【976】 ○ 加賀 乙彦 『ドストエフスキイ (1973/01 中公新書) ★★★★

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文豪の創作の秘密を、"てんかん"という持病を軸に、病跡学的観点から解明。

加賀 乙彦 『ドストエフスキイ』.jpgドストエフスキイ 加賀乙彦.jpg 『ドストエフスキイ (中公新書 338)』['73年]嫌われるのが怖い 精神医学講義.jpg 『嫌われるのが怖い―精神医学講義 (1981年)』 朝日出版社(朝日レクチャーブックス)

 作家であり精神科医でもある著者が、文豪ドストエフスキーの創作の秘密を、彼の癲癇という持病を軸に、病跡学的観点から解き明かしたもの。
 何せ、ドストエフスキーの『死の家の記録』を読んで、医師としてのキャリアを刑務所の監察医からスタートすることを決心したぐらいドストエフスキーに入れ込んだ人であり、精神医学の大家・笠原嘉氏との対談『嫌われるのが怖い-精神医学講座』('81年/朝日出版社)の中でも、「病跡学にもし存在価値があるとするならば、ドストエフスキーとてんかんとの関係を文学創造の核に据えて考察することこそ、大事だと思います」と繰り返しています。

死刑囚の記録2.jpg また、監察医としての経験を通して書かれた『死刑囚の記録』('80年/中公新書)の中では、「死刑囚」と「無期囚」で拘禁ノイローゼの現れ方が、「死刑囚」には躁状態や爆発発作となって現れ、「無期囚」には拘禁ボケが見られるとしていますが、その前に書かれた本書('73年)で既に、ドストエフスキーの癲癇発作の前に異常な生命力の高揚と発作後の無気力を、それぞれ死刑囚の心理、無期囚の心理に似ているとしています。

 ドストエフスキーが18歳の時に、潜在的に期待していた父の死が実際に起こったことが、彼の癲癇発症の引き金となったとするフロイト説を、卓見としながらも一部批判していますが、結局、彼が若い頃から癲癇気質を示していたのか、何歳の時に最初の発作を経験したのか、といったことはよくわからないわけで、この辺りが、既に亡くなっている天才の病理を研究する病跡学の限界なのか、その後も病跡学というのは精神医学の中で亜流の位置づけをされているような気がします。

永遠のドストエフスキー.jpg 自分自身、本書を最初に読んだときは、ドストエフスキーの天才性の秘密に触れた気がして目からウロコの思いでしたが、その後、精神医学者ではなく文学者である中村健之介氏が、『永遠のドストエフスキー』('04年/中公新書)の中で、癲癇もさることながらドストエフスキーの異常なまでの心配性や被害妄想に着目しており、こちらの方がより説得力があるようにも思えました。

 但し、今回本書を読み直してみると、後半は病理としての癲癇にばかり執着するのではなく、性格学的なトータルな分析がされていて、また、登場人物と作者との関係性においても、作家らしい考察がなされていることを再認識しました(ドストエフスキーには登場人物に自分を投影させているという意識はなかったと、著者は考えているのが興味深い)。

 また本書の中でも、「私は病的な現象がすべて深遠で神聖だなどと言おうとしているのではない。癲癇者でありながら何一つ自分の体験から深い人間的意味をひきだすことのできぬ人も世には大勢いる。と言うよりほとんどの癲癇者はそうである。それに反して、ただ一人ドストエフスキイだけが癲癇という病的現象から深い透徹した人間的意味を発見し、それを文学に形象化することに成功した」(52p)のだとしています。

 これは、最近注目されているサバン症候群などにも当て嵌まる気がし、極めて稀な例ですが、異常なまでに高い言語能力を有するマルチ・リンガルのサバン症候群の人が、実は若い頃に側頭葉癲癇を発症し、「共感覚」という特殊な能力を獲得していたらしいことが、最近の脳科学の臨床例などでわかっている―。これとて、その患者が文学作品を編み出す素因には全くならないわけですが、やっぱり、癲癇という病気はその人の言語能力に何らかの影響を与えることがあるのではないかと思わせる話である気がします。

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