2008年3月 Archives

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○経営思想家トップ50 ランクイン(アル・ゴア)

"プレゼン"上手。危機が今一つ実感できない人には(誇張表現に留意しながらも)「見て」欲しい本。
不都合な真実.jpg   アル・ゴア.jpg Al Gore
不都合な真実』['07年] 『不都合な真実 (実業之日本社文庫)』['17年]『不都合な真実2』['17年]

 地球温暖化問題を提起した同名映画"An Inconvenient Truth"('06年)で紹介された映像やデータをもとに出版された本で、衛星写真を含む多くのカラー写真と斬新な切り口やレイアウトの図説は、この問題の深刻さをわかり易く短時間で見る者に伝えるものとなっています(本を読むというより、プレゼンテーション・スライドを見ているような感じ)。

パイプライン.jpg 例えばこの問題で、湖水面積が激減したチャド湖のことなどはよく引き合いにされますが、本書では、衛星写真でのチャド湖の10年刻みの変化を見せるなど、「対比」の手法を効果的に用いていて、"プレゼン上手"という印象を受けました。
 ロシアなどは、永久凍土が溶けて豊富な地下資源が入手しやすくなると喜んでいる人間が一部にいる、といった話を聞いたことがありますが、永久凍土が溶けて建物が崩れたり道路がぬかるみ化している写真を見ると、温暖化問題で得する国は(少なくとも国レベルでは)どこも無いように思えます(アラスカなどではパイプラインを支える支柱の陥没し、パイプに破損被害が生じているらしいが、ロシアも同じ状況だろう)。

An inconvenience truth.jpg 国内政治的な意図を含んだ本であり、人為的な気候変動のリスクに対する評価を行っている政府間機関(ICCP)の見解を容れながらも、映画同様、元大統領候補のゴア氏が前面に登場し、京都議定書を批准しないブッシュ政権を批判しています。

 最終的には政策提言にまで持っていくことが望ましく、その意図を否定はしませんが、映画でもなされた「グリーンランドの氷床が近いうちに全て溶け、海面位が7m上昇する」などといった記述は、映画の段階で既に英国高等法院が「科学的な常識から逸脱している」と指摘していて、ICCPの見解を超えた誇張表現が、映画にも本書にも少なからずある模様(英国高等法院は映画の「9つの誤謬」を指摘している)、本書が米国中心で書かれていることと併せて気になる点ではあります。

 ただ、個人的には、「見せ方」の旨さに感服させられた本でもあり、ビジュアル化するとややこしい話もこんなにすっと解るものかと感じ入った次第。
 そこが本書の危うい点でもあるかも知れませんが、英高等法院が注意を促したような部分はあるにしても、地球温暖化の危機が今一つぴんと来ない人には是非「見て」欲しい本です。

【2017年文庫化[実業之日本社文庫]】

《読書MEMO》
●英高等法院が注意を促した映画「不都合な真実」の9つの誤謬
(1) 西南極とグリーンランドの氷床が融解することにより、"近い将来"海水準が最大20フィート上昇する。
 《英高等法院判決》 これは明らかに人騒がせである。グリーンランド氷床が融解すれば、これに相当する量の水が放出されるが、それは1000年以上先のことである。
(2) 南太平洋にある標高の低いさんご島は、人為的な温暖化によって浸水しつつある。
 《英高等法院判決》 その証拠はない。
(3) 地球温暖化が海洋コンベアを停止させる。
 《英高等法院判決》 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)によれば、混合循環として知られるこの海洋コンベアは、鈍化することはあっても、将来停止することは可能性はかなり低い。
(4) 過去65万年間の二酸化炭素(濃度)の上昇と気温上昇の2つが正確に一致している。
 《英高等法院判決》 この関係性については、確かにおよその科学的合意が得られているが確立されたものではない。
(5) キリマンジャロ山の雪が消失していることには、地球温暖化が明確に関連している。
 《英高等法院判決》 キリマンジャロ山の雪の減少が主として人為的な気候変動に起因するとは確立されていない。
(6) チャド湖が乾上ったという現象は、地球温暖化が環境を破壊する一番の証拠。
 《英高等法院判決》 この現象が地球温暖化に起因すると確立するには不十分。それ以外の要因、人口増加、局地的な気候の多様性なども考慮すべき。
(7) 多発するハリケーンは地球温暖化が原因である。
 《英高等法院判決》 そう示すには証拠が不十分である
(8) 氷を探して泳いだためにホッキョクグマが溺死した。
 《英高等法院判決》 学術研究では「嵐」のために溺れ死んだ4匹のホッキョクグマが最近発見されたことのみが知られている。
(9) 世界中のサンゴ礁が地球温暖化やほかの要因によって白化しつつある。
 《英高等法院判決》 IPCCのレポートでは、サンゴ礁は適応できる可能性もある。

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ネロの生涯は「アグリッピナ・コンプレックス」との闘いだったという印象を持った。

ネロ暴君誕生の条件.jpgネロ―暴君誕生の条件 (中公新書 144)』['67年]Nero Claudius Drusus Germanicus.jpgNero (紀元37‐68/享年30)

 西洋史学者の秀村欣二(1912‐1997、東大名誉教授)が本書で描く"ネロ"像は、彼が"暴君"であったことを否定するものではありませんが、かなり彼に同情的な面もあるかも。

Agrippina with Nero.jpg 本書を読むと、母アグリッピナというのが(息子ネロに刺客を向けられ、「ここを突いて、さあ。ここからネロは生まれたのだから」と下腹を突き出したことで知られる)、これが美人だがかなりドロドロした女性で、叔父にあたる皇帝クラウディウスとの不倫関係を経て妃の座に就き、その夫を毒殺してネロを皇帝にしたわけで、それまでにも権謀術数の限りを尽くしてライバルを排除してきていて、結局そうした血はそのままネロに引き継がれたという感じです。
ネロ母子 (Agrippina with Nero)

 アグリッピナは息子ネロに対し愛人のように振舞うことで彼を操縦しようとしたから、これではネロもたまらない。母子相姦だったとの説もあるものの、最終的に母を拒絶すると、彼女はネロの義兄弟を帝位に就かせようと画策しますが、ネロはこれを謀殺、もうグチャグチャという感じで、妻をとっかえひっかえして、その度に前妻を駆逐したり謀殺したりする彼の行動には、エディプス・コンプレックスが強く滲んでいるように思え、結局、最後は母アグリッピナの殺害に至る―。

 ただ、ネロの統治の最初5年間ぐらいは評価されるべき部分もあると著者は言い、治世の面でも母親との確執はあったものの、政治家としての思い切りの良さなどはあったみたいです(補佐したセネカが、アレキサンダー大王を補佐したアリストテレスほどの大哲人ではなく、アグリッピナの顔色も窺いながらネロを助けていたようで、むしろこの中途半端さの方がイマイチだが)。

ルカ・ジョルダーノ「セネカの死」(1684-1685)/ピーテル・パウル・ルーベンス「セネカの死」(1612-1615)
ルーベンス - セネカの死.jpgジョルダーノ『セネカの死』.jpg ネロ自身は、母を亡き者にし、その呪縛から解かれたように見えたかのようでしたが、新たに迎えた妻の尻に敷かれたりしているうちに性的にもおかしくなって、美少年と結婚式を挙げたりし(周囲が「子宝」に恵まれるよう祝福の言葉を贈ったというのが、恐怖政治におけるブラック・ユーモアとでも言うべきか)、ローマ市民の歓心を得られると思ってやったキリスト教迫害においてその残忍性をむき出しにしたことで却って人心は離れ、母親殺しで兄弟殺しや妻殺しもやっていて、さらに師をも殺した者が帝位にいるのはおかしいと(セネカも自殺を命じられ、彼の非業の死はルネサンス期に多くの画家の作品モチーフとなった)周囲の反発から反乱が起き、遂にネロ自身が自死せざるを得ない状況に陥りますが、死を前にしてなかなか死にきれないでいるところなど、何だか人間味を感じてしまい、自業自得でありながらも妙に哀しかったです。

 著者に言わせれば、「英雄と暴君は紙一重」ということで(殺した人間の数ではアレキサンダーに比べればネロの方がずっと少ないという見方も)、暴君(タイラント)の語源が僭主(非合法に政権を奪取した者)に由来することからすれば多くの英雄がタイラントであり、ネロも"有能な独裁者"、ある種の英雄ではなかったかと(しかし、後世には、元首失格者・人間失格者として、ネガティブな意味での"暴君"像のみが浸透している)。

 個人的には、ネロの生涯はエディプス・コンプレックス(父親不在で母親の方が子離れ出来ないこのタイプを「アグリッピナ・コンプレックス」と呼ぶそうだが)との闘いだったという印象を強く抱き、何となく神話的人物に近いイメージを持ちましたが、本書に書かれていることは、タキトゥスの「年代記」や海外の研究などをもとに著者が概ね客観的立場から述べたものであり、神話や伝説の類ではなく史実であるということでしょう。

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今回は、蔵書の「量」だけでなく、「質」の部分がかなり浮き彫りにされている。

ぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊.jpg 『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』 ['07年]

立花隆.bmp 文京区・小石川で、手提げ袋を両手にえっちらおっちら歩く立花隆氏を"目撃"したことがありますが、書評としてとり上げる候補の本を購入したところだったのでしょうか。

 「週刊文春」連載の書評を纏めたシリーズの第3冊で、今回は単行本500ページ強のうち、前半部が「ぼくの血となり肉となった500冊 そして血にも肉にもならなかった100冊」というタイトルのインタビューで、仕事場で編集者に語る形で自らの蔵書と読書遍歴を語っており(併せて仕事遍歴の話も)、後半が恒例の「週刊文春」の書評('01年3月〜'06年11月分)になっています。

 編集者の提案したタイトルが面白いということでタイトルが先に決まったようですが、結果的には象徴的な意味合いとなっています(ダメ本100冊のリストがあれば面白いのでしょうが、そういう形式にはなっていない)。自らの読書遍歴を語った前半部分は、"血肉になった本"を書庫を巡る形で紹介していて、予想はつきましたが、これがまた凄い量と質。

ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論.jpg このシリーズの1冊目『ぼくはこんな本を読んできた』('95年/文藝春秋)にも事務所である"猫ビル"の案内があり、その凄まじい蔵書量に驚きましたが、今回の方が、自身が辿ってきた思索(ヴィトゲンシュタインの影響が大きかったとか)及び仕事との関連においてより系統的に書物の紹介をしているので、ものの見方や仕事のやり方というものも含めて、蔵書の「質」の部分がかなり浮き彫りにされているように思えました。

 タイトルの「ぼくの血となり...血にも肉にもならなかった100冊」はむしろ後半部の方に当て嵌まり、とり上げている本は全部で235冊ですが、時々こき下ろしている本もあります。
 個人的には、この人の書評を読む際は、本探しではなく書評自体を楽しむ、という風にスタンスを決めたため、今回も楽しめたように思います。

素手でのし上がった男たち.jpg寺山修司.jpg ノンフィクションしかとり上げない主義のようですが、「例外」的に寺山修司の詩集宮崎駿のコミックが入っているのは、個人的な繋がりからでしょうか。

 立花氏の最初の本が『素手でのし上がった男たち』(番町書房)であり、著者の無名時代のこうした人物ドキュメント本に、寺山修司が「情報社会のオデッセー」なんていう帯書きをしていたという事実が、余談の部分ではあるけれど興味深かったです(今や「知の巨人」と言われる立花氏とて、無名時代に世話になった人に対しては生涯にわたって恩義を感じるものだということの例に漏れるものではないのだろなあ)。
『素手でのし上がった男たち』 Bancho Shobo 1969年

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1つ1つの漢字の成り立ちの話はどれも面白く、新書で新説を発表しているのが興味深い。

漢字 生い立ちとその背景.jpg 『漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)』 ['70年] 白川静の世界.jpg 『白川静の世界』 別冊太陽 ['01年]

カレンダー.jpg 白川静(1910‐2006)と言えば漢字、漢字と言えば白川静で、最近では象形字体を解説したものがカレンダーになったりしていますが、本人が一般向けに直接書いた本は意外と少ないのでは(中公新書に4冊、岩波新書は本書のみ)。但し、一般向けだからと言って手抜きは無く、本書もカッチリした内容。

 言われてみれば、漢字という文字は確かに不思議。四大文明発祥の地で起きた文字文化のうち、インダスの古代インド文字などは早くに姿を消し、楔形文字やエジプト文字も紀元前の間に「古代文字」化しているのに、漢字だけが連綿と現代にまで続いている―。漢字にも、現在の漢字と古代象形文字(竜骨文字)の間には断絶がありますが、多くの古代文字が発見(発掘)から解読まで長い年月を要している(或いは未解読である)のに比べ、竜骨文字は比較的短い期間で解読されていて、著者はその理由の1つに、象形文字としての古代文字が音標化されず表意文字のまま形だけを変えて現代にまで使われていることをあげています。

 このように、漢字の基本が表意文字であるというのは誰もが知ることですが、一方で、古代から表音文字としても使われていたことなど、本書を読むといろいろと意外な事実が明らかになり、1つ1つの漢字の成り立ちの話はどれも面白く、古代呪術の話が多く出てきて、ほとんど文化人類学の世界です。

常用字解.jpg 最初に本書を読んだときは、書かれた時点では定説となっていたことが記されているのかと思いましたが、例えば本書にある「告」という字は、もともと「牛」が「口」を近づけて何か訴える様とされていたのが、「口」には神への申し文(祝詞)を入れる「器」という意味もあると著者が言ったのは本書が初めてで、当時の学会における新説だったそうです(別冊『太陽』の白川静特集('01年)では、「1970年の出来事-口(サイ)の発見」として、その衝撃を顧みている)。

漢字百話.jpg こうした1つ1つの文字の成立は、新書では『漢字百話』('78年/中公新書、'02年/中公文庫)により詳しく書かれていますが、「新説」を「新書」で発表してしまうのが興味深く、一般書でも手を抜かない証しとも言えるのでは(本人はそれ以前に気づいていたわけだから、計画的?)。

漢字百話 (中公新書 (500))

 東大学派と対立し、後に同じ京都学派でも京大派とも意見を異にし、自身の母校である立命館大学に奉職していますが、もともと立命館も最初は夜学で学んで、卒業後しばらくは高校の先生をしていたという遅咲きの人(94歳での文化勲章受賞というのも遅い)。

 いまだにこの人の言っていたことは本当なのかという解釈を巡る議論はありますが、一方で、没後も「白川静 漢字暦」は刊行されていて(勿論、『字統』や『字訓』も改版されている)、「白川学」の学徒やファンの多いようですが、個人的にもこの人のファンです。

 (本人は、名前の読みが1文字違いのフィギアスケートの荒川静香のファンだったとか、将棋が趣味で、任天堂DSで将棋ゲームをやっていたとか、晩年の逸話として親近感を抱かせるものがあるが、言語学者・金田一京助もそうだったように、年齢が進んでもボケない脳味噌を持った所謂"優秀老人"だったのではないか)。

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武帝が中国の歴史・文化に与えた影響が、親しみやすさをもってキッチリわかる良書。

漢の武帝.jpg 『漢の武帝 (岩波新書 青版 (24))』 ['49年] 吉川幸次郎.jpg 吉川幸次郎 (1904‐1980/享年76)

 吉川幸次郎(1904‐1980)の40歳代前半の著作で、同じ岩波新書では『新唐詩選』という著作もあり、漢字学の白川静(1910‐2006)などとも京都学派ということで繋がりの深かった「中国文学者」ですが(50歳過ぎだった白川静に博士論文を書くよう勧めたのは吉川幸次郎)、本書は一般向けに書かれた「歴史書」です。

 漢の武帝の時代(前141‐前87)を中国史上最も輝かしい時代の1つと捉え、武帝の治世を4期に分けて、この希代の天子の業績を検証するとともに中国史において果たした役割を考察した本、と言いっても硬い内容ではなく、歴史小説を読むように面白く読めます(但し、書かれていることは史書に基づいていて、「史記」や「漢書」といった史書自体が面白く書かれているという面もある)。

 著者に言わせれば、武帝の時代は「輝かしい時代」などとカッコつけて言うよりは、「威勢の良い・にぎやかな」時代ということであり、匈奴討伐の衛青、霍去病ら英傑をはじめ登場人物からして派手。ただし、軍事面だけでなく、武帝の目を西域に向けさせた張騫や、公孫弘、張湯といった文臣の功績など外交・内政(経済政策)面での臣下の多岐にわたる活躍を、彼らの人となりも含めて描いていて、武帝が国家改革を進め中央集権を完成するにあたって、炯眼をもって柔軟な人材登用を行ったことがよくわかります。

 そんな武帝も治世の後半は逸材と言える臣下に恵まれず、晩年には神仙思想に染まり、歴代皇帝の中で最も深く呪術に嵌まってしまう、それが、皇太子との間での確執と悲劇に繋がり、ある意味、人間の哀しさを体現した生涯のようにも思え、そうした点も、中国史上最も人々の印象に残る人物の1人となっている一因なのかも。

 戦後まもなくに書かれた本ですが、「皇帝の目は、一人のコーラス・ガールのの上にそそがれた」、「夫婦二人でバアをひらき、夫はショート・パンツをはいて皿を洗い」、「放逸な不良マダムぶりを発揮した」等々、親しみやすい(?)表現が多く、歴史小説よりもむしろ柔らかい部分さえあるかも知れません。

 一方で、武帝という人物が、政治・経済から儒学・宗教までいかに多くの面で、その後の中国の歴史と文化の方向付けをしたかということがキッチリわかる良書、陳舜臣などの中国時代小説を読むきっかけとなった本であるという個人的な思い入れもあり星5つ。

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太平洋戦争降伏を決意したのは、「国民」のためではなく「三種の神器」を守るため !?

昭和天皇.jpg 『昭和天皇 (岩波新書 新赤版 1111)』['08年] 原 武史.jpg 原 武史 氏(政治学者)

 2008(平成20)年・第11回「司馬遼太郎賞」受賞作。

 本書によれば、天皇の地方視察や外国訪問などの政治的活動は一般国民に可視の(お濠の外側の)ものであリ、御用邸を訪れたり園遊会を催したりすることは政治的活動ではないが、これもお濠の外側のものであると。
昭和天皇の新嘗祭.jpg 一方、不可視の(お濠の内側での)活動は、戦前は「統治権の総攬者」として上奏に対し下問するという政治活動があったが、今は象徴天皇なのでそれは無い。そうすると残るのは、お濠の中での非政治的活動で、宮中祭祀とか生物学研究がそれに当たるが、本書では、その、国民の目から見えにくい宮中祭祀に注目し(天皇が勤労感謝の日に新嘗祭を行っているのを今の若い人の中でで知っている人は少ないのではないか)、昭和天皇の宮中祭祀へのこだわりを通して、天皇は何に対して熱心に祈ったのかを考察しています。
昭和天皇による「新嘗祭」

 もともと昭和天皇は宮中祭祀に熱心ではなかったようですが、そのことで信仰に口うるさかった貞明皇太后との間で軋轢を生じ、逆に新嘗祭などの祖宗行事を熱心に行うようになり―最初は皇太后口封じのために行っていたのが、太平洋戦争時には、敗色濃厚になるにつれアマテラスに熱心に戦勝祈願するようになっていた―「万世一系」の自覚のもと晩年まで祭祀の簡素化を拒み続けてきたとのことです。

 「皇祖神」信仰(或いは皇太后に対する責任意識)に比べれば、国民に対する責任意識は希薄だったようで(戦争降伏を決意したのは「三種の神器」を守るため !?)、そのことは、戦後の祈りについても同じで、敗戦を招いたことを「皇祖神」に詫び続け、平和への祈願も国民に向けてよりもまず「皇祖神」に向けてのものであり、戦争責任について記者会見で問われても国民に対する責任意識が無いために俄かに反応できず、ましてや戦争で辛酸を舐めたアジア諸国の人々を思い遣るといった発想はどこにもない―ということでしょうか。

 ショッキングな内容の本ですが、昭和天皇が貞明皇太后に抗えず祭祀を執り行うにあたり、どうやって自分を合理化したのかについて、生物学研究を通して神的なものに惹かれていったと考察しており、こうした考察を含め、先に結論ありきで進めていて、確証の部分が少し弱いようにも感じられました。
 ただ、個人の信仰や責任意識の度合いは不可知ではないかという気はするものの、『昭和天皇独白録』が、昭和天皇自らが作成に関与した戦争責任の「弁明の書」であること(吉田 裕 『昭和天皇の終戦史』('92年/岩波新書))などからも(高松宮は昭和天皇がA級戦犯に全責任を押しつけたことを批難している)、意識は国民より「皇祖神」の方へ向いていたというのは、生身の人間して考えた場合にあり得ることではないかと思った次第です。

《読書MEMO》
 1937年に勃発した日中戦争以降、天皇は毎年続けていた地方視察を中断する。また戦争の激化とともに、御用邸での滞在や生物学研究も中断されるが、宮中祭祀だけは一貫して続けられた。いやむしろ、天皇はますます祭祀に熱心になり、宮中三殿のほかに、靖国神社や伊勢神宮にもしばしば参拝する。特に靖国神社には45年まで毎年欠かさず参拝し、飛躍的に増えつつあった「英霊」に向かって拝礼するようになる。
 天皇の祈りを本物にしたのは、戦争であった。太平洋戦争が勃発した翌年の1942年、天皇は伊勢神宮に参拝し、アマテラスに僭称を祈った。戦況が悪化した45年になっても、天皇は祭祀を続け、勝利にこだわった。6月にようやく終結に向けて動き出すが、天皇が最後まで固執したのは、皇祖神アマテラスから受け継がれてきた「三種の神器」を死守することであって、国民の生命を救うことは二の次であった。(12p)

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終戦工作の全容をわかり易くまとめつつ、「昭和天皇独白録」が天皇の戦争責任弁明書であることを検証。
昭和天皇の終戦史.jpg昭和天皇の終戦史 (岩波新書)』['92年] 「大元帥」 昭和天皇.jpg「大元帥」昭和天皇(昭和3年11月)

吉田 裕 『昭和天皇の終戦史』.jpg皇居.jpg 1990年に発見された「昭和天皇独白録」は、その率直な語り口を通し戦争時における天皇の苦悩や和平努力が窺え、国民を感動させましたが、歴史家の秦郁彦氏は、これは東京裁判で天皇を無罪にするために「作成」されたものであり、その英文版がどこかに在るはずだと言ったら、本当にその通りだった―。

 本書は、戦後処理、戦争責任を巡る政局において、天皇をとりまく宮中グループが、「国体保持」とういう旗印のもと、どのように終戦工作に走ったのかを追うとともに、15年戦争開戦に遡って、開戦に至る経緯や泥沼化の過程での国の指導者たちの果たした影響を洗い出し、「独白録」が作られた経緯とその内容を検証しています。
近衛文麿
近衛文麿.jpg 天皇の側近者である宮中グループは、軍部と積極的に同調し15年戦争を推進したのですが(天皇自身も大元帥として東條英機らに指示を下した)、中には近衛文麿のように、太平洋戦争開戦に反対し、戦争末期には天皇に早期終戦を上奏しつつ、一方で秘密裡に「天皇退位工作」に動いた分派的な人もいたとのことで、但し、自らもインドシナ侵攻などには賛成した経緯がありながら、東條英機ら軍部に全責任を押し付けるという点では本流グループと同じだったのが、自らに戦争責任が及び逮捕されるに至って自殺してしまう―。

昭和天皇独白録.jpg その後も内外に天皇の責任を追及する声はあったけれど、戦争末期から「天皇制維持工作」をしていた宮中グループ(この時間稼ぎの間にも原爆が投下されたりしているのだが)の意向は、詰まるところ、占領統治を円滑にするには「天皇制維持」が望ましいとする米国の考えに一致するものであり、あとは連合軍諸国を納得させ、且つ天皇に戦争責任が及ぶのを防ぐにはどうするかということで、宮中グループ、中でも米国とのパイプの強い寺崎英成らが、「天皇の無罪」の証拠を作る―それが「昭和天皇独白録」だったのだなと。
昭和天皇独白録

寺崎英成.jpg 寺崎英成(柳田邦男の『マリコ』では日米の架け橋的人物として描かれている)という人物の光と影、「独白録」にも記されていない満州事変や日中戦争の責任問題(加害者意識ゼロ)、東條英機に全責任を負わせるための本人への説得工作(担当した田中隆吉は天皇から「今回のことは結構であった」と"ジョニ赤"を東條英機に賜った)等々、改めて驚くような内容が書かれています。
寺崎英成

 著者が30代後半の時の著作ですが、膨大な資料調査を背景としつつ、終戦工作の全容をわかり易くまとめていて、更に、「独白録」が昭和天皇の戦争責任弁明書であることを検証しています(当然のことながら、こうした本を頭から否定する人もいるだろう)。
 「独白録」発見の2年後に刊行されたのは、当時、「独白録」の実態解明に向けて学者間に競争原理が働いたこともあったでしょうが、著者の力量を感じました。

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