【920】 ○ 森 三樹三郎 『「無」の思想―老荘思想の系譜』 (1969/10 講談社現代新書) ★★★★

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中国民族に根ざす思想と芭蕉にまで至るその系譜。宇宙・生命の起源論にまで及ぶテーマ。

「無」の思想.jpg無の思想 旧カバー.jpg 『無の思想―老荘思想の系譜 (講談社現代新書 207)』 ['69年] 

 中国で初めて「自然」の哲学を立てたのは老子・荘子ですが、本書によれば、「自然」の第一義は、「他者の力を借りないで、それ自身の内にある働きによって、そうなること」であり、この「他者」を人為または意識的な作為として捉えるとき、そこに「無為自然」の思想が現れる、つまり「自然」にとって「他者」は人為であり、人為を対立者として排除することが「無為自然」であるとのことです。

「無」の思想―老荘思想の系譜 3.jpg 「無」の思想―老荘思想の系譜4.jpg

 しかし、「老子・荘子」は、それぞれ一代で出来上がったものではなく、従って、そこに現れる「無為自然」の考え方にも、法や道徳で人を束ねようようとする為政者に対する批判としての自然回帰を説いた"虚無自然"(老子)から、形而上学的認識論としての"無差別自然(万物斉同)"(荘子)、中国民族の運命観に根ざす"運命自然"(荘子)、後の"数理自然"(陰陽五行説)、"本性自然"(性善説・性悪説)に繋がるものなど、同じ「無為自然」でも幾つかの異なる概念パターンが見られるようです。

 更には、これら「無為自然」とは別の、儒教の"則天自然"や列子、淮南子に見られる「有為自然」の考え方も見られるとのこと、更に更に、これも有為自然の1つですが、練習によって得られる"練達自然"(荘子)というものさえ説いていて、これは六朝時代以降の仏教に影響を及ぼしているとのことですが、何れにせよ、「老荘」に見られる諸概念は多岐広範であるとともに、中国人の死生観、宗教観・人生観に深い影響を及ぼしていることがわかります。

 仏教の中でも禅宗は最も老荘思想に近いものと考えられますが、著者は、老荘思想は「無為自然」のウェイトが高く、禅宗は「有為自然」のウェイトが高いのがそれぞれの違いだと言っており、確かに、座禅を組むということは、努力を伴う人為であり、有為自然と言えますが、一方、浄土教の「自然」(じねん)の概念は、親鸞の「自然法爾」までは「無為自然」に近いようです。

 本書後半では、こうした老荘の自然が、江戸時代の荻生徂徠ら儒学古学派や賀茂真淵、本居宣長らに与えた影響を探り、最後に、松尾芭蕉における「荘子」の影響と、彼の後期の「運命自然」観(「有為自然」である俳諧を捨て、「無為自然」の境地に)を考察していて、ここはなかなか興味深かったです。

 それと、冒頭で、「荘子」の脚注者としては現存最古である晋(3世紀)の郭象の荘子の読解に着目していて、郭象が、万物の主宰者の存在を否定するに止まらず、一般の物の生成には原因が存在しないという、独特の主張をしているというのが興味深かったです。
 老荘思想の根本には、「有は無から生まれる」という考えがありますが、郭象は、脚注者でありながら、「無は有を生じることはできない」としていて、老荘が「無」を唱えたのは、「有は有自身から生まれるもので、有を生じせしめるような他者は無い」という意味なのだと踏み込んで解釈しています(形而上学的には、こっちの方が洗練されている)。
 一見「老荘」を我田引水に解釈しているようで、実は「自然」の第一義に適った考え方であり(著者はこれを「無因自然」と呼んでいるが、同じ頃インドに無因論子という外道哲学の一派があり、偶然に同じようなことを言っていたらしい)、本書のメインタイトルに最も近いテーマであるとともに、宇宙や生命の起源論にまで及ぶ壮大なテーマでもあるように思えました。

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