【980】 ◎ 中村 健之介 『永遠のドストエフスキー―病いという才能』 (2004/07 中公新書) ★★★★☆

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自らの病を通して人間本性に潜む病(不条理)を示したという解釈に共感。

永遠のドストエフスキー.jpg 『永遠のドストエフスキー―病いという才能 (中公新書)』 ['04年]

 ドストエフスキーと言えば偉大な作家であり、深遠で観念的な人物像が浮かび上がりがちですが、本書はそうした既成のイメージを排して、そのパーソナリティの特徴は病であると断定し、ドストエフスキーの文学世界を理解するということは、ドストエフスキーという病気の人間を通して人間の病を理解することであるという立場に立っています。

 彼は、病的人物たちの活躍する小説を書いただけでなく、自らが心の病を持ち、病的な想像をする人間であると自覚し、実際に、社会や世間の病的な事件に強い関心を示したということ。また、ドストエフスキーの夫人アンナは、夫の異常なまでの心配性や被害妄想に「奇妙な人」(彼女の日記より)であるとの印象を持ち、夫の感情に巻き込まれないようにすることで、何とか自分を保ったということらしいです。

 「貧しい人たち」や「永遠の夫」に見られる、若い女性に対する男性側の被虐的とも思える立場には、そうした彼の意識が反映されていると思われますが、著者は、彼自身がそこに男女関係の理想を見出していたフシがあるとしています(両作品の男性主人公は共にマゾ的だが、これは作者の嗜好であるということか。ドストエフスキーはアンナへの懺悔の手紙で、自分を「永遠の夫」と呼び、アンナはこれを嫌ったという)。

 ドストエフスキーを語る上で「てんかん」は欠かせないものですが、この心配性や被害妄想はもっと若い頃からのもので、「統合失調症」による誇大妄想からくるものであると著者は推察していて(彼には「離人症」の傾向もあった)、迫害妄想は晩年まで治らなかったようですが、それがある種、願望的なかたちで作品に反映されていたということでしょうか。

 更に、本書で興味深い指摘だと思ったのは、理不尽に犠牲となる幼い子供が繰り返し作品に登場したり、嗜虐的と言っていい酷たらしい光景が作中に少なくなかったりする点において、ドストエフスキーには嗜虐傾向も強く見られるということで、彼は社会や市井で起きた弱者が虐待されるような事件に、激しく感応したという証言があるということ。

 ドストエフスキーには、嗜虐的な人物、被虐的な人物の両方に自分を重ねて夢想することが出来る資質があり(著者はこれを「なりすます才能」「腹話術師」などと呼んでいる)、著者の論に従えば、その人物になりきって残虐な場面を夢想し、或いは、迫害妄想や服従願望をリアルに描いた―ということになりますが、彼の作品のトーンや登場人物の病的な心理描写のリアルさ(かなり異常であったり極端に非常識だったりするのに、どこかでそした人を見たような感じもある)からみて、かなり説得力のある見方であるように思えました。

 「今時、病跡学?」「ドストエフスキーの偉大さを冒涜してる」等々の批判も聞かれそうですが、個人的には著者の考え方に大いに頷かされ、ドストエフスキー作品に触れてこれまで自分が抱いていた感触に裏づけを与えるが如く符号するものであるとともに、人間というものが普遍的に持つ暗部の深さについて考えさてくれる本でした(本書前書きにもそうした記述があるが、そうした人間の持つ不条理性を見事に描き切っている点が、ドストエフスキー作品が時代を超えて読まれる理由であると、著者は言いたかったのはないか)。

 但し、別々に発表したものをベースにした奇数章と、新たに書き下ろした偶数章という合体構成になっているため、各章の繋がりが必ずしも滑らかでない(あるいは重複が見られる)ように思えるのが、やや残念。

《読書メモ》
●ドストエフスキーの「考える」という能力は、感覚と想像を本体としていたと言えるだろう。いや、言葉による表現力はすぐれていたが、実はあまり「考える」ということはしていなかったのではないか。トルストイは、「ドストエフスキーはたくさんのことを感じた。しかし考えるのはだめだった」と言っている。理論はドストエフスキーにとっていわば下位にある。上位にある力は光景とイメージ」であり、かれの心身に植えつけられている異常に敏感で強い感覚が、それにふれて反応する。(114p)

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中村健之介さん(なかむら・けんのすけ=ロシア文学研究者、北海道大名誉教授)2022年9月22日、肺炎のため死去、83歳。

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This page contains a single entry by wada published on 2008年8月27日 23:03.

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