【855】 ○ 西村 貞二 『教養としての世界史 (1966/06 講談社現代新書) ★★★★

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1冊で世界史が分かるだけでなく、歴史とは何かを考えさえてくれる本。

講談社現代新書 教養としての世界史_.jpg教養としての世界史.jpg 『教養としての世界史 (講談社現代新書 80)』 〔'66年〕

西村貞二.jpg 一人の歴史家が単独で著した世界史の通史で、しかも新書1冊にコンパクトに纏められていますが、過去にも現在にもこうした試みを為した歴史学者は少ないように思え、また、そうしたことが出来る人というのもあまりいなくなっている気がします。

 著者の西村貞二(1913‐2004)は西洋史学者であり、専門は西欧近世史ですが、本書では、西洋史だけでなく、東洋史(東西アジア、インド)、アフリカ史までを網羅し、西洋史の方は、教科書でわかるようなことは出来るだけ端折って、より本質的な、出来事に至る歴史背景や、その出来事によって何がどう変ったのか、それを支えた文化・思想・哲学は何だったのかなどに踏み込んでいるのに対し、東洋史の方はやや教科書的な観があるもののその差は僅かで、全体を通して、史実の取捨選択とポイントを抑えた解説に、歴史に対する透徹した眼力が窺えます。

 とは言え、語り口は極めて平易で、著者なりの史観が、私見として断りを入れながらもどんどん盛り込まれているので、読み物として楽しめながら読めます。

 例えば、ギリシア・ローマ時代を比較し、歴史は教訓ではないとしながらも、あえて歴史に教訓を求めようとするならば、ギリシアよりもローマから学ぶものが多いとしていたり、中国の唐以前の文化に対して唐の文化を極めて高く評価していたり、中世ヨーロッパの歴史を概説した後、これを8世紀のイスラム文化や7世紀から13世紀の中国文化と比べると、明らかに東洋の方に分があるとしています。

 アジア史における日本の位置づけ、特に清朝末期と比較した場合の、明治維新に対する評価と問題点の指摘なども興味深く、誤りの無い歴史はないというか、誤りがあったからこそ前進があったという著者の考えは、最後に自らが引いているヘーゲルの「歴史の幸福なページは空白」なのかもしれないという指摘に通じるものがあります。

 但し、「ヘーゲル史観」などという難しい話は本書には殆ど出てこない、それでいて、読者に知識を与えるだけでなく、歴史とは何かということを考えさせる筆の運びになっているのが、本書の妙ではないかと思います。

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This page contains a single entry by wada published on 2008年2月11日 21:52.

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