【945】 ◎ 宮崎 市定 『科挙―中国の試験地獄』 (1963/05 中公新書) ★★★★☆

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実感できる全国試験の過酷さ。試験にまつわる幽霊譚などの説話的な話が面白い。
 
科挙―中国の試験地獄.jpg          科挙 中公文庫BIBLIO.jpg     宮崎市定.bmp  宮崎 市定(1901- 1995/享年93)
科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))』['63年]/『科挙―中国の試験地獄 (中公文庫BIBLIO)』['03年]

 中国で隋の時代(587年)から清代(1904年)まで続いた科挙制度(元代に一時廃止)について、特に、それまでの「郷試」「会試」に加えて、天子自らが試験を行うという名目の「殿試」が行われるようになり、制度的に最も完成した(複雑化した)清朝の末期の制度の仕組みを中心に解説しています。

  「郷試」の前にも「科試」というものがあり、明代からはその前に「県試」「府試」「院試」「歳試」という学校入学試験(学校試)が設けられていて、まさにサブタイトルにある "試験地獄"ですが、その凄まじさは、本書にある「郷試」「会試」の実施手順を読むと、より実感します。
 「郷試」「会試」ともそれぞれ続けて3回試験があり、全国試験である「会試」の場合、試験前日から会場に入り、1回について2日かけて答案を作成するという作業が9日間続くので、殆ど監禁されている状態が何日も続くといった感じです。 

 試験科目が四書五経など儒学一本、それも暗記したものを書き写すのが主なので、近代化の時代と共に終わる運命にあった制度ですが、幅広い階層のほぼ誰もが受験出来て官吏への登用機会があるという点では、著者の言うようにそれなりの意義はあったと思えます。
 隋代の昔に制度化されていることを思うと尚更で、官吏養成システムである科挙は、「文民制度」の始まりとも言えるようです(著者によれば、中国で宋代以降、殆ど軍事クーデターが無かったのは、科挙による文民統治的な官僚制度が整備されていたためとのこと)。

 本書で大変面白かったのは試験や採点に纏わる説話的な話で、試験場に女の幽霊が現れて、昔自分を捨てた男が試験に集中出来ないように邪魔をするとか、試験官がたいしたことのない答案であるために落とそうとしたら「だめだ」という声が聴こえて落とせず、実はその答案を書いた男は善行の礼として若い女性から肉体提供の申し出を受けたが「だめだ」と自分に言い聞かせて勉強にうち込んだマジメな男だったとか、その逆に、いいと思って○にしたら夢に閻魔様が現れ×にしろと、そこで×をつけたが、やはりいい答案なので○に改めようとしたが×を書いた墨が落ちず結局落第させたが、その答案の主は素行の悪いことで評判の男だったことが後で判ったとか...。

 こうした話が生まれるのは、著者も考察しているように、試験が試験官の主観に左右される記述試験で、かなり"裏口"などの不正も行われていたようで、なぜあの人が落ちるのか、なぜアイツが受かるのか、みたいな話があって、そのことを「天網恢恢疎にして漏らさず」的発想(これは儒家ではなく老子)で合理化しているようにも思え、体制側から発生した面もあったかも。

 でも、そうした話が面白かった―。受験生の前に女幽霊が現れて合格を予言し、「あなたに地元の知事になってもらって自分を殺した男の罪を暴いてほしい」と言ったのが、実際その通り郷試・会試とも合格し、知事になった彼は過去の事件を暴いて女の怨みを晴らし、地元民からは名代官と言われたたとか(『聊斎志異』ではないが、何だか人間臭い幽霊譚が好きなのだなあ、中国人は)、試験に合格して喜びのあまり一時的に気の触れたヤサ男を正気に戻すために、普段彼を苛めていた乱暴者に頼んで(頼まれた男も、既に挙人となった男を乱暴に扱うことを最初は渋ったが)とりあえず一撃してもらったら正気を取り戻したとか(これは落語みたいな話)、大いに楽しめてしまいました。

 【1984年文庫化[中公文庫]/2003年再文庫化[中公文庫BIBULIO]】

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