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遺伝主義批判・平等主義の人類学者による幅広い観点からの入門書。「人種」は現代の神話に過ぎない?
Clyde Kluckhohn
『文化人類学の世界―人間の鏡 (講談社現代新書 255)』['71年]
『人間のための鏡―アメリカの文化人類学の世界的権威による古典的名著』
米国の人類学者クライド・クラックホーン(1905-1960)の『人間のための鏡("Mirror for Man")』(原著は'49年刊行)の訳本(光延明洋訳/サイマル出版会)とほぼ同時期に新書として刊行された、言語学者・外山滋比古氏らによる同本の抄訳です。原著では自然人類学、文化人類学の双方を扱っているところを、入門書として文化人類学に関する部分を主に抽出して訳したとのことですが、自然人類学についての記述も一部含まれていて、人類学とは何をする学問なのかを、人類と文化、人種、言語、習慣などとの関係を説きながら、幅広い観点から解説しています。
文化人類学というと、何かフィールド・ワークを通して"決定論"的な法則を探ろうとする学問のようなイメージがありますが、人類学者が、例えば「性格」というものを見る場合(人個人としてではなく社会集団として見る)、社会の構成員が社会的存在として持つ欲望や欲求を"取捨選択"して作り上げた結果として、それを見るのだと著者は言っています。つまり、「性格」は大部分が学習(教育)の産物であり、学習はまた多くの部分が文化によって決められ、規制されているのだと。
教育は「文化を道徳として教える」が、それは例えば、文化にとって良い習慣には褒美を与え、悪い著者には苦痛や罰を与えればいいだけのことで、ただし、著者によれば、文化は選択可能であり、人間は教育次第でどんな人間にでもなれると言っており、ここに著者独自の平等思想があります。
クラックホーンは遺伝主義を批判したことでも知られていますが、ある子供が有能で魅力的な人物にならなかったとしても、悪い事を親や祖先のせいにしてしまえばそれでお仕舞いで、遺伝主義は「悪いのは俺ではなく自然だ」という考えを擁護し、優生学的な偏見の温床になるというのが彼の考えであり、同じ運命を享受しながらも成功した人間は幾らでもおり、人は運命に逆らう力を持っているという彼の考えは、サルトルとレヴィ=ストロースが対立論争した実存主義と構造主義の関係構図とは対照的に、実存主義に近いものを感じました。
個人的には、自然人類学に関して書かれている部分が面白く感じられ(「人種」に関する箇所)、
●ユダヤ人は、これまで住んだことのある国々の人と完全に混血しているので、いかなる肉体的特性によっても人種として他から区別できない
(日本人と韓国人だって、理屈から言えば同じことが言える面もあるかも)
●家系図は無意味であり、祖先が半分ヨーロッパ系の人なら、シャルル大帝を系図に入れてよいことになる
(2人の父母、4人の祖父母、8人の曾祖父母、16人の高祖父母と、"尊属"は前世代になるほど増えていくため、必然的にそうなる)
●知能指数200の人は、黒人にも白人にも同じ割合でいる
(確か、米国ジョージ・W・ブッシュ政権の国務長官['08年現在]である黒人女性ゴンドリーザ・ライスって知能指数200以上あるって聞いたことがある。政治的脚色もあるかも知れないが...)
等々、なるほどと思わされましたし、その「なるほど」の中には、多分にこれまで自分が無意識に抱いていた偏見に気づかされたものもありました。
クラックホーンは本書の中で、「人種」を指して「現代の神話」と言っています。