【929】 ○ 飯田 経夫 『「豊かさ」とは何か―現代社会の視点』 (1980/01 講談社現代新書) ★★★★ (○ 飯田 経夫 『「ゆとり」とは何か―成熟社会を生きる』 (1982/01 講談社現代新書) ★★★☆)

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昨今の経済学者とは一味異なる視座を与えてくれる「豊かさ」3部作。

「豊かさ」とは何か.jpg  「ゆとり」とは何か.jpg 「豊かさ」のあとに.jpg   飯田経夫.gif 飯田 経夫(1932‐2003/享年70)
豊かさとは何か―現代社会の視点 (講談社現代新書 581)』『「ゆとり」とは何か―成熟社会を生きる (講談社現代新書 (655))』『「豊かさ」のあとに―幸せとは何か (講談社現代新書 (723))

「豊かさ」とは何か28861.jpg  理論経済学者・飯田経夫の本で、第1章で、「日本人はもう充分豊かになっている」「自分たちの住まいをウサギ小屋というのはやめよう」といい、これは当時('80年)としては多くから反発もありそうな呼びかけですが、そう述べる論拠を著者なり示していて、この章と、続く第2章で「ヒラの人たちの頑張りと平等社会」が日本を支えているという論は、今読んでもなかなか面白いし、外国人労働者が日本に入ってきたとき、日本の"平等社会"はどう変質するかといった考察などには、興味深いものがありました。

 この人はケインズ主義者であり、第3章以下では、1930年代の資本主義の危機の中で、ケインズが何をもたらし、何を変えたかを論じていますが、アダム・スミス以来の"自由放任"を終わらせたことよりも、ケインズ以前の"厳しすぎる"規律(均衡財政や金本位制)を終わらせたことにポイントを置いており、アダム・スミスに戻る流れに繋がる新古典派も、貨幣数量説のミルトン・フリードマンら反ケインズ派も、著者は認めていないようです。

 ただ、こうした経済政策論もさることながら、経済だけでなく日本社会をその特殊性をベースに考える著者独特の洞察は、輸入経済学を"翻訳"しているばかりの昨今の経済学者とは一味異なり、新たな視座を与えてくれるものでありました。

「ゆとり」とは何か2.jpg 著者は、本書を著した後も、日本経済が好況を持続し向かうところ敵無しという状況の中で、本当の意味での豊かさを問う『「ゆとり」とは何か-成熟社会を生きる』('82年)『「豊かさ」のあとに-幸せとは何か』('84年)を著し、これは講談社現代新書における「豊かさ」3部作というべきものになっていますが、当時としては、このようなテーマに執拗に注目している経済学者は少なかったのではないでしょうか(むしろ、社会学のテーマとされていた)。

 その後、更に、『日本経済はどこへ行くのか-危うい豊かさと繁栄の中で』('86年/PHP新書)で、マネーゲームの危うさなどを指摘していますが、バブル絶頂期に書かれた現代新書の第4作『日本経済ここに極まれり』('90年)においては、タイトルに反して当時の日本の好況を安定的な実力ではないと警鐘を鳴らしつつも、この人自身、それがいつか急激に弾けるバブルのようなものであるとまでは考えていなかったようです。

経済学の終わり-「豊かさ」のあとに来るもの.jpg しかし、バブル崩壊後、バブルを煽った多くの経済学者やエコノミストが何ら懺悔の言葉を発することがなかったのに対し、『経済学の終わり-「豊かさ」のあとに来るもの』('97年/PHP新書)で、「バブルに対して警告を発することなく、むしろそれを煽りさえした経済学者・エコノミストたちの罪は重い。私自身も」と反省しています(評価★★★★)。『経済学の終わり―「豊かさ」のあとに来るもの (PHP新書)

 地元である名古屋圏の地域経済の活性化にも関心を示し、新幹線「のぞみ」開通した時に東京-名古屋間の時間的距離が縮まることを喜びながらも、名古屋圏の文化・経済特性をどう維持するかが課題であると言っていたのが、印象に残っています。

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