【870】 ○ 立花 隆 『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊 (2007/01 文藝春秋) ★★★★

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今回は、蔵書の「量」だけでなく、「質」の部分がかなり浮き彫りにされている。

2ぼくの血となり肉となった五〇〇冊.jpgぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊.jpg 『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』 ['07年]

立花隆.bmp 文京区・小石川で、手提げ袋を両手にえっちらおっちら歩く立花隆氏を"目撃"したことがありますが、書評としてとり上げる候補の本を購入したところだったのでしょうか。

 「週刊文春」連載の書評を纏めたシリーズの第3冊で、今回は単行本500ページ強のうち、前半部が「ぼくの血となり肉となった500冊 そして血にも肉にもならなかった100冊」というタイトルのインタビューで、仕事場で編集者に語る形で自らの蔵書と読書遍歴を語っており(併せて仕事遍歴の話も)、後半が恒例の「週刊文春」の書評('01年3月〜'06年11月分)になっています。

 編集者の提案したタイトルが面白いということでタイトルが先に決まったようですが、結果的には象徴的な意味合いとなっています(ダメ本100冊のリストがあれば面白いのでしょうが、そういう形式にはなっていない)。自らの読書遍歴を語った前半部分は、"血肉になった本"を書庫を巡る形で紹介していて、予想はつきましたが、これがまた凄い量と質。

ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論.jpg このシリーズの1冊目『ぼくはこんな本を読んできた』('95年/文藝春秋)にも事務所である"猫ビル"の案内があり、その凄まじい蔵書量に驚きましたが、今回の方が、自身が辿ってきた思索(ヴィトゲンシュタインの影響が大きかったとか)及び仕事との関連においてより系統的に書物の紹介をしているので、ものの見方や仕事のやり方というものも含めて、蔵書の「質」の部分がかなり浮き彫りにされているように思えました。

 タイトルの「ぼくの血となり...血にも肉にもならなかった100冊」はむしろ後半部の方に当て嵌まり、とり上げている本は全部で235冊ですが、時々こき下ろしている本もあります。
 個人的には、この人の書評を読む際は、本探しではなく書評自体を楽しむ、という風にスタンスを決めたため、今回も楽しめたように思います。

素手でのし上がった男たち.jpg寺山修司.jpg ノンフィクションしかとり上げない主義のようですが、「例外」的に寺山修司の詩集宮崎駿のコミックが入っているのは、個人的な繋がりからでしょうか。

 立花氏の最初の本が『素手でのし上がった男たち』(番町書房)であり、著者の無名時代のこうした人物ドキュメント本に、寺山修司が「情報社会のオデッセー」なんていう帯書きをしていたという事実が、余談の部分ではあるけれど興味深かったです(今や「知の巨人」と言われる立花氏とて、無名時代に世話になった人に対しては生涯にわたって恩義を感じるものだということの例に漏れるものではないのだろなあ)。
『素手でのし上がった男たち』 Bancho Shobo 1969年

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立花隆(ジャーナリスト、評論家)
2012年4月30日午後11時38分、急性冠症候群のため死去していたことが6月23日判明。80歳。

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