躍ぶりも光っていて、彼らの田王への傾倒を通して、田王のリーダーシップと、名宰相・管仲にも匹敵する民心を集める求心力を窺い知ることができました。

 特徴的なのは、劉邦を、項羽と同じく残忍で、あるいは項羽以上に狡猾な人物として描いていることで、田王への贔屓の引き倒しではないかとみる人もいるかも知れませんが、漢の高祖となった劉邦の評価が後世に増幅された可能性を考えると、劉邦は秦都・咸陽を無血開城したから殺戮者として咸陽に乗り込んだ項羽より偉かった、というような単純なものでもないのでしょう。
 「背水の陣」で知られる韓信などの評価も低く、それらは著者なりの確信があってのものでしょうが、歴史上の人物に対して様々な見方ができることを示した物語でもあると思いました。

 作者は、本書刊行の'04年に第52回「菊池寛」賞を受賞しています。

 【2006年文庫化[新潮文庫(全4巻)]】

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河合心理学のエッセンスと言える本かも。

『対話する人間』.JPG対話する人間.JPG 対話する人間  講談社+α文庫.jpg   対話する人間.jpg 
対話する人間 (講談社プラスアルファ文庫)』['01年]『対話する人間』['92年]

 河合隼雄(1928-2007)自らが折にふれて各所に発表した小文を集めたもので、'92年にいったん単行本として刊行された後、'01年「講談社+α文庫」に収めるにあたり再編集したもの。

 「家族と自分」の関係から始まり、「悪と個性」の関係、「病の癒し」について、更に人生における「遊び」の意味や「夢と現実」についてなど、話題は人間関係の問題、心の問題から生きがい、老いの捉え方など生き方の問題にまで広く及んでいます。

 お得意の童話や児童文学についての解題があるかと思えば、母性社会における日本人という氏独特の比較文化論的捉え方も展開されていて、臨床心理学者としての実体験や「中年の危機」「人生の正午」といったユング心理学の河合氏流の解説も随所にあり、まさに河合心理学のエッセンスと言える本かも知れません。

 いろいろな所で発表したものの寄せ集めである分、ややテーマが拡散気味のきらいもありますが、それでも読み手を引きつけたまま最後までもっていくのはさすが(最後は少し宗教的なテーマに入っていきます)。

 個人的には、ノイローゼの人が症状がとれて退院するので、家族が喜んで赤飯を炊いて待っていると、退院してきた人はいなくなり、探しに行くと裏山で縊死していたという報告が強く印象に残りましたが、他にも、考えさせられる話が多く紹介されています。

 ヒンドゥーの「学住期・家住期・林棲期・遁世期」という考え方が紹介されていますが、河合氏自身は文化庁長官となり、それは氏の本意だったのか、また、氏にとって良かったことなのか、少しばかり考えてしまいます。

 【1992年単行本〔潮出版社〕/2001年文庫化[講談社+α文庫]】

《読書MEMO》
●桃太郎→孤児の子こそが英雄的行為をやりとげる(64p)
●ロビンソン『思い出のマーニー』(心身症の子(アンナ)が治る過程を描いた児童文学、「マーニー」は実はアンナの内面で作り出されたキャラクター(175p)
●ノイローゼの人が症状がとれて退院、家族は赤飯炊いて待ってたが、裏山で首吊り自殺していた(264p)

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子どもの感性を自らの中に甦らせてくれるファンタジーを紹介。児童文学案内としても良い。

「子どもの目」からの発想.jpg 『「子どもの目」からの発想 (講談社プラスアルファ文庫)』['00年] 「うさぎ穴」からの発信.jpg 『「うさぎ穴」からの発信―子どもとファンタジー』 ['90年]

「うさぎ穴」からの発信 絵.jpg 河合隼雄(1928-2007)がファンタジー系を中心とする多くの児童文学の名作を紹介・解説したもので、『「うさぎ穴」からの発信-子どもとファンタジー』('90年/マガジンハウス)として刊行したものを、「講談社+α文庫」に収めるにあたり改題・再編集したものです。

 改題にあたり河合氏は、「なぜ『子どもの目』か?」ということについて、「それは人の『たましい』をしっかり見る力を持っているから」と言っていますが、確かに大人になり世事に感けているとその目は曇ってくるのかも知れず、子どもたちが持っている豊かな感性も、単に未熟であるというふうにしか見えなくなってくるのかも。

 氏に言わせれば、そうした子どもの感性を自らの中に甦らせてくれるのがファンタジーであり、ファンタジー系の児童文学を読むことは「子どもの目」の凄さを改めて教えてくれ、また、近年急増するいじめや心の病にどう対処するかということを考えるうえでの手がかりにもなると。

 何となく漠たる考えであるような印象も受けますが、紹介されている70作あまりの児童文学についての氏の的を絞った解説を読むと、たいへん説得力があり、本書は自分が児童文学に触れ直すキッカケとなりました。

 しっくりくる、或いは眼からウロコが落ちるような解説がされているものがいくつもあり、是非それらの作品を読んでみたいと思ったのですが、まだそのうちの半分も読めていません。
 ファンタジーを読むゆとりみたなものは、人生において大切なんだろうなあと思いつつも。

 巻末に紹介作品の一覧があり、読書案内としてよく纏まっている(勿論、ただ纏まっているだけでなく、内容も充実している)ので、いつも手元に置いてはいるのですが...。

 【1990年単行本〔マガジンハウス(『「うさぎ穴」からの発信-子どもとファンタジー』)〕/2000年文庫化[講談社+α文庫]】

《読書MEMO》
●ヘルトリング『ヒルベルという子がいた』(アフリカ体験)(19-31p)
●カニグズバーグ『ジョコンダ夫人の肖像』/●灰谷健次郎『兎の眼』(小谷先生・書くことの難しさ)/●ギャリコ『さすらいのジェニー』/●アトリー『時の旅人』
●リヒター『あのころはフリードリヒがいた』空襲下の防空壕に非難した人々は、ナチスの防空委員長にフリードリヒを中に入れることを拒否され、彼は死ぬ(74p)

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「21世紀」が「20世紀」の"解題"になってない。大風呂敷、拡げてたたまずの感。編集者が作品に口出しするのも良し悪し。

20世紀少年 全巻.jpg21世紀少年下.jpg21世紀少年 上.jpg20世紀少年22.jpg『20世紀少年 22』
映画「20世紀少年」.jpg『21世紀少年 (上・下)』

 '99(生成11)年から'07(平成19)年まで「ビッグコミックスピリッツ」で連載され、「小学館漫画賞」「講談社漫画賞」「文化庁メディア芸術祭優秀賞」などを受賞した作品。'08年には堤幸彦監督により映画化されました('08年公開は全3部作のうち第1部のみ)。

 ケンヂたちが少年時代に遊びで作った「世紀末預言書」の内容が、成長した彼らに現実となって襲いかかり、ケンジとその仲間たちは地球を救うため立ち上がる―。

 話は、ケンヂ達の少年時代('70年前後)と「血の大晦日」('00年)前後を行き来し、そして「ともだち暦」(2015年)にはいり、最終章では『21世紀少年』と改題されていますが、24巻で一つの作品と見てよいものです。

プロフェッショナル仕事の流儀 0701.jpg ストーリーテラーらしい複雑な物語構成と、世界制覇を企む「ともだち」とは何者かという〈大きな謎〉で、ぐいぐい読む者を引っぱっていく力量はさすがで、相変わらず飽きさせません。ところが、気宇壮大であることは結構なのですが、「21世紀少年」と改題までされた結末部分が、実際の"解題"とはなっておらず、「大風呂敷、拡げてたたまず」といった感じで終わってしまっていて、『MONSTER』の読後感のようなカタルシスは得られませんでした。

漫画家・浦沢直樹 氏 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」('07年1月18日放送)

 NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に、'07年1月に作者・浦沢氏が、11月には漫画原作者で浦沢作品の編集者でもある長崎尚志氏が出演していましたが(両方の放送を見ると、長崎氏の浦沢作品に対する関与の度合いの大きさがわかる)、長崎氏に言わせれば、浦沢作品は複雑なことをわかりやすく伝えているのが魅力であり、また、わからないものにこそ人は魅力を感じると―。

長崎尚志.jpg 今回は、「ともだち」とは誰かという謎を敢えて謎のまま残そうとした意図が見てとれますが、これは長崎氏の強い意向ではないだろうかと思いました。ところが、その答えが意外とミエミエなのは、浦沢氏のサービス精神(?)が出てしまったためで、それなのに無理矢理ミステリアスに仕立てようとする、そうした不整合が、ストーリーを収束し切れなかったり、矛盾を生じたりする原因になっているような気もしました。

漫画原作者・長崎尚志 氏 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」('07年11月6日放送)

20世紀少年 一場面.jpg 少年期の壮大な想いや仲間同士の結束・反目というのは、大人になっても無意識に抱えているものかも知れず、それが表面化し再現されるという設定も悪くないのですが、やはり結末が...。

 スティーブン・キングの作品(この人のも、途中から何でもありになってしまうものが多いと思うが)や映画「ターミネーター2」を想起させられる部分がありましたが、読後は、ストーリー(編集者の影響が及ばぶ部分)よりも、作者の自分史に重ねた昭和の時代(万博とか)への郷愁や、昭和漫画(ナショナルキッドとか)に捧げたオマージュの方が印象に残りました(編集者の影響が及ばない部分)。

 編集者が作品に口出しすることの良し悪しを考えさせられます(ましてや、長崎氏は自身が漫画原作者でもある)。良い方向に転ぶ場合が無いとは言えませんが...。

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初期作風に回帰した遺作。もっと長生きしていれば、ノーベル文学賞?

カンガルー・ノート.jpgカンガルー・ノート』['91年/新潮社] カンガルー・ノート 新潮文庫.jpgカンガルー・ノート (新潮文庫)

 ある日突然、脛に「かいわれ大根」が生えてきた男は、病院でベッドに括りつけられ、生命維持装置を付けられたまま、賽の河原を巡る黄泉の国への旅へ―。

安部公房.jpg 1991(平成2)年末に刊行された安部公房(1924‐1993)の最後の長編で、この人、最後まで前衛を貫いたなあと思わせる作品。むしろ、人体と植物の共生なんて、初期作品「デンドロカカリヤ」あたりに遡って、SFチックな前衛ぶりが甦っている感じもします。

脱走と追跡のサンバ2.jpg  個人的には、このシュールで突拍子も無い展開の連続は、筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』('71年/早川書房)の遁走劇に似ているなあと思ったりしました(この2人の作品には他にも似ているように思えるものがあるが、安部公房の出自はSFであるとも言えるから、大いにあり得ることか)。

 但し、この作品が、作者が大病での入院生活を送った後、多分に死というものを意識しながら書いたものであろうことを思うと、他の安部公房作品よりも個人的な体験が色濃く滲んでいるものと言え、ドナルド・キーンは、彼の作品の中で「最も私小説的」だと言っています。

 それは、作品テーマの1つである死の無意義性が、表現において「死を嘲る」という形で現れていることからも見てとれ、結果として、1年余り後の'93年1月に亡くなっていることを思うと、少し痛々しい気もします。

村上春樹 09.jpg 〈カンガルー〉というモチーフは、村上春樹にも『カンガルー日和』('83年/平凡社)という短篇集があり、日本のノーベル文学賞候補者2人が、この動物名を作品タイトルに用いているのが何となく面白いです(25歳年下の村上氏の方が先に使っている)。

 そのノーベル文学賞が11歳年下の大江健三郎にもたらされたのは、安部公房が亡くなった翌年で、大江氏は、安部公房がもっと長生きしていれば、ノーベル文学賞を受賞したであろうと言っていますが、もともと安部公房は国内よりも海外で早くに評価された作家であることからしても、その通りだと思います。

 【1995年文庫化[新潮文庫]】

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オタク(引きこもり)に繋がる先駆的モチーフであるとともに、「愛」を巡る実験小説。

箱男2 安部公房.jpg箱男 安部公房.jpg箱男箱男 安部公房.jpg箱男 安部.jpg箱男 (新潮文庫)』 [旧版/新版]

箱男 ハードカバー_.jpg 1973(昭和48)年に刊行された本作品の単行本は、200ページ足らずのものですが、「箱入り」装填。内容は、頭からすっぽりとダンボール箱を被って世間から自分を遮断し「箱男」となった男の視点で綴られる奇妙な物語です。男が箱を作ろうと思ったのは、別の「箱男」を見たのがきっかけということでそれ以上の説明は無く、むしろ、だんだんと「箱男」化していく様や箱の作り方などが丹念に書かれているのが何だか変なムードです。

箱男』['87年/新潮社ハードカバー]

 その「箱男」が、自分に関心を寄せる(結果として自分が関心を寄せることになる)葉子という女性が看護婦を務める病院で医者をしている「贋箱男」と出くわした辺りから、物語の主体(語り手)が時折入れ替わり、実はこの医者は贋医者で、本当の医者は葉子の夫で、これも今は「箱男」として自分の病院に入院している―ということで、ややこしい。

 彼らが交互に語り手となり、誰が本当の「箱男」なのかという問いかけがありますが、「贋箱男」も含めれば実はみ〜んな「箱男」なのであり、一見ストーリー破綻しているように思えるけれども、冒頭で箱作りに勤しんでいたのは「贋箱男」だったわけで、プロット的には予め計算され尽くしたものと言えるかと思います(つまり、出だしから、物語の主体は何度か入れ替わっていたということになる)。

 作者はこの作品について、「箱の中の男には実態というものがありません。ただ箱の内側から世界を覗き見るだけです。外の人々は彼のことをただの箱だと考えて、人間だとは思っていません。だからこそ、この作品では見られることと見ることの関係が重要なモチーフとなるのです」(「ユリイカ」1998.4再掲)と語っています。
 オタク(または"引きこもり")の行動特性に繋がるような先駆的なモチーフであるとともに(ある意味「世に出るのが早すぎた作品とも言える)、箱男、贋箱男、葉子(ハコとも読める)の3者間の「愛」を巡る実験小説であるとも言えます。

 それはまた、箱男と贋箱男との間での「書く者」と「書かれる者」との支配権闘争ともとれるもので、争っているうちに(読んでいくうちに)最後は誰が本当の「箱男」(書く者)なのか、登場人物も読者もおぼつかなくなってくる―。

 発表当時に評価が割れたせいか、この作品は「砂の女」のように映画化はされていませんが、かつて、フジテレビの深夜枠であった「文學ト云フ事」という文芸作品の映画予告篇だけを作る番組で映像化されていて、そこでは最後、元祖「箱男」が贋医者に看護婦・葉子を好きにしていいと言われて箱を抜け出し、その間に医者は箱にその身を隠し「箱男」となる―というストーリーになっていました。

 また、作中に作者自身が撮影した「箱男」目線の写真が何枚か挿入されていますが、作者はこれを「挿入詩」のようなものと捉えているらしく(前出「ユリイカ」)、文庫新装版のカバーデザインにその中の1枚が使われています。

 【1982年文庫化[新潮文庫]】

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コミカルな味のあるシュールな世界。結構わかりやすく「人間疎外」を描いている。

壁 安部公房 月曜書房.jpg     安部公房『壁』(新潮文庫).jpg  壁.jpg  安部公房.jpg 安部 公房 (1924-1993/享年68)
壁 (1951年)』[月曜書房] 『壁 (新潮文庫)』 /旧カバー版

 1951(昭和26)年に刊行された『壁』は、「S・カルマ氏の犯罪」、「バベルの塔の狸」、「赤い繭」の3部の中篇から成り、「赤い繭」は更に「赤い繭」、「魔法のチョーク」など4つの短篇から成るという構成。
 この中ではやはり、主人公の「ぼく」がある朝目を覚ましたら、自分の名前を喪失していた―という出だしの「S・カルマ氏の犯罪」のインパクトが大きかったです。

 「ぼく」は、自分の名刺を探してみるが見つからず、名前も思い出せない。そこで、勤め先の事務所に行くと、自分の「名刺」が自分の代わりに自分の机で仕事している―。
 重厚な作品という印象があったのですが、読み返してみると意外とコミカルな味のあるシュールな世界で、且つ、結構わかりやすく「現代人の疎外」を描いているように思えました(「名刺」が自分の代わりに仕事しているなんて、かなりストレートな暗喩ではないか)。

 「S・カルマ」という名であるらしい「ぼく」は、病院の待合室で読んだ写真雑誌の中の景色を自分の胸に"吸いとって"しまい、動物園でラクダに奇妙な愛着を抱いて、これも吸い込もうとして私設警察に捕われて、支離滅裂な裁判にかけられる―。
 カフカの「変身」と「判決」をくっつけたような流れですが、安部公房の方がユーモラスで、むしろカフカよりぶっ飛んでいる感じもします(後の筒井康隆などに近い感じ)。

 彼は何によって裁かれようとしているのか(物語の途中から「ぼく」ではなく「彼」になっている)、彼にとって常に目の前にはだかり、自らを同化せしめんとする「壁」とは何なのか(『バカの壁』という本があったが...)、様々な解釈があるでしょうが、人間の現存在の危うさを突きつけられたような不安感を醸す一方で、ワケワカランままであってもとり敢えず楽しく読めるのが、この作品の魅力です。

 「S・カルマ氏の犯罪」は'51(昭和26)年第25回芥川賞受賞作で、選考委員の中では川端康成などが推挙したそうですが、当時としては極めて斬新な候補作だったろうになあ(但し、川端康成などは彼自身が大正期の幻想文学の流れを汲んでいる面もあったし、さほど意外でもないことかも)。

 「魔法のチョーク」も単体では好きな作品です。

 【1969年文庫化[新潮文庫]】

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寓意は定型的だが、芥川の本領が発揮されている作品。大正モダンの香りが漂う絵。

魔術 (日本の童話名作選シリーズ)200_.jpg 影燈籠_.jpg 芥川龍之介w.jpg 芥川 龍之介
魔術(日本の童話名作選シリーズ)』(偕成社)『影燈籠 (1977年)(芥川龍之介文学館 名著複刻)』(日本近代文学館)

宮本 順子(絵) 『魔術―日本の童話名作選シリーズ』.jpg 2005(平成17)年3月の偕成社刊。原作は1920(大正9)年1月に芥川龍之介(1892-1927)が雑誌「赤い鳥」に発表、『影燈籠』('20年/春陽堂)に収められた、芥川の所謂「年少文学」というべき作品の1つで、同じ系譜に「蜘蛛の糸」や「杜子春」などがありますが、本書の絵を画いている挿画家の宮本順子氏は、この偕成社の「日本の童話名作選」シリーズでは他に同じく芥川作品である「トロッコ」の絵も手掛けています。

中等新国語1.jpg 因みにこの偕成社のシリーズ、表紙カバーの折り返しにある既刊案内では、シリーズ名の頭に「大人の絵本」と付されていて、カッコして小さく「小学中級以上のお子様にも」とあります。この「魔術」という魔術2.jpg作品は、昭和40年代頃には、光村図書出版の『中等新国語』、つまり中学の「国語」の教科書(中学1年生用)に使用されていました。

 インド人に魔術を教えてもらう青年を通して、人間の欲深さと弱さを描いた作品で、童話のミッションである定型的な寓意を含んでいるものですが、宮本順子氏は、「この『魔術』という話は、誰しもが潜在意識の中に持ちうるデジャブ、すなわち、既視感そのもののように思えます。遠いどこかの私が、主人公といつの間にか重なってゆくのです」と述べています。

 改めて読んでみて、そのあたりの夢と現(うつつ)の継ぎ目などに、短篇小説の名手と言われた芥川の本領がよく発揮されている作品だなあと思いました。主人公の私にせがまれ条件付きで魔法を教えてあげることにしたインド人ミスラ君のセリフが、「お婆サン。お婆サン。今夜ハお客様ガお泊リニナルカラ...」と、突然その一文だけカタカナ表記になるところです。

文学シネマ 芥川 魔術.jpg 先に原作を読んでいると、絵本になった時に、どれだけ絵が良くても自分の作品イメージとの食い違いが大きくて気に入らないことがありますが、この宮本順子氏の絵は比較的しっくりきました。

 若い主人公が葉巻を嗜んでいたり、銀座の倶楽部(クラブ)で骨牌(カルタ)をしたりする様などに大正モダンの香りが漂い(絵自体も日本画素材と洋画手法の和洋折衷)、物語が終わった後に、降りしきる雨に打たれる竹林の向こうに西洋館の見える絵などがあるのも、結末の余韻を含んで効果的だと思われました。

TBS 2010年2月16日放映 「BUNGO-日本文学シネマ」 芥川龍之介「魔術」(主演:塚本高史)

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「平安朝後宮生活」のガイドブック。著者の清少納言に対する評価は高いように思えた。

平安朝の生活と文学 (ちくま学芸文庫).jpg平安朝の生活と文学.jpg  池田亀鑑.jpg  池田亀鑑(いけだ きかん、1896‐1956/享年60)
平安朝の生活と文学 (角川文庫 白 132-1)』 ['64年/角川文庫]
平安朝の生活と文学 (ちくま学芸文庫)['12年/ちくま学芸文庫]

 国文学者・池田亀鑑は平安朝文学の大家であったことで知られますが、東大の助教授から教授になるまでに21年かかり、58歳でやっと東大教授になったものの、その翌年亡くなっています。
 その間に立教大学の教授なども務めた時期もありましたが、文献学から入り、古典文学の脚注や現代語訳に携わる時間があまりに長かったためか(『源氏物語』『枕草子』などは個人で完訳している)、または考え方そのものが当初は傍系だったのか、母校の正教授になる時期が遅れた理由はよく判りません。

 本書は、平安朝文学の母体となった後宮生活の実態を、『源氏物語』『枕草子』などの当代作品を素材として概説したもので、「平安朝後宮生活」のガイドブックのようなものです。
 著者の没後に刊行された角川文庫版の定本となっているのは、'52(昭和27)年に河出書房の市民文庫の1冊として出されたもので、当時まだ、こうした後宮生活全般について書かれた本は世に無かったようです。

 平安京の様子、後宮の制度、女性の官位と殿舎、宮廷行事から公家たちの生活ぶりや、女性の一生がどのようなものであったか、服装美・容姿美・教養に対する考え方、生活と娯楽、医療・葬送・信仰まで、幅広く解説されていて、大家がこうした"概説書"を丁寧に書いているという点で、古典文学愛好家の間での評価は高いようです。
                                  
色好みの構造 ― 王朝文化の深層.jpg 最近、中村真一郎『色好みの構造』('85年/岩波新書)を面白く読みましたが、こうした本を読むにしても、平安朝の古典を読むにしても、一応、背景となる後宮生活の実態をある程度知っておいて損はないと思います。
 後宮生活に入る女性の動機が立身出世だったのに対し、清少納言のそれは「教養を高めるため」だったとか、興味深い記述がありましたが、全体としては、比較的地味な"概説書"で、結婚制度や妊娠・出産などについても書かれています。
 但し、「恋愛」とか「性愛」といったことには殆ど触れられておらず、意識的に"概説書"の域に留まることを旨として書かれているようです。

中村真一郎 『色好みの構造―王朝文化の深層 (岩波新書 黄版 319)

池田亀鑑 「枕草子」.jpg それでも専門家的立場からの私見が所々見られ、当時の後宮の女性は、やはり愛する人の正室となり添い遂げるごとが本望だったというのは、中村真一郎の『色好みの構造』の展開とは異なるものです。
 中村真一郎の池田亀鑑に対する評価がどうであるのかは判りませんが、作家によって書かれた『色好みの構造』も面白いけれども、むしろこちらの方が説得力あるようにも思えなくもないです。

 『色好みの構造』の中で、紫式部が、和泉式部は古典的教養にも理論的知識にも欠けるから、本物の歌人とは言えないだろうが「口から自然と歌が生まれてくる」タイプと評していることが紹介されていますが(部分的には"天然の才"を評価していることになる?)、本書では、紫式部は清少納言のことを「生学問」をふりかざす女と見ていたとあります(全面批判?)。
 しかし、紫式部から清少納言に贈られた歌への清少納言の返歌から、彼女が機知と教養を兼備していた女性であったことを、著者は推察しています(この辺り、著者は清少納言を高く評価しているように思える)。

      池田 亀鑑 『枕草子 (1955年) (アテネ文庫―古典解説シリーズ〈第14〉)』 弘文堂

【2012年文庫化[ちくま学芸文庫]】

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「色好み」を自ら体現したのは紫式部よりも清少納言、更にその上をいった和泉式部。

色好みの構造―王朝文化の深層.jpg 色好みの構造 ― 王朝文化の深層.jpg      中村真一郎.jpg 中村真一郎 (1918-1997/享年79)
色好みの構造―王朝文化の深層 (岩波新書 黄版 319)』['85年]

色好みの構造4.JPG タイトルからくるイメージとは異なり、かなりカッチリした内容の王朝文化論―、ではあるけれども、テーマが「色好み」であるだけに面白く読めました。
 
 著者によれば、平安朝における「色好み」という愛の形(性的習慣)は、今日から見ると、ほとんど特異で非常識なものであり、それは平安朝の生んだ愛の理想形であるとのことで、例えば、男が1人の女だけを盲目的に愛するのは、一種の病人でありモノマニアとして見られたとのこと。

 日本人の美意識は平安朝において完成し、以降は解体期であるとの見通しを著者は持っていて、平安朝の美意識を頂点とすれば、近世の「つきづきし」などもそのバリエーションに過ぎず、その美意識と不可分の関係にある「色好み」という"文明理想"は日本の伝統の根に潜み、今日でも我々の観念生活の中に残存しているかも知れないとのこと。

 しかし、「色好み」の頂点とされる『源氏物語』などの平安王朝文学を今日読み説くにあたっては、以降の儒教思想の影響、本居宣長の道徳的自然主義や明治期の日本的自然主義の影響などを経て、常に倫理観的なバイアスがかかったものにならざるを得なかったのではないかと。

 典型例が、光源氏が多数の女性に惹かれたのは「人間的弱さ」からであり、本来は1人の女性に対し貞節を守るべきだが、人間とは欲望に弱いものであり...とか、彼は1人1人の女性に対しては誠実だった...とかいったものですが、近代的感覚によって、光源氏の「色好み」の生活を現代の倫理観に調和させるのは無理があるというのが著者の主張です。

 著者によれば、平安期において「色好み」は隠しておきたい欠陥ではなく、1つの文明的価値であり美徳であったと。
 『源氏物語』の登場人物には実在のモデルが多くいて、それは当時週刊誌のように廻し読みされる「スキャンダル集」だったが、読者男女は、次は自分たちの秘事が暴かれるのではないか、この物語のモデルとなる名誉に浴したいものだ、という期待のもとに、新巻を待ち焦がれていたというのです。

 しかし、『紫式部日記』から察せられる紫式部自身の恋愛観は典型的な「色好み」とは言えず、むしろ、それを体現していたのは『枕草子』の清少納言だったというのが大変面白い指摘で、清少納言は相当な"発展家"だったみたい(作品においても、『枕草子』の「おかし」は『源氏物語』の「あわれ」よりも知的遊戯性の度合いが高いと著者は見る)。

 更にその上をいく「色好み」の女流は、『和泉式部日記』の和泉式部で、紫式部より遥かに気安く男性と付き合い、それを平然と人に見せびらかすとともに、清少納言のように色事の風情を楽しむだけでなく、いちいち相手に深入りし、情熱の燃え上がりを見せるというタイプだったらしいです。

 因みに、「色好み」の要件の第1は和歌の才能で、いかに優れた(凝った)恋歌が詠めるかということのようなので、ただ好色なだけではダメみたい。

  
 【2005年アンコール復刊[岩波新書]】

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新自由主義政策の弊害を「民営化」という視点で。前半のリアルな着眼点と、後半のアプリオリな視座。

ルポ貧困大国アメリカ.jpg ルポ 貧困大国アメリカ.jpg 『ルポ貧困大国アメリカ (岩波新書 新赤版 1112)』 ['08年]

 '08(平成20)年度・第56回「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作で、'08年上期のベストセラーとなった本('09(平成21)年度・第2回「新書大賞」も受賞)。

obesity_poverty.jpg 前半、第1章で、なぜアメリカの貧困児童に「肥満」児が多いかという問題を取材していて、公立小学校の給食のメニューが出ていますが、これは肥って当然だなあと言う中身。貧困地域ほど学校給食の普及率は高いとのことで、これを供給しているのは巨大ファーストフード・チェーンであり、同じく成人に関しても、貧困家庭へ配給される「フードスタンプ」はマクドナルドの食事チケットであったりして、結果として、肥満の人が州人口に占める比率が高いのは、ルイジアナ、ミシシッピなど低所得者の多い州ということになっているらしいです。

Illustration from geographyalltheway.com

 第3章で取り上げている「医療」の問題も切実で、国民の4人に1人は医療保険に加入しておらず、加えて病院は効率化経営を推し進めており、妊婦が出産したその日に退院させられるようなことが恒常化しているとのこと、こうした状況の背後には、巨大病院チェーンによる医療ビジネスの寡占化があるようです。

 中盤、第4章では、若者の進路が産業構造の変化や経済的事情で狭められている傾向にあることを取り上げていて、ここにつけ込んでいるのが国防総省のリクルーター活動であり、兵役との引き換え条件での学費補助や、第2章で取り上げている「移民」問題とも関係しますが、兵役との交換条件で(それがあれば就職に有利となる)選挙権を不法移民に与えるといったことが行われているとのこと。

 本書執筆のきっかけとなったのは、こうした学費補助の約束などが実態はかなりいい加減なものであることに対する著者の憤りからのようで、後半では、貧困労働者を殆ど詐欺まがいのような勧誘で雇い入れ、「民間人」として戦場に送り込む人材派遣会社のやり口の実態と、実際にイラクに行かされ放射能に汚染されて白血病になったトラック運転手の事例が描かれています。

 全体を通して、9.11以降アメリカ政府が推し進める「新自由主義政策」が生んだ弊害を、「民営化」というキーワードで捉え、ワーキングプアが「民営化された戦争」を支えているという第5章の結論へと導いているようですが、後半にいけばいくほど著者の(「岩波」の)リベラルなイデオロギーが強く出ていて(「あとがき」は特に)、「だから米国政府にとっては、格差社会である方が好都合なのだ」的な決めつけも感じられるのがやや気になりました(本書にある「世界個人情報機関」の職員の言葉がまさにそうであり、こうした見方さえ"結果論"的には成り立つという意味では、そのこと自体を個人的に否定はしないが)。

 著者は9.11テロ遭遇を転機にジャーナリストに転じた人ですが、本書が「○○ジャーナリスト賞」とか「○○ノンフィクション賞」とかでなく(まだこれから受賞する可能性もあるが)、その前に「エッセイスト・クラブ賞」を得たのは、文章の読み易さだけでなく、前半のリアルな着眼点と、後半のアプリオリな視座によるためではないかと。

《読書MEMO》
●「世界個人情報機関」スタッフ、パメラ・ディクソンの言葉
「もはや徴兵制など必要ないのです」「政府は格差を拡大する政策を次々に打ち出すだけでいいのです。経済的に追いつめられた国民は、黙っていてもイデオロギーのためではなく生活苦から戦争に行ってくれますから。ある者は兵士として、またある者は戦争請負会社の派遣社員として、巨大な利益を生み出す戦争ビジネスを支えてくれるのです。大企業は潤い、政府の中枢にいる人間たちをその資金力でバックアップする。これは国境を超えた巨大なゲームなのです」(177-178p)

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美しく見せるという思惑がないところでの"キレイさ"。その"意外性"が面白いのかも。

工場萌え.jpg 工場萌えカレンダー.jpg 超高層ビビル.jpg ブレードランナー2.jpg
工場萌え』['07年]『工場萌えカレンダー 2008』『超高層ビビル 日本編 (Skyscrappers Vol 1)』['08年]/映画「ブレードランナー」より

 「工場」と言うより「コンビナート」のタンクやパイプ、煙突群の「構造美」を捉えた写真集で、「工場萌え」とは工場の景観を愛好する行為だそうですが、著者(石井氏)のmixiのブログに端を発して、ちょっとしたブームになっているらしく、カレンダーやDVDまで出ています。

ダム.jpg 高層ビルや吊り橋など人工の建造物を写真に収めることを趣味とする人は結構いるようで、最近では中谷幸司氏の『超高層ビビル 日本編』('08年/社会評論社)という写真集が刊行され、更には全国のダムを撮った萩原雅紀氏の『ダム』('07年/メディアファクトリー)などというのもあります(こちらも続編『ダム2(ダムダム)』('08年)が刊行され、DVDも出された)。

中谷 幸司 『超高層ビビル 日本編』.JPG この内、『超高層ビビル 日本編』は、日本全国の高さ100メートル超の高層ビルを写真に撮って並べたもので(但し、トップにきているのはビルでなく「東京タワー」。次に「六本木ヒルズ」)、キャプションとしては高さ・階数・建設年月・所在地が記されているだけですが、このカタログ的な並べ方が逆にいいです。

 写真も、変に意匠をこらさず、それぞれビルの全体像が分かるような(主に正面から見た)撮られ方になって、この本はある建築家がお薦めとしていまいしたが、建築・建設関係者の間では密かに人気を得ているようです(著者=撮影者はJavaのプログラマーであるとのことで、あくまで趣味の世界からスタートしている)。

 こうした写真集はある種の「機能美」を追ったものであり、とりわけ高層ビルや吊り橋に関しては、そうした「外見上の美しさ」というものが予め設計段階で織り込まれている―それに対し、「コンビナート」が美しく見えるというのは、そうした思惑がないところでのことで、その"意外性"が面白いのかも(但し、個人的には『超高層ビビル』の方が若干好みだが)。

 ただそれだけに、「鑑賞スポット」とでも言うか、見るポイントが限定されてくるわけで、本書の後半では、そうした撮影ポイントを地図と写真入りで紹介しており、更に"鑑賞"のための基礎知識として、「歩きやすい靴で」とか、近くにコンビニさえ無いことが多いから「飲み物を忘れずに」とか、色々な注意点が親切に書かれているのが、普通の「趣味ガイド」みたいで何となく面白い。

ブレードランナー チラシ.jpg 最後に「おすすめ工場コンテンツ」というのがあり、工場を知るための入門書や、工場のイメージを効果的に使った映像作品、工場に親しめる小説などが紹介されています。その中にはリドリー・スコット監督の映画「ブレードラブレードランナー(Blade Runner).jpgンナー」('82年/米)笙野頼子氏の『タイムスリップ・コンビナート』('94年/文藝春秋)(これ、芥川賞作ブレードランナーF.jpg品の中ではかなり異色ではないか)などがあったりして、"系譜"と言えるかどうかは別として、「コンビナート」的な「構造美」に惹かれる部分は意外と多くの人が持っていて、ただそれが、無機的であるとか、大気汚染とイメージリンクしてしまうとかで、隠蔽されてきた面もあるかもしれません。
映画「ブレードランナー」より
ブレードランナー.jpg また、映画「ブレードランナー」に関して言えば、'82年の公開時は大ヒット作「E.T.」の陰に隠れて興業成績は全く振るわなかったのが(本国でも「サターンSF映画賞」の候補にはなったものの、受賞は「E.T.」に持っていかれた)、少し後になってからジワジワと人気が出てきたという経緯があり、当初カルトムービー的に扱われてたものが、やがてSF映画のメジャー作品としての市民権を得たという点や、ファンの多くが、映画のストーリーだけでなく、或いはそれ以上に、視覚的な背景などの細部に関心を持ったという点で、「工場萌え」ブームに共通するものを感じなくもありません。

『ブレードランナー』(1982).jpgBLADE RUNNER.jpg 「ブレードランナー」という映画の妙というか、観客に視覚的に強いインパクトを与えた部分の一つは(個人的にはまさにそうだったのだが)、未来都市にもダウンタウンがあり、ネオン塔やブレードランナー5.jpg筆字体の看板などがあって、そこに様々な人種が入り乱れて生活したり商売したりしている"生活感"、"人々の蠢(うごめ)き感"みたいなものがあった点ではなかったかと思います(80年代にシンガポールで見た高層ビルの谷間の屋台群を思い出した。シンガポールまで行かなくとも、新大久保のコリアン街でも似たような雰囲気は味わえるが)。

 但し、「工場」にはそうした生活感のようなものが全くない(とりわけ夜の工場には)―その、"純粋"機能美が、それはそれでまたウケるのかも知れませんが。『工場萌え』というタイトルが面白いし、効いていると思います。「萌え」というのは、本来はキャラクター的なものを対象としていることからすれば、ある意味パロディでしょう。確かに、視点や時間帯で様々な景観を示すコンビナートは、未来都市の一角のようで美しい(特に夜景が"妖しく"キレイ)と思ったけれども、個人的には、「こんなのが好きな人も結構いるんだ」という珍しさが先に立って、自分自身が「萌える」というところまではいかなかったでしょうか。

Blade Runner (1982)  
「ブレードランナー」('82年/米).jpg『ブレードランナー』.jpg 映画「ブレードランナー」より

『ブレードランナー』2.jpg 『ブレードランナー』3.jpg 『ブレードランナー』4.jpg
 
二子東急(昭和50年代)
二子東急(昭和50年代) .jpg「ブレードランナー」●原題:BLADE RUNNER●制作年:1982年●制作国:アメリカ●監督:リドリー・スコット●製作:マイケル・ディーリー ●脚本:ハンプトン・フィンチャー/デイヴィッド・ピープルズ●撮影:ジョーダン・クローネンウェス●音楽: ヴァンゲリス●時間:116分(劇場公開版、ディレクターズ・カット)/117分(ファイナル・カット)●出演:ハリソン・フォード/ルトガー・ハウアー/ショーン・ヤング/ダリル・ハンナ/ブライオン・ジェイムズ/エドワード・ジェイムズ・オルモス/M・エメット・ウォルシュ/ウィリアム・ サンダーソン/ジョセフ・ターケル/ジョアンナ・キャシディ/ジェームズ・ホン/モーガン・ポール/ハイ・パイク/ロバート・オカザキ(ダウンタウンのスシバーの主人)●日本公開:1982/07●配給:ワーナー・ブラザース二子東急 1990.jpg●最初に観た場所:二子東急(83-06-05)●2回目:三軒茶屋東映(84-07-22)●3二子東急.gif回目:三軒茶屋東映(84-12-22)(評価:★★★★☆)●併映(2回目):「エイリアン」(リドリー・スコット)/「遊星からの物体x」(ジョン・カーペンター)●併映(3回目):「遊星からの物体x」(ジョン・カーペンター) 二子東急(1990年)

二子東急のミニチラシ.bmp二子東急 場所.jpg二子東急 1957年9月30日 開館(「二子玉川園」(1985年3月閉園)そば) 1991(平成3)年1月15日閉館            
三軒茶屋シネマ.jpg
三軒茶屋シネマ/中央劇場.jpg三軒茶屋シネマ 内.jpg三軒茶屋東映 1955年世田谷通りの裏通り「なかみち街」にオープン、1973年建て替え、1997年~三軒茶屋シネマ (右写真:三軒茶屋シネマ/三軒茶屋中央劇場/サンタワービル(三軒茶屋映画劇場跡地)/左写真:現「三軒茶屋シネマ」内) 2014(平成26)年7月20三軒茶屋シネマ ラストしおり2.JPG日閉館

三軒茶屋東映予定表.bmp

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個人的に懐かしい本。「事典」というより「図鑑」に近い。

少年少女学習百科大事典 11 動物.jpg 少年少女学習百科大事典11.jpg 古川晴男.jpg
『少年少女学習百科大事典 11 動物』['61年/学習研究社]    古川 晴男(1907-1988)

 学研が'56年に会社として初めて刊行した百科事典(同タイトル全13巻)を前身とする『少年少女学習百科大事典』(全21巻)は、'61年から'62年にかけて刊行されたもので、ちょうどこの頃、百科事典ブームというのがあったようです。箱入りでクロス地のビニールカバーがついていて高級感があり、社会科編と理科編にわかれていますが、子どもの頃は理科編が特に面白く感じました。

少年少女 学習百科大事典 14 理科編 天文・気象.jpgA9☆少年少女学習百科大事典15/理科編・地球のすがた.jpg その中でも「11 動物」は、カラーイラストが豊富で大いに引き込まれ、「事典」ではあるが「図鑑」的であるように思われます。その他には「12 植物」「14 天文・気象」「15 地球のすがた」などにハマった覚えがあり(太陽系の起源を解説した「潮汐説」「隕石説」のイラストなどスゴイ迫力を感じた)、要するにこれ、カラーイラストの多い順に関心を持って読んだということになるのかも知れません。

少年少女学習百科大事典11.jpg この「11 動物」はかなり読み込み(眺め尽くし)、他の動物図鑑などを読む契機にもなりましたが、今時の"図鑑"だったら多分、単独で1巻となるであろう「昆虫」も、この百科事典では「動物」の中に組み込まれていて、但し、これがなかなか詳しいです。
 ショウリョウバッタ、クビキリ、ハラビロカマキリ、ギンヤンマ、エンマコウロギ、カマドウマ、ツマグロヨコバイといった掲載されている昆虫たちが、昔はまだまだ身近にいたように思い、そうした昆虫に対する親近感も、かつてはわりあい自然に持てたと思います。

 思えば、この事典の編集委員の中に昆虫学の大家・故古川晴男博士(1907-1988)がいたわけで(だから昆虫に多くのページを割いている?)、古川博士のポケット版の昆虫図鑑もかつて愛用しました。
 現在、偕成社版『少年少女ファーブル昆虫記』(全6巻)を持っていますが、これを訳しているのも古川博士。
 岩波文庫だとびっちり活字が詰まって全10巻なので、こっちの方がとっつき易そうかも...(子ども用に買った本に大人がハマまるパターンだなあ)。

ポケット採集図鑑 「こんちゅう」0.jpgポケット採集図鑑 「こんちゅう」1.jpgポケット採集図鑑 「こんちゅう」2.jpg小学館の原色図鑑②昆虫ポケット版.jpg


 
 
 
 
 
 
 

古川晴男:監修 『原色図鑑ポケット版 ② 昆虫』 [小学館] 

古川晴男:監修 『ポケット採集図鑑 「こんちゅう」』 [学研](1959年初版)

           

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人間は宇宙についてほんの一部しか知りえていないことを痛感。

宇宙の新常識100 宇宙の姿からその進化、宇宙論、宇宙開発まで、あなたの常識をリフレッシュ! (サイエンス・アイ新書 75).jpg 『宇宙の新常識100 宇宙の姿からその進化、宇宙論、宇宙開発まで、あなたの常識をリフレッシュ! (サイエンス・アイ新書 75)』 ['08年]

Black Hole.jpg ソフトバンククリエイティブの"サイエンス・アイ新書"の1冊で、ただ「宇宙の新常識」を100項目並べるのではなく、宇宙の生成、ダークマターとダークエネルギー、素粒子論と宇宙、最近の観測技術の進歩、太陽系について、宇宙飛行・宇宙開発のなど、テーマを大括りにして、それぞれについて、今までにわかっていることから、今後究明していく課題まで体系的に書かれているため、単なる「100問100答」というより1冊の入門書として読め、更に、直近の研究成果がふんだんに盛り込まれているほか、写真やグラフィックが各ページにあって、見た目にも充実しているという本。

伴星からガスを吸い込むブラックホール [NASA]

 NASAから提供された写真やグラフィックが多くあり、それらがとりわけ美しく、NASAが写真だけでなく、イメージ・グラフィックスも上質のものを多く所有していることに感心させられました。

 著者は科学者ではなく科学ライターですが、宇宙の生成や素粒子論の解説において、理論物理・原子物理・量子物理のエッセンス部分をわかり易く織り込んでいるように思えました。

リング状に分布するダークマター(写真)とダークマターの3次元マップ(CG) [NASA]
a huge ring of dark matter.jpgDark Matter Image.jpg でも、宇宙がどんなものでできているのかというのは、今のところ宇宙全体の4%ぐらいしかわからなくて、あとはダークマターが23%、ダークエネルギーが73%を占めるという―、ダークマターの構造などは推論されていますが、宇宙の4分の3近くを占めるダークエネルギーについては、質量を持っていないということぐらいしか判っておらず、人間は宇宙に関して、まだほんの一部しか知りえていないということを痛感させられます。

宇宙の新常識100 2.jpg 一方で、太陽系に関しては近年いろいろなことが判ってきたようで、その大きさで言えば、当初は太陽から地球までの距離の100倍くらいだと思われていたのが、今では1兆5000億〜15兆kmと推論されているとのことで、太陽から地球までの距離の1万倍から10万倍ということかとビックリ(当初考えられていたより100倍から1000倍大きいことになるが、このことには冥王星が正式の「惑星」の定義から外れたことも関係している)。
 太陽の起源についても、星雲の中から生まれ、散開星団(プレアデス星団などが典型例)の一員を経て今のような単独の恒星になっているとのことですが、同じ星団にいた兄弟の星が今何処にいるかということまでは、さすがに知りようがないみたいです。でも、どこかにあるんだろうなあ、太陽の兄弟だった星が。

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読み易く味わいのある文章。今でも充分に入門書として通用する。

宇宙と星2977.JPG宇宙と星.gif  畑中 武夫.jpg  畑中 武夫 (1914-1963/享年49)
宇宙と星 (岩波新書 青版 247)』 ['56年]

 著者の畑中武夫は理論天体物理学者で、萩原雄祐(1897-1979)門下で小尾信彌氏(東大名誉教授)などの兄弟子に当たる人、若くして日本の天文学界のリーダーになりましたが49歳で亡くなり、和歌山県新宮市の出身ということで、同じく夭折した中上健次(1946-1992)らと共に、新宮市の名誉市民になっています。(下図は「新宮市」ホームページより)

 本書は'56年の刊行で、岩波新書の宇宙学関係では超ロングセラーであり、宇宙物理学者の池内了氏(名大教授)なども「私が宇宙に研究を志すきっかけとなった本」と言っています。

 我々に馴染みの深い星座の話から説き起こして、太陽(恒星)と銀河系を語り、最後に、星の生涯や宇宙の生成と進化について天体物理学的な観点から解説しており、星の光度や距離をどのように決定するのかといったことや、恒星のHR図(星の光度と表面温度の相関図)からの星の来歴の読み取りなどがわかり易く解説されていて、今でも充分に入門書として読めるし、構成的にも文章そのものも読み易いように思います。

 細かい数字はともかくとして、「脈打つ星」(パルサー)の原理や、太陽および銀河系の構造、超新生爆発または白色矮星で終わる星の生涯のことなど、この頃もう既にここまで判っていたのだなあと思わせる記述が多い一方で、「惑星を伴う恒星」の存在など推論段階のものもあり(現在は200個以上発見されている)、宇宙の始まりを50億年前と推定しています(現在は137億年前とされている)。

 40代前半で書かれたわりには、エッセイ風の味わいのある記述もあり、「オリオンの名は、球団や、映画館や、またいくつかの商品の名にも使われていて、われわれに親しみ深い」などいう記述にぶつかると、ちょっとタイムスリップした感じで嬉しくなってしまいます(因みに、スペースシャトル引退後の後継機の名は「オリオン」に決定している)。

 同著者の、毎日出版文化賞を受賞した『宇宙空間への道』('64年/岩波新書)もお奨めです。

畑中武夫(新宮市出身).jpg

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作家たちの用いた「俗字・宛字」的漢字表現を蒐集。「手書き文化」の産物?

遊字典     .jpg遊字典.jpg   遊字典  .jpg    辞書にない「あて字」の辞典.jpg
遊字典―国語への挑戦 スキゾ=パラノ・ハイテク・マニュアル (1984年)』['84年]『遊字典 (角川文庫)』['86年]改題『辞書にない「あて字」の辞典 (講談社プラスアルファ文庫)』 ['95年]

 仮名垣魯文以降の作家たちが自ら作中に用いた、一般的には俗字・宛字とされている漢字表現を蒐集し、用法と共に示した「字典」で、なぜこんなものが手元にあるのか自分でもわかりませんが、パラパラめくっていると結構楽しめるのは確か(多分、衝動買いしたのか)。フツーの「○○辞典」と呼ばれるものほど役には立たないし、それほど"使い込んだ"形跡も無いのですが、何となく処分しがたいという点では、「辞典」に通じるものがあります。('84年刊行、'95年 『辞書にない「あて字」の辞典』と改題され「講談社+α文庫」所収)

夏目漱石.jpg それにしても、夏目漱石、国木田独歩、島崎藤村、これに限らず多くの文豪たちは、俗字・宛字を実にふんだんに使っているなあと感心させられます。
 「くたびれる」を漱石は「疲れる」、独歩は「疲労る」と表し、藤村は「遭遇す」で「でくわす」、「直径」で「さしわたし」と読ませ、確かに、漢字の表意性を生かしているけれども、漱石は「はかりごと」を「謀計」とか「計略」とか作品により書き分けていたりしていて少し節操がない感じもします。
 作家にして見れば、このニュアンスの違いが大事なのだろうけれども、漱石は本書のどのページにも登場する常連になっています。
 但し、凡例の説明で、作家・作品の重要度に比例して語彙を選択するのではなく、文字(表意)の面白さにのみ着目したとあり、「虚実皮膜」=「パンティ」(南伸坊)などは面白いので取り上げたとし、井上ひさし、筒井康隆など現代作家の用例も集められていています。

 帯にも「感じる辞典」とあり、軽い遊びのようなものかと思いきや、実は、その解説の前に「Prefaceのようなメッセージ」と題された前書きがあり、ソシュールの言語理論がどうのこうのとあって、旧来のアカデミズムに対して新たな視座を示すと言うか、随分気合が入っている様子も。
 要するに、本書刊行の頃に流行った「ニューアカ・ブーム」に同調するものらしく(「スキゾ=パラノ・ハイテク・マニュアル」というサブタイトルからしても)、確かに、"現代作家"の用例の中に、浅田彰、中沢新一、栗本慎一郎、柄谷行人などのものもあるし、上野千鶴子や山口昌男なども出てきます(このアンバランスが、たまたま"二重に"時代を感じさせ、またアクセントとなって面白いのかも)。

 「ニューアカ」云々に関わらず、こういうのは「手書き文化」の産物だという気がし、本書にも事例があるようにCMコピーや商品名では一定のサイクルのもとに興隆するけれど、ワープロ文化、ワープロ原稿全盛となると、一般には衰えていくのではないでしょうか。先のことはわかりませんが、「昔の人は自由にやってたなあ」ということになるような気がします(今、巷で流布しているのは、「誤字」としての宛字だからなあ)。

 【1986年文庫化[角川文庫]/1995年再文庫化[講談社+α文庫(改題 『辞書にない「あて字」の辞典』)]】

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少子化の真因は「人口容量」の飽和化にあるというマクロ理論。「未来社会学」本。

日本人はどこまで減るか.jpg 『日本人はどこまで減るか―人口減少社会のパラダイム・シフト (幻冬舎新書 ふ 2-1)』 ['08年]

少子高齢化・人口減少.jpg '04年12月の1億2780万人をもって日本の人口はピークを迎え、'05年から減少に転じているわけですが、著者は「少子・高齢化で人口が減る」「子供が減り、老人が増える」「出生率が上がればベビーの数は増加する」といった、国内人口の減少に対する"通説"に論駁を加えるとともに、人口減少の理由として、生物学において動物の個体数減少の理由として提唱されている「キャリング・キャパシティー」(環境許容量が一杯になれば個体数は抑制される)という考え方を人類に敷衍し、但し、人間の「キャリング・キャパシティー」は動物と異なり人為的な文化的・文明的な容量であるため、そうした要素を勘案した「人口容量」として再定義したうえで、少子化の真因はこの「人口容量」の飽和化にあるとしています。

 著者によれば、人間の歴史において人口容量はそれぞれの経済発展や文明の段階ごと拡大しており、その結果として人類はこれまで5つの「人口波動」(増加と安定・減少のサイクル)を経てきたとしており、このことは日本だけの人口増加の歴史を見ても当て嵌まるとのこと、それぞれ減少・安定から増加に転ずる契機となったものを考察するとともに、現在は第5波の「工業現波」の時期であり、日本は人口容量が満杯になった「濃縮社会」であるとしています。

 総生息容量(P)=自然環境(N)×文明(C)
 人口容量(Ⅴ)=総生息容量(P)÷人間1人当たりの生息水準(L)
 著者の「人口容量」の公式はこのように表され、Pが伸びている時はLが伸びてもVにゆとりがあるが、Pが伸びなくなってLが伸び続けると、Ⅴが落ちるために人口は減少に転じるとのこと、Pが伸びない以上、Ⅴを上げるにはLを下げるしかなく、換言すれば、親世代は自らの生活水準を下げて子どもを増やすしかないが、それをしたくないために、生息水準(L)を維持して、子どもの方を諦める、それが晩婚・非婚という結婚抑制や避妊・中絶という出産抑制に繋がることになるらしいです。

 理屈としては面白いし、「格差社会」では人間1人当たりの生息水準(L)が低下するため人口容量(Ⅴ)は増えず、少なくとも人口容量を維持するためには、人口減少によって生じたゆとりが1人1人に適正配分されることが望ましいといった論は尤もであるという気がする一方、経済学でもそうですが、こうしたマクロレベルの理論は結局のところ全て"仮説"に過ぎないのではという気もして、その"仮説"に過ぎないものに基づいて、"近視眼的な"少子化対策などを批判しているのはどうかなあという気も。

 総生息容量(P)増大に繋がる新たな基盤文明(未来文明)へのブレークスルーとして、「新エネルギーの育成・創造法の確立・拡大」を掲げており、アルビン・トフラーの向こうを張ったような文明論は、著者の専門の1つが「未来社会学」であることと呼応しているわけだと読後に改めて気づいた次第。

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「複雑系」疑似科学を取り上げたことで面白くなったが、全体的にインパクト不足。

疑似科学入門.gif 『疑似科学入門 (岩波新書 新赤版 1131)』 ['08年]

 冒頭、疑似科学と言われるものを、「第1種疑似科学」(占い系、超能力・超科学系、擬似宗教系など科学的根拠の無い言説)、「第2種疑似科学」(永久機関・ゲーム脳、マイナスイオン・健康食品・活性酸素・波動、各種確率や統計など、科学の装いを取りながら実態の無い言説)、「第3種疑似科学」(環境問題、電磁波被害、狂牛病、遺伝子組換え作物、地震予知、環境ホルモンなどの科学的に証明しづらい「複雑系」)の3つに分類しています。

水の記憶.jpg それぞれについてどういった種類のものがあるのか、「第1種疑似科学」を信じる人間の心理作用や「第2種疑似科学」が世の中にはびこる理由(これ、"健康"と"カネ"が結びついたものが多い)は何かを考察的に整理していますが、まあ、自分に関しては大丈夫かな、という感じで、「水の記憶」なんてバカバカしい"水ビジネス"もあるんだといった野次馬感覚で読み進み、著者の言っているそのワナに嵌まらないための"処方箋"というのも、真っ当過ぎてインパクトが弱いような気がしつつ読んでいました。

 ところが、「第3種疑似科学」=「複雑系」のところに入って、自分の疑似科学に対する"免疫"度に少し自信が持てなくなってきたというのが正直なところ(「複雑系」の全てが「疑似科学」に含まれるわけではないとは思うが)。
 著者自身、「第1種」「第2種」だけで本を纏めるにはあまりにインパクトがないと思いつつも、「第3種」を疑似科学に含めるかどうかについては逡巡したらしく、また、明確な科学違反とは言えない「第3種」への"処方箋"として持ち出した、「不可知論に持ち込むのではなく、危険が予想される場合はそれが顕在化しないような予防的な手を打つべきである。その予想が間違っていても、人類にとってマイナス効果は及ぼさない」という「予防措置原則」の考え方に対してすら、あとがきにおいて、金科玉条的な「予防措置原則」は疑似科学の仲間入りをすることも考えられると、慎重な姿勢を見せています(じゃあ、どうしてそんな曖昧な姿勢のまま本書を書いたのかということについては、批判を覚悟しながらも、これにより議論が拡がれば、ということらしい)。

 疑似科学を振りまく学者もどき(例えば「環境問題は存在しない」という"小言辛兵衛"型の科学者)は困ったものですが、それを批判する側の姿勢(多くが反論のための反論になってしまっている)にも、全否定で臨むのではなく、「部分的には受け入れても全面的に信用しない」姿勢が求められるとしている点が印象に残りました。

 著者の池内了(さとる)氏は、ドイツ文学者でエッセイストの池内紀(おさむ)氏の実弟で、宇宙物理学者でありながら、漱石や寺田寅彦などの再評価も行っている人(本書にも、寺田寅彦の言葉とされる「天災は忘れた頃にやってくる」が引用されている)、本書は社会評論としても読めますが、「複雑系」のところで具体例を挙げている分、この辺は諸説あるテーマが殆どであるために、本書自体がバッシング対象となる可能性もあるように思われます(著者の参照している情報源が限定的であることは確か)。

 著者の科学者としての眼は冷静であるように思え、また個人的には、著者の自省的な考え方に一定の共感を抱いたのですが、「第3種疑似科学」について触れた部分を含めても、本全体としてのインパクトはやや弱かったか。

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評伝としての部分も、日本を含む文化に与えた影響の部分についても前著より詳しい。

アメリカでいちばん美しい人.jpg              マリリン・モンロー 岩波新書.jpg   荒馬と女2.gif「荒馬と女」(1961)
アメリカでいちばん美しい人―マリリン・モンローの文化史』 ['04年] 『マリリン・モンロー (岩波新書 黄版 (381))』 ['87年]

Andy Warhol "Marilyn (pink)"
Andy Warhol.jpg 著者の新書版『マリリン・モンロー』('87年/岩波新書)は、著者自身によれば、モンローをめぐる「文化」についての本であって「伝記」を目指したものではなかったとしていますが、本書では、Ⅰ・Ⅱ章でモンローの生涯を前著より掘り下げ、多くの伝記や評論を参照しつつ、写真も豊富に交えて(表紙の"ジャンプするマリリン"もいい)より評伝風に記す一方、Ⅲ・Ⅳ章で、モンローの人間性と女優としての系譜を探るとともに、死後、彼女が「愛の女神」としてイコン(偶像)化される過程を、アンディ・ウォーホルの作品に代表されるようなアメリカ文化の展開と合わせて論じています。

 新書版にあったことと重なる内容も少なくないのですが、これも前著にもあった日本の大衆文化やアーティストたちに与えた影響についても、近年のものまで含めてより詳細に紹介されていて、新書版の方が入手しにくいこともあり、これはこれで堪能できる1冊と言えるのではないでしょうか。

 Monroe and Arthur Miller  Monroe and Truman Capote
Marilyn Monroe with Arthur Miller.jpgMarilyn Monroe and Truman Capote.jpg 文学者との関係において、前著ではノーマン・メイラーが重点的にとりあげられていましたが、本書ではその他に、アーサー・ミラー(モンローの最後の夫でモンロー主演の遺作「荒馬と女」のシナリオを書いている)、トルーマン・カポーティ(自作「ティファニーで朝食を」の主演にモンローを推したがハリウッドはオードリー・ヘップバーンを選んだ)なども取り上げています。

 アーサー・ミラーは大男、トルーマン・カポーティは小男でしたが、モンローの好みは長身の男? 「荒馬と女」の撮影ではクラーク・ゲーブルに好意を寄せたようだし。もっとも、もう1人の共演者、モンゴメリー・クリフトはホモセクシュアルでしたが(因みに、モンローに恋したトルーマン・カポーティもホモセクシュアルだった)。

荒馬と女 パンフ.jpg 上のモンローとアーサー・ミラーの写真は、アーサー・ミラーが「荒馬の女」(1961年)の撮影現場を訪れた時のものですが、この時はもう既に夫婦仲は冷え切っていたものになっていたようです。

「荒馬と女」リバイバル公開時チラシ
荒馬と女 リバイバル公開時チラシ.jpg 映画自体はいかにも劇作家らしい脚本、砂漠で繰り広げられる心理劇という感じで、個人的にはイマイチでしたが、モンローの遺作となっただけでなく(1962年没(享年36))、クラーク・ゲーブル(1960年没(享年59))にとっても遺作となった作品で(ゲーブルはこの作品の公開前に亡くなっている)、モンゴメリー・クリフト(1966年没(享年45))もこの作品の公開後5年ほどで亡くなっていることに因縁めいたものを感じます(因みに、モンローは生前、モンゴメリー・クリフトについて、「私よりネがクライ人なんてモンティーしかいないわ」と言っていたという)。

 本書に何度か引用されている「ヘミングウェイとモンロー。彼らの名前はそっとしておけ。彼らは私たちにとって、2人のアメリカでいちばん美しい人だった」という言葉を述べたノーマン・メイラー).jpgのはノーマン・メイラーですが、モンロー自身はヘミングウェイを、彼がハンティングを好んだという理由で好きでなかったというのは面白いエピソードです。大女優には動物愛護主義者が多いのかな(「荒馬と女」での彼女の役どころもそれに近い要素を持ったキャラクターなのだが)。

 全体を通して著者の最も言わんとしていることは、「マリリンの前にマリリンなく、マリリンの後にマリリンなし」ということであるように思えました。

Jayne Mansfield
Jayne Mansfield.jpg モンローの後継者とされたジェーン・マンスフィールドが、モンロー以上の巨乳である上に「知能指数158」という宣伝文句だったというのは、モンローの死後、「白痴美」と思われた彼女の言動を後で振り返ってみると、実はモンローかなり頭のいい女性だったと思われたということと関係しているのではないだろうかと、個人的には思いました。よくモンローに比されるマドンナも、知能指数は140以上あると聞きますが、ただし著者は、両者を異質のものとして捉えているようです。両者の時代の間にフェニミズム運動があって女性からの受容のされ方が異なり、またイメージ的にも、マドンナの基調は"黒"であるのに対し、モンローは"白"であるとのことです。

 モンローがドストエフスキー作品などを読んで自分を高める努力をし、リー・ストラスバーグ主宰の「アクターズ・スタジオ」に通って演技を学んだことは、自らの人気と実力のギャップを埋めようした葛藤として知られていますが、周囲はそうした彼女の努力が逆に彼女の魅力をスポイルするのではと危惧した―そうした中で、演技の大家ストラスバーグ(「ゴッド・ファーザーPARTII 」に役者としても出ていたなあ、この人)が、モンローとマーロン・ブランドが、彼の門下で最も優れた才能の持ち主であると認めていたというのは、大変興味深いことです。

ティファニーで朝食を.jpg でも、トルーマン・カポーティからの「ティファニーで朝食を」の出演依頼を断ったポーラ・ストラスバーグは、リー・ストラスバーグの妻でアクターズ・スタジオのコーチだった人なんだなあ。作家の井上篤夫氏によると、彼女は「荒馬の女」に関しても、「私は『荒馬と女』のひとコマひとコマに携わってきたわ。私の仕事ぶりはスクリーンに表われている」と言っており、ジョン・ヒューストンは、「ポーラには思い知らせてやるつもりだ。この映画を牛耳っている」と怒っていますから、相当干渉したのでしょう。

荒馬と女.jpg「荒馬と女」●原題:THE MISFITS●制作年:1961年●制作国:アメリカ 「荒馬と女 [DVD]」 ●監督:ジョン・ヒューストン●製作:フランク・E・テイラー●脚本:アーサー・ミ大井ロマン.jpg大井武蔵野館.jpgラー●撮影:ラッセル・メティ●音楽:アレックス・ノース●時間:124分●出演:マリリン・モンロー/クラーク・ゲーブル/モンゴメリー・クリフト/イーライ・ウォラック/セルマ・リッター/ジェームズ・バートン/エステル・ウィンウッド●日本公開:1961/06●配給:セントラル●最初に観た場所:大井ロマン (85-09-22) (評価:★★★)●併映:「白鯨」(ジョン・ヒューストン) 
大井ロマン(大井武蔵野館) 1999(平成11)年1月31日閉館

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画家もその時々において大変だったのだなあ(或いは、「色々計算していたのだなあ」)と。

近代絵画の暗号.jpg         フラゴナール、『閂(かんぬき)』.jpg  ジェリコー「メデューズ号の筏」.jpg
近代絵画の暗号 (文春新書)』 フラゴナール 「閂」     ジェリコー 「メデューズ号の筏」

 近代絵画の名作に隠された暗号、本書での"暗号"とは、絵をじっと見つめていてもわかるものではなく、その絵が描かれた際の政治・経済・社会・世相・科学などの時代背景と、その時に画家の置かれた状況との相関において読み解いていくもの、ということになります。

アングル 「グランド・オダリスク」     
アングル「グランド・オダリスク」.jpg 著者によれば、美術評論の世界では70年代の「古色蒼然たる作品論・作家論が未だ幅を利かせて情報の更新を怠っている」とのことで、「誰もが知っている名画」ほど、ある意味「誰にも顧みられない名画」になっているとのこと、本書では、名画の背後にある歴史を紐解き、その絵が描かれた動機や意図を新たな視点から探っています。

 その著者の視点でいくと、フラゴナール「閂」は、宮廷画の時代に遅れて登場した画家が、仄暗い宮廷のエロスを大衆ヴィジュアルメディアに持ち込み大衆の下卑た心を刺激したものであり、ジェリコー「メデューズ号の筏」は、漂流者の間でのカニバリズム(食人)が憶測された実際の事件を"視覚的報道"として写真週刊誌並みに表したもの、アングル「グランド・オダリスク」は、ナポレオン時代の帝室画家だったのが王政復古によってクライアントを失い、ギリシャ・フェチ(ヌード・フェチ)の作品が王政下でウケるか賭け出た作品であるとのこと。

マネ 「草上の昼食」        マネ 「オランピア」.
マネ「草上の昼食」.jpgマネ「オランピア」.jpg 更には、マネ「草上の朝食」は、写真技術の開発と一般への広まりに先駆けて撮影者の視点からスキャンダラスな要素を含ませながら計算づくで描いたもの、同じくマネの描いた「オランピア」に至っては、資本主義の台頭により社会も文化も偽善的な性倫理の上に成り立つようになっていく風潮を、娼館の女性を描くことでスキャンダラスに告発した確信犯的作品と言うことになるらしいです(著者の論を端的に解釈すれば)。

 全てその通りかどうかは別として(と言っても、異論を挟むほどの知識がこちらには無い)、我々は名画を「芸術作品」と崇めがちですが、「芸術」そのものが動機や目的になるものではないということは改めて思った次第です。画家もその時その時において、生活の工面や世間への思惑などがあって大変だったのだなあ(或いは、「色々計算していたのだなあ」)と思わされました。

マグリット 「ピレネーの城」/ゴーギャン 「黄色いキリストのある自画像」
ルネ・マグリット 「ピレネーの城」.jpgゴーギャン「黄色いキリストのある自画像」.jpg 「古色蒼然たる作品論」にアンチテーゼを投げかける著者の意気込みはわかりますが、そうした周辺や背後の状況を知らねばこの絵は理解できないとなると、また新たな知識的権威主義に陥ってしまうので、そうしたことを知ることで、名画の違った側面が見えてくるという程度の捉え方でもいいのではないでしょうか。

 ゴーギャン「黄色いキリストのある自画像」には、有能な証券マンだったゴーギャンが脱サラして専業画家になったことで家族から見捨てられた苦渋が表れていて、マグリット「ピレネーの城」は宙に浮かぶ飛行船のイメージであるとしていますが、それぞれの背景に、大手証券会社の倒産による株暴落事件があったとか、自宅屋根に飛行船が不時着した事件があったなどと、読んでいて面白いことは面白いけれど、フツーの人にはそこまでのことはわからないし。

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解説が不親切な部分もあったが、「モノライン」「再証券化」のカラクリ部分だけでも読む価値はあった。

サブプライム後に何が起きているのか.jpg 『サブプライム後に何が起きているのか (宝島社新書 270)』 ['08年] サブプライム問題とは何か.jpg 『サブプライム問題とは何か アメリカ帝国の終焉 (宝島社新書 254)』 ['07年]

 前著『サブプライム問題とは何か』('07年11月/宝島社新書)は、サブプライム問題表面化後、一般向け新書としては比較的早期に刊行されたこともあり、また、大学生や社会人になって間もない人を読者として想定し、複雑なこの問題を「わかり易く解説」したということもあって、好評を博したようです。

 但し、金融のプロが書いたものとしての"シズル感"は伝わってくるけれど、1冊に多く詰め込みすぎて細部においての説明に粗さも見られ、全くの素人相手ではなく、著者のブログを読んでいるような人向けの再整理用といった感じでした(実際、ブログ同様に時系列で書かれていて、そのことが、取り敢えず"シズル感"としての面白さを醸しているのかも)。

 続編となる本書では、サブプライム問題のおさらいをするとともに、前回薄くカバーした問題の中で重要と思われる部分を掘り下げ、また、新たに噴出した問題等をとりあげていますが、やはり、ちょっと難しく感じられる部分もありました(皆さん、全部わかるのかな、これ読んで)。

 ただ、ピンポイントで掘り下げて解説されている箇所に該当する「国富ファンド」とは何かといったことなどについては確かにわかり易く書かれていて("ソブリン"と名のつく投資信託などは国家機関が運用しているわけだ)、資源エネルギーの輸出代金を溜め込んだUAE(原油)やオーストラリア(多分、"鉄鉱石"だと思う)のような国のものと、貿易黒字を溜め込んだ中国やシンガポールのような国のものの2タイプがあり、最終的にはこうした"金余り国"の資本がアメリカの金融機関の危機を救うことになるのかと(アメリカの今の状況が「日本の失われた13年間」に酷似しているという指摘は興味深い)。

 結局アメリカは再生するのか、次なる世界経済の覇者は中国か、はたまた中東かといったことについて、著者の問い掛けは多いものの、近況分析から先の将来的な断定的予測は避けているように思え、基本的にこの人はウォッチャーなのだなあと。

asahi.com より
モノライン.jpg サブプライム破綻の影響が最も大きかったのが、シティなど大手銀行に加えてメリルリンチなどの大手証券だったように、住宅ローンの証券化が背景にあったわけですが、問題が深刻化した原因は、それらに「モノライン保険会社」というもの(更には「格付け機関」)が噛んだ住宅ローンの「再証券化」によるものであった―。
 モノライン保険会社とは、金融保証業務を専門とする会社のうち複数の保険を扱う一般の保険会社をマルチラインと呼ぶのに対し、金融債務のみを対象にする企業のことで、約2兆ドルもの債権を保証していますが、今回は、このモノライン保険会社の格付け引き下げが、サブプライム破綻の引き金になったことがわかります。

 このモノライン保険会社は、もともと地方債の保証が中心だったのが、近年は保証対象を住宅ローン債権のような証券化された商品にまで広げ、最上級格付けトリプルAの信用力をバックに業容を拡大してきたとのことで、財政難の自治体や、業績に問題のある企業などが公社債を発行する場合、資金調達も思うようにいかないので、本来は低格付けされ利率を高くする必要があるのに、格付けがトリプルAのモノライン保険会社がその債権を保証するとトリプルAに格上げされて資金調達が円滑になるということで、そこに「再証券化」という金融工学的なカラクリが仕組まれている(売れ残ったローン証券をかき集めて、相対的にトリプルAの部分を"創出"し続ける)とのことで、まるで破綻が"予告"されているような仕組みではないか、これでは。

 この辺りの、前著であまり触れられていない"カラクリ"部分が本書ではわかり易く解説されており、本全体に素人に対する親切さを欠いている(自分が普段勉強していないだけと言われればそれまでだが)不満はあるものの、この部分だけでも読む価値がありました。

 強引にトリプルA評価の商品を作る「再証券化」という仕組みは、実態と解離した"金融ゲーム"の世界であると同時に、クローズドの世界であり、こうした事態になって初めて実態を知り、ビックリさせられた人も世界中に大勢いたのでは。
 著者自身、証券化商品に関して素人であり、この部分は専門家のアドバイスを得て書いたと後書きにあり、"金融のプロ"でも全てを知りえないほど、この分野は高度化・複雑化しているということでしょうか(金融機関 vs.個人として見れば、こうした金融工学商品の危うさが意図的に"隠蔽化"されてきたとも言える)。

《読書MEMO》
●リーマンショック
2008年9月15日アメリカの証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻に端を発し、株価が大暴落した。
リーマンショック  .png

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自分の無知に気づき嫌気がさす前に、読み終わってしまう気軽さ。

ことわざの知恵.gif 『ことわざの知恵 (岩波新書 新赤版 (別冊7))』 ['02年] 四字熟語ひとくち話.gif 『四字熟語ひとくち話 (岩波新書 新赤版 別冊 10)』 ['07年]

岩波ことわざ辞典.jpg 岩波書店編集部員がことわざ研究家・時田昌端氏の『岩波ことわざ辞典』('00年/岩波書店)の刊行を手伝った際に気がついた、ことわざの色々な側面や「目から鱗が落ちる」(57p)エピソードを拾い集めた本で、1ページにことわざ1つずつ収め、説明も至極簡潔、かつ軽妙洒脱で(「赤信号皆で渡れば怖くない」(27p)なんていうのも含まれている)、楽しく一気に読めました。

岩波ことわざ辞典』 ['00年]

 「医者の不養生」と「紺屋の白袴」のニュアンスの違い(9p)など、何となくわかっていても、きちんと説明されてなるほどという感じ。医者の場合は単なる言行不一致だけれど、紺屋の方は、忙しく手が回らないということか。「紺屋の明後日」(10p)なんて言われるのも、天候次第で納品が遅れることがあるわけだ。紺屋さん、大変だなあ(自社のサイトが更新されていないホームページ制作会社っていうのはどっちに当たる?)。

 「年寄りの冷水」(128p)とは、冷水を浴びているのではなく、冷たい生水をがぶ飲みしている図であり、「知らしむべからず、由らしむべし」(129p)とは、「十分な知識の無い民衆に、政策の意味や理由を理解させることはできないだろうが、政策が間違っていなければ従わせることはできる」という意味であって、民衆には何も知らせるなということではないのだ。

 こうしたことわざの誤釈も多く紹介されていますが、「船頭多くして船山に登る」(120p)が「大勢が力を合わせれば何でもできる」とかいうのはまさに珍解釈、「灯台下暗し」(135p)は「トーダイ、モト、クラシ」であり、ここで言うトーダイとは、岬の灯台ではないし、「天高く馬肥える秋」(138p)の馬とは、北方の騎馬民族の馬であり、もともとは事変に備えよということらしいけれども、こうなるともう元の意味では使われていないなあ。

 たまにこういうの読むと自分の無知に気づき、いやになることもありますが、ページ数も175ページしかなく、嫌気がさす前に読み終わってしまう気軽さも却っていい。

 このシリーズでは、あと、『四字熟語ひとくち話』('07年)がお薦めで、こちらも1ページに1つずつ四字熟語を収めていますが、解説がエッセイ風とでも言うか、時折世相への風刺も入って、「天声人語」を読んでるみたいな感じ。

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モンローの魅力の秘密を思い入れ込めて解くとともに、モンローをめぐる「文化」について考証。

マリリン・モンロー.gifマリリン・モンロー 岩波新書2.jpg    亀井 俊介.jpg 亀井俊介・東大名誉教授

マリリン・モンロー (岩波新書 黄版))』['87年]

Marilyn Monroe by Ben Ross.jpg 著者は、「近代文学におけるホイットマンの運命」研究で日本学士院賞を受賞したアメリカ文学者(この人、日本エッセイストクラブ賞も受賞している)。著者によれば、マリリン・モンロー(1926-1962/享年36)は、生きている間は「白痴美の女」と見られることが多かったのが、その死を契機として同情をもって見られるようになり、謀殺説などもあってハリウッドに殺された犠牲者とされる傾向があったとのこと。著者は、こうした、彼女を弱者に仕立て上げるあまり、彼女が自分を向上させていった力や、積極的に果たした役割を十分に認めない考えに与せず、確かにハリウッドの強制によって肉体美を発揮したが、それだけではなく、アメリカ娘の心の精華のようなものを兼備していて、それらが溶け合わさったものが彼女の永続的で普遍的な魅力であるとしています。
Marilyn Monroe photo by Ben Ross

 ノーマ・ジーンとしての生い立ちからマリリン時代になりスターの地位を築くまで、そして突然の死とそれに伴う風評について、彼女について書かれた幾つかの伝記も参照しながら語られていますが、本書自体は伝記を目的としたものではなく、1つは、そうしたマリリン・モンローの魅力とは何だったのかということについて、個人的な思い入れも含めて考察し、もう1つは、生前・死後を通じて、彼女の存在やその魅力がアメリカの文化とどのように呼応し合ったかということを考証しているような本です。

Norman Mailer.jpgNorman (Kingsley) Mailer (1923-2007).jpg 更に本書の特徴を挙げるならば、マリリン・モンローに強い関心を抱きながらも彼女に逃げられ続けたノーマン・メイラー(1923 -2007/享年84)のことが、少し偏っていると言ってもいいぐらい大きく扱われていて、これは、モンローとメイラーに"精神的な双生児"的共通点があるとしている論評があるのに対し、両者の共通点と相反部分を著者なりに解き明かしたもので、この部分はこの部分で興味深いものでした(メイラーは結局、モンローに会えないまま、モンローの死後、彼女の伝記を書いているが、モンローはメイラーに会うことで自分が何らかの者として規定されてしまうことを避けたらしい)。
 Norman (Kingsley) Mailer (1923-2007)

Milton Ebbins pushed Monroe onstage for her famous rendition of Happy Birthday (Mr President).jpgMonroe onstage for her famous rendition of Happy Birthday (Mr President)

 ジョン・F・ケネディ大統領の誕生祝賀パーティーで「ハッピー・バースデー」を歌ったという有名な場面も、歌の出向田邦子3.jpgだしはおぼつかなく、作家の向田邦子は、「大丈夫かな」と会場全員の男女を「子どもの学芸会を見守る親の心境」にさせておいて、最後は情感を込めて見事に歌い上げ、満場の拍手を得る―「影の演出者がいたとしたら、その人は天才だと思った」と書いていますが、著者は本書において「マリリン自身が天才だったのだ」とし、モンローには「政治家ふうの計算」はできなかったが、「政治家よりも豊かな心で、民衆の心と通い合うすべを完全に見につけていた」としています。

【1995年選書化[岩波新書評伝選]】

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インディ・ジョーンズ的自伝から、目立ちたがりと内向性の並立した複雑な性格をあぶり出す。

アラビアのロレンス37.JPG アラビアのロレンス 岩波改版版.jpg  『知恵の七柱』(全3巻).jpg アラビアのロレンス.jpg
アラビアのロレンス (1963年)』/『知恵の七柱 (1) (東洋文庫)』(全3巻)/映画「アラビアのロレンス」(1962)

アラビアのロレンス奥.JPG トーマス・エドワード・ロレンス(1888-1935)が第1次大戦後に書いた自伝『知恵の七柱(全3巻)』('68年/平凡社東洋文庫)の新訳の刊行が'08年8月からスタートしており、今もって根強い人気があるのかなあと。映画 「アラビアのロレンス」で知られるT・E・ロレンスは、第1次世界大戦中、トルコの圧政に抵抗して蜂起したアラブ人を率いて戦い、生涯で9回の戦傷、7回の航空機事故、33回の骨折に遭うなど何度もインディ・ジョーンズ   .jpg死地を脱してきた軍人で、考古学者でもあり、ちょっとインディ・ジョーンズっぽい感じもします(7回も航空機事故に遭えば、普通はその何れかで事故死しているのではないか。「知恵の七柱」というのも何だか冒険映画のサブタイトルみたい。映画「アラビアのロレンス」自体、その「知恵の七柱」を翻案したものなのだが)。

旧版(1940年初版)  映画ポスター (1963年日本公開)
アラビアのロレンス1.jpgアラビアのロレンス 映画ポスター.jpg 英文学者・中野好夫(1903-1985)による本書は、ロレンスの死後5年を経た'40年に初版刊行、'63年に同名の映画の公開に合わせ23年ぶりに改訂・補筆されています(自分が読んだのは改訂版の方で、著者が改訂版を書いた1963年時点でも、『知恵の七柱』の日本語訳は未刊だった)。

 ロレンスの生い立ちから活動の変遷とその時代背景の推移、自身の華やかな過去の名声からの隠遁とオートバイ事故によって死に至るまでを描いており、政治史的な背景についての説明もなされていますが、記述の大部分は、『知恵の七柱』を参照しており、文学書の読み解きといった感じもします。

 修辞的表現が多いからと言って『知恵の七柱』を"創作"と言ってしまったらロレンスに悪いのだろうけれど、著者自身は、書かれていることの真偽を考察しながらも、概ね事実とみなしているようです。デヴィッド・リーンの映画がそもそも、この"砂漠の冒険譚"的要素に満ちた『知恵の七柱』をベースにしており、そのため、本書と映画との相性はバッチリといったところで、しいて言えば著者の訳が古風すぎるのが難点でしょうか。

Lawrence of Arabia - Thomas Edward Lawence.jpg ロレンスを神格化しているという批判もあって(彼は実は英国の国益ためだけに行動したという説もある)、そうだったのかなと思って読み返しましたが、政治的動機はともかく、軍事的な天才であったことは確かで、とりわけ、アラブ人を組織化して戦闘ゲリラ部隊を創り上げてしまう才能は卓越しています。

 また、中野好夫は文学者らしく、ロレンスの目立ちたがり屋と内向性の並立した極端かつ複雑な性格を、自伝や書簡、逸話などからよくあぶり出しているように思えました。女性との交わりが無かったこと(一生を通じて偏見的なまでの女性憎悪を抱いていた)、同性愛者と言うより性癖としてはマゾヒストだった可能性がある(そう思わせる記述が『知恵の七柱』にある)としていますが、このことは映画でも、敵に囚われ拷問されるシーンでウットリした表情を見せることで示唆されています。

 Lawrence of Arabia - Thomas Edward Lawence (1888-1935)
 
 映画と実人物の違いで、最も差があるのは身長かも知れません(長身のピーター・オトゥールに比べ、ロレンスは身長165cmと英国人にしては低かった)。でも、生来のスタイリストで、顔つきも鋭く、アラブ服を着ると映画のピーター・オトゥールと同じように見え、やはりカッコいいです。

Arabia no Rorensu(1962)
アラビアのロレンス 62.jpgArabia no Rorensu(1962).jpg
「アラビアのロレンス」●原題:LAWRENCE OF ARABIA●制作年:1962年●制作国:イギリス●監督:デヴィッド・リーン●製作:サム・スピーゲル●脚本:ロバート・ボルト●撮影:フレデリック・A・ヤング/ニコラス・ローグ ●音楽:モーリス・ジャール●原作:T・E・ロレンス 「知恵の七柱」●時間:207分●出演:ピーター・オトゥール/アレック・ギネス/アンソニー・クイン/オマー・シャリフ/ジャック・ホーキンス/アーサー・ケネディ /アンソニー・クエイル/ホセ・ファーラー/クロード・レインズ/ドナルド・ウォルフィット/マイケル・レイ/ジョン・ディメック●日本公開:1963/12●配給:コロムビアラビアのロレンス(洋画ポスター).jpgアラビアのロレンス 1971.bmpアラビアのロレンス 1970.bmpア映画 ●最初に観た場所:高田馬場ACTミニシアター(84-01-14)(評価:★★★★)●併映:「七年目の浮気」(ビリー・ワイルダー)/「フロント・ページ」(ビリー・ワイルダー)

映画チラシ (1970年/1971年/1980年 各リヴァイバル公開時)

 
 

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「おばさん」っぽい者同士(?)の対談は、"聞き手"である養老氏がリード。

逆立ち 日本 論.jpg 『逆立ち日本論 (新潮選書)』 ['07年] 私家版・ユダヤ文化論.jpg 内田 樹 『私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)』 ['06年]

 内田氏と、内田氏の『私家版・ユダヤ文化論』('06年/文春新書)の帯の推薦文を書いていた養老氏が、雑誌「考える人」で対談したもので、両者の本格対談は初めてらしいですが(養老氏、対談本多いなあ)、人気者2人の対談ということで、内容が濃かろうと薄かろうと、予め一定の売上げは見込まれたのでは。
 これを「選書」に入れるということは、「選書」の独立採算を図ろうとしているのであって、「選書」だからと言って内容が濃いわけではなかろう―という穿った気持ちで本書を手にしましたが、まあ、当たらずも遠からずといった感じでしょうか、個人的感想としては。

 本書の内容に触れようとするならば、元本である『私家版・ユダヤ文化論』にも触れなければならなくなるので、敢えてここでは割愛しますが、本書だけ読んでも、もやっとした理解度に止まるのではないかと...。

 「この対談では、内田さんに大いに語ってもらいたかった。だから私は聞き手のつもりでいた」と養老氏は前書きしていますが、前段部分は確かに、『私家版・ユダヤ文化論』についての内田氏による補足説明のような感じも。
 これが、元本よりも丁寧だったりするので(補足説明だから当然か?)、そう考えると元本の結論部分はやはり新書ということで紙数不足だったのかとも思ったりし、逆に、元本を読まずに本書に触れる人に対しては、やや説明不足のような気がしました。

 但し、内田氏によれば、内田氏自身の話したことはほぼ活字化されているのに対し、養老氏の喋ったことは半分ぐらい削られているとのことで、実際に対談をリードしているのは養老氏という感じ。
 中盤の時事批評的な話は、養老氏は『バカの壁』の2年前から社会時評を雑誌連載していることもあり、時事ネタへの"独特の突っ込み"はお手のものですが、ちょっと飽きたかなあ、このパターン。

 ただ、最後の方になって、養老氏が自ら言うところの「"高級"漫才」と呼べるかどうかは別として、何となく味わいが出てきたかなという感じで、相変わらず読んで何が残ると言い切れるようなものではないけれども、ヒマな時にブラッとこの人の対談とか読んで、頭をほぐすのもいいかな、と思わせるものがありました。

 内田氏が対談の冒頭、本書の企画は、編集担当が内田氏と養老氏が「おばさん」っぽいところが共通していると感じたことから始まったことを明かしています。
 その「おばさんの思考」とは、頭で考えたことではなくて、どちらかというと非常に身体感覚的で論理がふらふら揺れ、極端に言えば、どんな結論にいこうと論理の次元が変わろうと気にしないのが「おばさん」であり、話のユニットが、連想とか関連語で(垂直方向ではなく)水平方向に繋がっていくのが特徴であると。
 内田氏の発言の中では、この「おばさん思考」が自らの思考方法に、及び養老氏のそれについても当て嵌まるとして分析していたのが、最もしっくりくる指摘でした。

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