【904】 ○ 柳田 國男 『妖怪談義 (1977/04 講談社学術文庫) 《(1956/12 修道社)》 ★★★★

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オバケと幽霊の違い、3つ言えますか?

『妖怪談義』gakujyutubunko.jpg妖怪談義.jpg  修道社 妖怪談義.jpg   柳田国男.jpg  柳田 國男
妖怪談義 (1977年)』 講談社学術文庫 『妖怪談義』(1956年12月/修道社) 
新訂 妖怪談義 (角川ソフィア文庫)』['13年]
『新訂 妖怪談義』(ソフィア文庫).jpg 個人的な話ですが、学生時代にサークルの同級生に柳田國男の生家近くの網元の息子がいて、そこで『遠野物語』をテーマに読書会合宿をしましたが、大きな梁のある古色蒼然とした家屋で、シズル感満点で荒俣宏2.jpgした(その網元の息子は今、新聞記者になってイラクにいる)。本書もその頃に読んだ本で、民俗学者の柳田國男が、明治末期から昭和初期にかけての自らの妖怪に関する論考(民俗学的エッセイ?)を1冊に纏めたもの。オリジナルは1956年の刊行ですが、博物学者で作家でもある荒俣宏氏は本書を「妖怪学の基本書」と言っています。

 妖怪とは化け物、つまりオバケのことであり、本書では、何故オバケを研究するのかということをはじめ、幽霊とオバケの違い、オバケは古い神が落ちぶれた姿であるという柳田の考え方などが示されるとともに、川童、小豆洗い、団三郎、狐、ひだる神、ザシキワラシ、山姥、山男、狒々、チンコロ、大人弥五郎、一つ目小僧、天狗などに関する伝聞が紹介されており、また、それらの起源についての彼自身の考察などが記されています。

 柳田によれば、日本人が第一に持っている感情は畏怖感、つまり恐怖の感情であり、それが様々に変化してオバケを生み出したということで、オバケを研究することは、日本の歴史における畏怖や恐怖の原始的な文化の型を捉え明らかにしていくことであり、それにより、日本人の人生観や信仰、宗教の変化を知ることができるのではないかとしています。

 但し、柳田の「妖怪は神の零落した姿である」との考えに対しては、まず初めに神のみが存在し、妖怪は最初いなかったということになり、おかしいのではないかという反駁もあり、個人的には、イスラーム文化における「ジン(一種の妖怪)」に、まさに妖怪型のジンもいれば、善玉のジンもいる(イスラームの土俗信仰は多神教だった)ように、神と妖怪は表裏一体のものとして同時に併存したのではないかと考えます。

 因みに、本書によれば、オバケと幽霊の違いは―、

 第1の違いは、オバケは出現する場所が大体定まっているため、そこを避けて通れば一生出くわすことなないけれども、幽霊の方は、「足がないという説があるにもかかわらず、てくてくと向こうからやってきた」こと、

 第2の違いは、オバケはは相手を選ばず、「むしろ平々凡々の多数に向かって、交渉を開こうとしていたかに見える」のに対し、幽霊は、これぞと思う者だけに思い知らせようとするものであり、暗い野路を通る時に"幽霊"が出るのではとビクつく人は、人に恨まれる覚えがないならば、オバケと幽霊を混同しているのだと。

 第3の違いは、「時刻」であり、幽霊は"丑みつ時"が知られていますが、実際には"丑みつ時"に限らずいろいろな折に出るらしく、一方のオバケの方は、大概は宵と暁が多いとのこと。「人に見られて怖がられるためには、少なくとも夜ふけて草木も眠るという暗闇の中へ出かけてみたところで商売にならない」(笑)とのことです。

【1977年文庫化[講談社学術文庫]/2013年再文庫化[角川ソフィア文庫]】

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