【941】 ○ 板坂 元 『日本人の論理構造 (1971/08 講談社現代新書) ★★★★

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日本語独特の表現の底にある日本人の価値観を探り、日本文化論・日本人論へと展開。

日本人の論理構造2857.JPG日本人の論理構造.jpg 板坂 元 『日本人の論理構造』.jpg 板坂元.jpg 板坂 元 (1922-2004)
日本人の論理構造 (講談社現代新書 258)』 ['71年]

 「芥川の言葉じゃないが、人生は一行のボードレールにもしかない」ってまさに芥川の言葉なのに、どうしてわざわざ「芥川の言葉じゃないが」と言う表現を用いるのか? こんな切り口から入って、日本語の言葉の背後にある日本人独特の論理や価値観を探り出した本。

 著者の板坂元は、当時ハーバード大学で日本文学を教えていて、本書では先ず、英語には訳せない言葉を分析対象にしており、「なまじ」「いっそ・どうせ」「せめて」といった言葉をとりあげていますが(確かに英訳できないだろうなあ)、それらの分析がなかなか興味深かったです。

 日本語においては「れる・られる」「なる」といった自然発生的な感覚の表現(感じられる・考えられる・思われる・なりました・決まりました...etc.)が多いのは(この受身的表現も外国人には不可思議なものらしい)、"責任逃れ"する日本人の心性ともとられるけれども、"奥ゆかしさ"を重んじる日本人の心性の表れと見る方が妥当だろうと。

 「やはり」とか「さすが」というのも、日本語独特のニュアンスを含むわけで、無精髭で有名な男が格式ばった場に望んだ際に、「さすがに彼も髭を剃ってきた」「さすが、彼は髭を剃らずに来た」と相反する状況で使えるというのは、面白い指摘でした。

 著者によれば、日本語には、皮膚感覚的表現(手応え・滲み滲み...etc.)が多い一方で、空間(位置)感覚的言葉は少ないらしく(確かに、英語の前置詞などは種類も多いし用法もはなはだ複雑)、こうしたところから更に、日本文学における情景描写のあり方や浮世絵、連歌・俳諧など文学・芸術論に話は及び、後半になればなるほど、本書は、日本文化論、日本人論の色合いを強めていきますが、本書の刊行時、ちょうど『日本人とユダヤ人』('70年/山本書店)などの刊行もあって、世の中は日本人論ブームだったわけです。

日本人の人生観.jpg日本人の言語表現.gif 本書での著者の博学を駆使した日本語論は、金田一春彦『日本人の言語表現』('75年/講談社現代新書)と読み比べると面白いかと思いますが(この人の博学ぶりも"超"級)、著者の場合、長年アメリカで教鞭をとってきただけあって、英語圏との比較文化論的な視点において、多くの示唆に富んだものであると言えます。

 例えば、「明日、試験があった」という表現が成り立ってしまう(手帳にメモを見つけた際など)ような「時制」に対する日本人の感覚から敷衍して、常に「歴史」の流れの外側に身を置き、「歴史」を「思い出」としてしまう日本人の心性を指摘している点などは、山本七平『日本人の人生観』('78年/講談社)にある指摘に通じるものを感じました。、

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