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「●フランスの3大写真家」の インデックッスへ
質・量とも圧巻。画家に近い素養? "異才"が"正統"になったという面もあるかも。
(29.4 x 27.6 x 4.4 cm)『アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集成』『カルティエ=ブレッソンのパリ』(『Henri Cartier-Bresson: À Propos de Paris』)Henri Cartier-Bresson (1908‐2004/享年95)
世界的な写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908‐2004)が亡くなる前月に刊行された作品集で、同じ岩波書店からその後も、彼の写真集『ポートレイト 内なる静寂』('06年)や『こころの眼』('07年)などが刊行されていますが、本書は「集成」と呼ぶにふさわしく、質・量とも圧巻で、30年代のスペイン・メキシコ旅行の際の写真から、第二次世界大戦中のフランス、大戦後のヨーロッパ各地、アメリカ、インド、中国、ソ連、インドネシアなどの撮影旅行の成果まで(この中には、欧米の大手ニュース雑誌の表紙を飾ったものも幾つかある)、幅広い作品が収められています(定価1万1千円。但し、増刷しないのでプレミアがついている)。
更には、文化人・有名人の肖像写真や(マルローやサルトル、ベケット、ジャコメッティ、マティスらを撮った写真は有名)、70年代以降、写真を離れて没頭したデッサン画(何となくドラクロア風)なども多く収められています。
サルトル/ジャコメッティ
まさに「決定的瞬間」(この言葉、今橋映子氏によると"誤訳"であり、実際は「 かすめ取られたイマージュ」という意味らしいが―『フォト・リテラシー』('08年/中公新書))。何故こんな写真が撮れるのだろうか? まず、その場にいた、ということが第一条件ですが、それにしても不思議です。「私はそこにいた。すると、その時、世界が姿を見せたのだ」とカルティエ=ブレッソンは言うのです。
個人的には、30年代から50年代にかけてのフランスやその他欧州諸国で撮られたスナップ・ショットっぽい作品が好きで、何だか昔のヨーロッパ映画を見ているような気持ちになってきます。
パリの写真だけをスナップを中心に収めたものに『カルティエ=ブレッソンのパリ』('94年/みすず書房)があり、「集成」とダブるものも多いが、これも楽しめます。
これらの写真を見て、見ているうちに、必ずしも歴史的に知られたシークエンスでなくとも、その時代やそこに生きた人々への想いが湧いてくるのですが、どこまでが計算されているのか、よくわからない。きっと、充分に計算されているのだろうけども、普通の人間ならば、計算している間に"決定的瞬間"は過ぎ去っていってしまうわけで...。
40年代にロバート・キャパらと写真家集団「マグナム・フォト」を結成し、50年代初頭にはフォト・ジャーナリズムを熱く語っているにも関わらず、70年代半ばには、自身のことを「お粗末な写真リポーター」とし、写真の世界から足を洗いました。と言うより、自らの名声にも過去の作品にも背を向け(「自分はフォ・トジャーナリストであったことは一度も無い」とも言っている)、プロヴァンスに引き籠って、画家になっているのです。
若い頃の彼のポートレイト(数少ないのだが)には才気を感じますが、強面(こわもて)という感じではなく、むしろ少しナイーブな感じで、この辺りは、日本におけるスナップ・ショットの天才・木村伊兵衛と似ている(木村がパリにカルティエ=ブレッソンを訪れたとき、彼は超売れっ子で多忙を極めていたが、人を介して木村のために、色々とパリ市中の撮影の手配をしてあげている)。
カルティエ=ブレッソンも木村伊兵衛もストリート写真からスタートした人ですが、こうした風貌の人の方が、対象にすっと受け入れられ易いのかも。
ジャン・ルノアールの映画作品、例えばモーパッサン原作の 「ピクニック」('36年)(光と影の使い方が印象派風!)などの助監督もしていて、本質的には、ジャーナリストというより、画家・詩人に近い素養の人なのだろうなと思います。
シテ島
但し、写真は一瞬の勝負であり、間違いなく、フォト・ジャーナリズムの世界に大きな足跡を残しているわけで、"異才"と言うより他になく、あまりに多くのフォロアーが出たために、むしろ、その"異才"が"正統"になったという面もあるかもしれません。