【857】 ○ 湯川 秀樹/梅棹 忠夫 『人間にとって科学とはなにか (1967/05 中公新書) ★★★★

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円熟期の湯川博士が科学の未来や宗教と科学について語る―「科学」と「老荘」の対談。

人間にとって科学とはなにか.jpg人間にとって科学とはなにか (中公新書132)』['67年] 湯川秀樹.jpg 湯川秀樹 (1907-1981/享年74)『J-46 人間にとって科学とはなにか (中公クラシックス)['12年]

人間にとって科学とはなにかc.bmp 湯川秀樹60歳、梅棹忠夫47歳頃の対談。物理学者と人類学者でかなり面持ちが異なる「大家」のとりあわせのようですが、梅棹忠夫氏は生物学から入って人類学に転じた人で、湯川氏も生物学への関心が高く、生物学と物理学の融合といった統一科学的な話にすんなり入り、科学と価値体系やヒューマニズとの関係の問題、宗教と科学の問題や、科学の未来はどうなるかといった話に、高い密度を保ったまま拡がっていきます。

 NHKのフィルムアーカイブで最晩年の湯川氏が世界平和を訴えているのを見たことがありますが、さすがに老いたという感じで(一応まだ70代前半なのだが、この人晩年は多病だった)、それに比べて、この対談の頃は、抽象的な問題を分かり易く論理的に説明したかと思うと、いきなり禅問答みたいにジャンプしたりして、それでいて、そのジャンプ先が元のテーマとしっかり繋がっており、こうした大きなテーマを扱うに相応しい、「知の巨人」ぶりを見せつけてくれます。

KAWADE夢ムック 梅棹忠夫.jpg 一方、この大科学者に伍する形であらゆるところからテーマを引っぱってくる梅棹氏も凄いけれども、やはり年齢差もあって、話しながらも基本的には聞き手であるといった感じがし、但し、京都学派の先達と後輩ということもあって知的土壌での共通項があるのか波長が合う感じがし、時々2人とも京都弁になるなどして読む側に対しても親近感を感じさせます。 『梅棹忠夫---地球時代の知の巨人 (文藝別冊)

 とは言え、碩学の2人の話は難しい部分もあり、禅問答のような部分まで含めて自分に全部出来たか、心もとなさも残りましたが、湯川氏が、「知」の世界に人でありながら「知」を否定する老荘思想との結びつきが強い自分というものを対象化して語っているのが興味深く、対談の終わりに行くほど老荘的な厭世的気分が発言に滲み出ているのを感じました。

はじめての超ひも理論.jpg 個人的にも、例えば最近の本で『はじめての"超ひも理論"―宇宙・力・時間の謎を解く』('05年/講談社現代新書)などを読むと、超ひも理論から導き出される多元宇宙論では、今我々がいる宇宙は50番目の宇宙で、このあと51番目があるか無いかはわからないという説が述べられていて、何だかますます「江月照らし 松風吹く 永夜清宵 何の所為ぞ」(意味は本書参照)という気分になっていたところです。
はじめての〈超ひも理論〉 (講談社現代新書)

 虚しいけれども、そうした虚無と日常的に向き合う物理科学者の葛藤は、常人の比ではないのかも。「神を持たない宗教」とも言える老荘思想に湯川氏が惹かれるのもわかるような気がしますが、湯川氏自身はこの対談を、自分たちを出汁(ダシ)にして「科学」と「老荘」が対談していたのではなかったか、と振り返っています。

《読書MEMO》
●湯川:量子論をつくりだした物理学者マックス・プランクが、繰り返し使った言葉に、「人間からの離脱」というのがある(5p)
●湯川:老子の最初に「道の道とすべきは常の道にあらず」とあるが、これを曲解すれば(あるいは正解かも知れないが)、20世紀の物理によくあてはまる(8p)
●湯川:物質とかエネルギーとかいう概念に入っていないものとして、重要なものがいろいろある。中でも、従来の物理学の領域に比較的近接しているもの、一番つながりがありそうなものは「情報」だ(17p)
●梅棹:(情報とは)可能性の選択的指定作用のこと(18p)情報というものの性質で一つ大事なことは、ジェネレーティブ generative だということ(生みだす力)(30p)。
●梅棹:科学は、一種の自己拡散の原理。自分自身をどこかへ拡散させてしまう。自分自身を臼のようなものの中に入れて、杵でこなごなに砕いて粒子にしてしまう。それを天空に向って宇宙にばらまくような、そういう作業(95p)
●梅棹:科学の直接の応用を問題にするのだとすれば、科学は本質的に無意味なものだという答を出さざるを得ないことになりかねない(98p)
●湯川:科学者をつき動かしているのは、これは、やはり執念(103p)
●湯川:科学はつねにわからんことを前提にして成り立っている。宗教は、原則としてわからんことがない。科学というのは常に疑惑にみちた思想の体系(.128p)
●湯川:生命の流れの中で、エネルギーを己の存在する一点に集積することで永劫の未来をとりこむ(=当為)、「当為」の方向→現在の時点でのエネルギーのピークをつくる(生命ボルテージを上げる)、「認識」の方向→ピークを両側にならす(生命ボルテージを下げる)。「認識」は科学の本質(.135p)
●湯川:「当為」は自己凝縮の原理、「認識」は自己拡散の原理(.136p)
●湯川:生き方の問題というのは主観の問題か、客観の問題か、難しい。人間は社会的な存在、主観だけですむかどうか知らないが、最後は主観が勝つのじゃないかと思う。心理的なものの方が強い。そこに一種の「絶対」が出てくる(.152p)

【2012年再新書化[中公クラシックス]】

梅棹 忠夫2.bmp  梅棹 忠夫3.bmp  梅棹 忠夫(うめさお ただお)2010年7月3日、老衰のため死去。90歳。

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