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水木流に視覚化、キャラクター化された面も。
『妖怪画談 (岩波新書)』 ['92年] 『続 妖怪画談 (岩波新書)』 ['93年]
水木しげるの妖怪画集で、この人には先行して『妖怪談義』という柳田國男の著作と同名タイトルの本もあり、更に『水木しげる妖怪画集』('70年)などもありますが、この『妖怪画談』('92年)は新書で比較的入手し易いのが長所。『続・妖怪画談』('93年)では、中国の妖怪なども紹介されていますが、同じ岩波新書の『妖精画談』('96年)で、ケルト地方、北欧、ドイツ、フランス、ロシアほか海外の妖精まで追っかけて調べ、水木流の画にしています。
『妖怪談義』は'00年にソフトカバーで復刊しているほか、『妖怪画談』も'02年に愛蔵版が刊行されています(内容がそれぞれ同じかどうかは未確認)。
「塗壁」-『続・妖怪画談』より
ところで、『続・妖怪画談』には、「塗壁」(ぬりかべ)という妖怪が紹介されていて、これは、水木氏のマンガの比較的主要なキャラクターにもなっていますが(本書のデラックス版とも言える『愛蔵版 妖怪画談』('02年/岩波書店)の表紙にも、鬼太郎ファミリーの後ろにどんと構えている)、その解説に柳田國男の『妖怪談義』を参照しており、柳田國男の『妖怪談義』('77年/講談社学術文庫版)の「妖怪名彙」('38年)にある「ヌリカベ」の解説には、「筑前遠賀郡の海岸でいう。夜路を歩いていると急に行く先が壁になり、どこへも行けぬことがある。それを塗り壁といって恐れられている。棒を以て下を払うと消えるが、上の方をたたいてもどうもならぬといふ。壱岐島でいうヌリボウというのも似たものらしい」とあります。
水木氏はこれを、目と足を備えた壁のような画に描いていて、水木氏自身、戦時中に,南方で「ぬりかべ」に出会った(色は白ではなく黒だった)と書いていますが、'07年になって、川崎市民ミュージアムの学芸室長の所有する妖怪画が、アメリカのある大学の図書館に寄贈されている妖怪画と一致することが判り、後者に「ぬりかべ」と名があることから、これが「塗壁」を描いたものであるとされ、その姿は、水木氏の画とは全く異なり、中国風の「巨大な狛犬」のようなものに見えるものです(柳田の解説とも符号しないように思える)。
どこから食い違ってきたのか自分は専門家ではないのでよくわかりませんが、水木氏は、「柳田國男のあたりのものは愛嬌もあり大いに面白いが、形がないので全部ぼくが作った」と述べていて、水木氏の段階で、個人的な体験や見聞の影響も含めた創作が多分に入っているのは間違いなく、他の妖怪たちも皆、水木氏のマンガに配置されるとちょうど収まるようデフォルメのされかたをしているのは、それほど深く考えなくとも、見た感じでわかることではないでしょうか。
だからと言って、水木氏がインチキだというのではなく、柳田國男だって画にしなかっただけで、想像逞しく大いに"創作"していた部分はあったに違いないという気がし、"妖怪"というのは、元々がそうした想像力の産物だから、時と共に変遷するものなのだろうなあと。
朝日新聞「号外」2015年11月30日