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新味が無く、むしろキーワードへの牽強付会が目につく。
『キャラ化するニッポン (講談社現代新書)』 ['07年]
バンダイのキャラクター研究所の所長とかいう人が書いた本で、日本は「キャラ化」の方向へ向かっていると述べていますが、「キャラクターにハマる」ことと、「自らをキャラクター化する」ことを一緒くたに論じていて、その辺りの違いを、「キャラ化」というタームを軸に多くの事例を引くことで韜晦させてしまっている感じがし、何か、プランナーがプレゼンでスポンサーのお偉いさん達を煙に巻くときのやり方に似てる感じもしましたが、新書として読むとなると、牽強付会が目に付きました。
Amazonによると、この本を読んでいる人が他に読んでいる本として『あなたは人にどう見られているか』('07年/文春新書)などがあり、「キャラとしての私」というのは、要するに、そういうことを意識するというだけのことではないでしょうか。
「仮想都市におけるアバターとしての私」などを通して、現実生活においても、「生身の私」と「キャラとしての私」のヒエラルキー逆転が起こるかもしれないという著者の論は、テクノロジーの面では講談社のブルーバックスなどにより詳しく書かれたものが多くあり、分析面においては、既に多くの社会学者や評論家が述べていることで、あまり新味がありませんでした。
結局、著者は何を最も言いたかったのか、世の中に警鐘を鳴らしたかったのか、自らの"洞察"を世に示したかっただけなのか、その辺りもはっきりしません。
テーマはやや異なりますが、'76年生まれの社会学者・鈴木謙介氏の『カーニヴァル化する社会』('05年/講談社現代新書)もそうだったように、1つのキーワードに引きつけて何でもかんでも一般化してしまう傾向と、他書からの引用が多いわりには(むしろ、そのことにより)説得力が無いというのが、本書からも感じられたことでした(それぞれの著者にとって初めての「新書」であり、今後に期待したい)。