2008年2月 Archives

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努めて冷静に捕虜生活をふりえることで、記録文学的な効果と重み。

アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界.jpg アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界.jpg                 アーロン収容所.jpg
アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界 (中公新書 (3))』 ['62年]/『アーロン収容所 (中公文庫)』 ['72年]

 著者が終戦直後から1年9カ月を、ビルマで英軍捕虜として送った際のことを記したものですが、本書を読んで一番印象に残るのは、捕虜である日本兵(著者)が掃除のために英軍の女性兵士の部屋に入ったところ、女性兵士がたまたま裸でいても、こちらの存在を気にかけないでそのままでいるという場面ではないかと思います(ドアをノックすることを禁じられていたが、それは信頼されているからではなく無視されているからだった)。
 また、暴力こそ振るわないけれども捕虜を家畜のように扱う英軍に、牧畜民族としての歴史を持つ西欧人の、牧畜様式の捕虜への当て嵌めを著者が見出だすところも、ゾッとするものがありました。

 このような英軍の仕打ちの背景には、日本軍の英国人捕虜虐待に対する復讐としての面もありますが、復讐のやり方が、肉体的に痛めつけつけるよりも徹底的に人間としての尊厳を奪う精神的復讐となっているのが特徴的。
 一方で、親しい英軍士官に「戦争して悪かった。これからは仲良くしよう」と言うと、「君は奴隷か。自分の国を正しいと思って戦ったのではないか」、こんな相手と戦って死んだならば戦友が浮かばれないと不機嫌になったということで、その士官は騎士道精神を抱きつつ武士道精神に敬意を払ってるわけで、それに較べて日本人の変わり身の早さが気恥ずかしく思えてくる―この場面も印象的。

 こうした日本人の終戦による価値観の喪失(または、元来の個人の価値観の希薄さ)は、捕虜生活が続くと結局、戦争中の上下関係は消え、物品をどこからか調達することに長けている者が幅を利かせるようになったりすることにも現れているように思え、この辺は、大岡昇平の『俘虜記』などにも通じる記述があったかと思います。
 但し、すべてネガティブに捉えられるべきものでもなく、確かに、盗んだ素材を巧妙に加工し実用に供することにかけては、本書にある日本人捕虜たちは皆、逞しいほどだと言っていいぐらいです。

 読み直してみて、努めて冷静に当時を振り返っているように思え、歴史家としての考察を交えながらもあくまで事実を主体として書いており、更に時に意図的な(?)ユーモアを交えた記述も窺え(著者はその後約15年を経て40代後半になっているわけだから、相当の冷却期間はあったと見るべきか)、それらが記録文学的な効果を生み、却って当時の屈辱や望郷の念がよく伝わってきます。

 また、当時収容所内外にいたビルマ人、ネパール人、インド人などのこともよく書かれていることに改めて気づき、それぞれの行動パターンに民族の特徴が出ているのが面白く(その中でもまたある面では、個々人の振舞い方が異なるのだが)、「アジアは一つ」とか言っても、なかなかこれはこれで難しいなあと。

会田雄次(あいだゆうじ).jpg 著者はマキャベリ研究の大家であり、晩年はちょっと意固地な保守派論客という感じで馴染めない部分もありましたが、本書はやはり優れた著作だと思います。
 本書を「子どもっぽい愚痴だらけ」と評したイギリス贔屓の人もいましたが、自分が同じ体験をしたら、やはり西欧人を見る眼も全く違ったものになるだろうと、そう思わせるような強烈な体験が描かれた本です。

会田雄次 (1916‐1997/享年81)
【1973年文庫化[文春文庫]】

《読書MEMO》
●「その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない。私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終ると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸いはじめた。
 入って来たのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、彼女らはまったくその存在を無視していたのである」(新書39p)

「中公新書」創刊ラインナップ
桑原武夫編『日本の名著』
野々村一雄著『ソヴェト学入門』
会田雄次著『アーロン収容所』
林周二著『流通革命』
加藤一朗著『象形文字入門』

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催眠の技法を面接話法として具体的に記述。暗示の力の凄さを実感したこともあったが...。

催眠面接法.jpg催眠術入門―あなたも心理操縦ができる (カッパ・ブックス).jpg 催眠術入門.jpg 自己催眠術 劣等感からの解放・6つの方法.jpg 成瀬悟策(なるせ ごさく).jpg
藤本正雄(左写真)『催眠術入門―あなたも心理操縦ができる (1959年) (カッパ・ブックス)』『催眠術入門―あなたも心理操縦ができる』(旧版/新版)/平井富雄『自己催眠術―劣等感からの解放・6つの方法 (カッパ・ブックス)藤本正雄.jpg/成瀬悟策(なるせ・ごさく) 九州大学名誉教授
催眠面接法』['68年]成瀬悟策『催眠面接法 POD版』['07年]

 昭和30年代に催眠術ブームがあり、例えば日産生命名誉会長の藤本正雄氏 (1908-1993、執筆時は同社常務)の書いた『催眠術入門』('59年/カッパブックス)などがベストセラーになりましたが、この本は催眠の効用や技法をわかりやすく示したたいへん良心的な内容でした。但し、その他の催眠に関する本で「術」とつくものには少し妖しげなものも少なくなかったようです(それは昭和平井富雄.jpg40年代に再ブームが到来したときも同様で、そうした本を書いている人がテレビ番組などに出演するなどして催眠ブーム(催眠への認知)を広げたということもあるが)。自己催眠に関するものでは、東京大学の平井富雄教授(1927-1993、執筆時は東大講師)の『自己催眠術』('67年/カッパブックス)は。やはり「術」とはつきますが、良かったというか、真っ当な内容であったように思います(書かれていることは学術的言い方をするならば「自律訓練法」のことなのだが)。

「 暗示と催眠の世界」.jpg 比較的入手しやすい本で信頼できる学者が書いたものとしては、木村駿氏の暗示と催眠の世界』('69年/講談社現代新書)がありましたが、「暗示」の部分で社会心理学的なテーマまで扱っているため、催眠の技法部分については、一応は書かれているものの、それほど詳しくない―そこで、催眠の技法についてきっちり書かれている本は?ということで探して、本書をはじめとする成瀬悟策氏の著書に行き着きました。

 とりわけ本書 『催眠面接法』は、催眠の技法が面接話法的に、実際に用いる話し言葉で幾通りも示されているので実践的です。本書を参照し、以前に何人かの被験者に催眠を試みる機会がありましたが、概ねうまくいき、中には、"後催眠暗示"までいって、手を叩けば窓を開けるとか、窓を開けると飲み物が欲しくなるとか、催眠中にこちらで指示した通りに行動する人もいました(何だか、こちらが優位に立った気になるのが危うい)。

 ここまでになると本人の催眠感受性による部分が大きいわけで、被験者の集中力の高さのお陰と考えるべきかも。その被験者は、殆ど受験勉強らしいことをせず一流大学に現役合格した人だったそうです。

 「催眠術」として遊び気分でやったこともあり、後輩に掌に置いた硬貨が熱くなるという暗示をかけたら、冷たいはずの硬貨でヤケドしたといったこともあって、自分より年下が相手だったということで、そうした上下関係が暗示効果を増幅した面もあったかと思われますが、それにしても暗示の力の凄さを思い知りました。

 この本は技法について詳しく書かれていますが、それだけでなく、臨床場面において技法が実際にいかなる分野でどのように用いられるかが論述されていて、"後催眠暗示"は充分に覚醒させて終了することが大事であるとのこと。また、フロイトの催眠療法のような権威的効果の利用に否定的であり、当然のことながら、自分が硬貨を使ってやったようなことは、被験者にとって百害あって一利もない邪道であることがわかります―大いに反省。

藤本 正雄 『催眠術入門』 ('59年/カッパ・ブックス)カバー-デザイン:田中一光
藤本 正雄 『催眠術入門』d.jpg 藤本 正雄 『催眠術入門』331.jpg
藤本 正雄 『催眠術入門』0108.jpg

《読書MEMO》
●60年代末~70年代の所謂"催眠本"
守部昭夫『あなたもできる催眠教室』('69年/ベストセラーズ)/守部昭夫『他者催眠』('72年/ベストセラーズ)/世和玄次/『HOW TO プロ催眠術師』('73年/日本文芸社)/時川匠『8週間でマスターする催眠勉強法』('73年/アロー出版社)/世和玄次『催眠技術独習 わかりやすい精神統一法!』('74年/日本文芸社)
7あなたもできる催眠教室.jpgHOW TO プロ催眠術師.jpg8週間でマスターする催眠勉強法.jpg7他者催眠jpg.jpg4催眠技術独習.jpg

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「原因」も「基準」もわからない部分が多いが、対策は一応あります、という感じ。

人はなぜ太るのか 肥満を科学する.jpg人はなぜ太るのか―肥満を科学する (岩波新書)』['06年]岡田 正彦.jpg 岡田正彦氏(略歴下記)
 
ダイエット.jpg 本書の内容を自分なりの印象で大きく分けると、肥満の「原因」「基準」「対処」についてそれぞれ述べられていると考えられ、そのうち、本書タイトルにあたる「原因」については、まだわかっていないことが多いということがわかった―という感じです(後天的なものか先天的なものかというのは、ヒトを使った長期的実験が出来ないため、完全に検証することは事実上不可能ということ)。

 それと、最近話題になっている「肥満の基準」についてですが、本書では〈BMI(体重/身長の2乗)〉が有効であり、〈ウエスト周囲長〉も、心筋梗塞の発生率などとの相関は高いとしていますが、最近、自宅でも使える電気抵抗を利用した測定器がブームの〈体脂肪率〉は、皮下脂肪と内臓脂肪を区分せず測定した結果であるなどの問題点があるそうです(個人的には、スポーツクラブでこの「ボディスキャン」体験した。体組成を"部位別"に測定できるのが売りで、筋肉量・骨量・体脂肪・基礎代謝などが5分間程度で測定できて手軽ではあったが、この場合の"部位別"とは、上半身や脚部ということであり、身体の内側・外側ということではないようだ)。

 だから〈BMI〉が基準として完璧かと言うと、スポーツ選手などでは当て嵌まらないケースもあり(BMI批判として体脂肪率が提唱された)、また、メタボリックシンドロームの主たる判定基準となっている〈ウエスト周囲長〉も、数値区分の根拠を明確化できていないため、実際にメタボリックかどうかを判定する際は、中性脂肪比、血圧、血糖値などと併せて総合判定しているとのこと。

 「原因」も「基準」もわからない部分が多いけれども、肥満対策は一応考えねば、という感じですが、予防医学の専門家であるだけに、運動療法や食事療法、医学療法などは、コンパクトに網羅されていて、一方、酒の飲み方と肥満の関係では俗説を正したりもし、また、同じ食事内容でもコレステロールの蓄積度には個人差が大きいことを指摘していて、なかなか興味深かったです。

 ダイエット本が多く出版されていますが、著者によれば、その多くは個人的体験を綴ったものにすぎず、そこで示されるダイエット法には、ナンセンスなものや、時に有害なものあるとのこと、それに対して本書は、「学術論文と同じぐらい新しく、間違いがなく、役に立つ情報を、わかりやすく纏めたつもり」であるとのこと、肥満の原因のわからない部分や、肥満の基準の曖昧な点を明かしているのは、学者としては良心的であるということになるかも。
 本書の内容の信用度自体は高いと思われるので、肥満が気になる人には啓蒙書として手元に置いておくと、少し安心できるかも知れません(安心するだけではいけないのだが)。
_________________________________________________
岡田 正彦 (新潟大学医学部教授)
経 歴
1972年 新潟大学医学部卒業
1972年  同  医学部附属病院内科研修医
1974年  同  脳研究所助手
1990年  同  医学部教授
受 賞
・新潟日報文化賞(1981年度)
・臨床病理学研究振興基金「小酒井望賞」(2001年度)
実用化した研究
・悪玉中性脂肪の測定法(2005年):「悪玉中性脂肪(VLDL-TG)」の開発に成功、商品化の準備中。メタボリック・シンドロームを診断するための究極の検査法になると考えている。
・新潟スタディ(2000年):健常者約2,000名の健康状態を追跡調査している。目的は、日本人における動脈硬化症の危険因子を探るため。LDLコレステロール、HbA1c、肥満度、収縮期血圧が重要であることを発見。

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学者の対談に一般人が加わる試み。「手話」や「双生児」を通して探る脳の話が興味深い。

カフェ・デ・サイエンス.jpg遺伝子・脳・言語.jpg 『遺伝子・脳・言語―サイエンス・カフェの愉しみ (中公新書 1887)』 ['07年]

 武田計測先端知財団が主催した「カフェ・デ・サイエンス」という、一般の人々が科学者と一緒に、科学的テーマを日常的な言葉で考える企画で、遺伝子研究の堀田凱樹氏と脳研究の酒田邦嘉氏を構師(対談者)として6回にわたって行われたものを本にしたもの。テーマは「脳」。

 第1回、第2回は、脳と遺伝子や環境との関係、脳と言語の関係、というテーマで講義が進められ、一般参加者が質問をしていくのですが、何だか質問の方向性やレベルがバラバラで、1つ1つのQ&Aは面白いことは面白いのですが、こんな「ぱらぱら」した感じで進んでいくのかなあと...(結構、こういうカフェに参加する人は、科学番組とか見ているんだろうなあと思わせるような、そんな"仕入れネタ"的質問が多かった)。

双生児の脳科学.jpg手話の脳科学.jpg そしたら、第3回で手話通訳者をゲストに迎え「手話の脳科学(脳と言語の関係)」を、第4回では一卵性双生児の学者の卵を迎え「双生児の脳科学(脳と遺伝子や環境との関係)」を、それぞれテーマとし実証的に(実例的に)討議していて、対象が絞れた分、内容も締まったという感じ。
                 
脳が生みだす科学.jpg脳とコンピューター.jpg 第5回では「脳とコンピュータ」というテーマで、フランス人のチェスの元日本チャンピオンを招いていますが、この辺りからどんどん参加者が質問するだけでなく活発に議論に参加するようになり、最終回では堀田・酒田両氏もファシリテーター的立場になっていて、司会をした財団のコーディネーターの方も、カフェの理想に近かったと自画自賛していますが、最後でまた、ややバラけた印象も。

 堀田・酒田両氏の話は、最先端の研究成果が盛り込まれている一方で、脳科学の本を何冊か読んでいる人には復習的部分も多かったのではないかとも思われますが、身近な話題を織り込んでいて気軽に読める点はいいと思いました。

 遺伝子学者の堀田氏は、昔"ラジオ少年"で、生物が苦手のまま医学部へ進み平滑筋の電気生理学など研究をしていたのが、もともと脳に興味があり、脳を知るには遺伝子を知らねばという思いからショウジョウバエの染色体研究へ転身したそうですが、そうした来歴が脳に関する話の内容にも現れていたと思いました。

 個人的には、手話のところで出た右利き・左利きのろう者の話や、双生児たち自身がシンクロニシティ経験の有無について語る部分などが特に興味深かったです。

 ゲストで招かれた双生児2人の出身校・東大附属中学には、脳研究の一環として双生児を"追跡"研究するための「双生児特別枠」が50年以上前からあるそうですが、初めて知りました。

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一般常識を覆すような内容も。中高生の質問が良く、それを導く著者の手腕も立派。

進化しすぎた脳 中高生と語る〈大脳生理学〉の最前線.jpg 『進化しすぎた脳 (ブル-バックス)』 ['07年] 進化しすぎた脳.jpg 単行本 ['04年/朝日出版社]

海馬/脳は疲れない.jpg ベストセラー『海馬/脳は疲れない』('02年/朝日出版社)の著者が、米国留学中に、脳をテーマに中高校生に4回に渡って講義したもので、'04年にソフトカバー単行本として一旦刊行されていますが、'07年にブルーバックスに収めるにあたり、脳科学を学ぶ日本の大学生に対して行った講義を、最後に1講追加しています。

 第1講では、脳が身体を規制しているという一般概念を覆し、身体が脳を規制しているのだと―、しかし、実際には人間の脳は必要以上に進化している、それはなぜか、といった感じで、のっけからスリリング。
 第2講では、「人間は脳の解釈から逃れられない」というタイトルで「意識」や「意志」といったことをテーマに様々な角度から解説していますが、「自由意志とは潜在意識の奴隷である」と言明しています。手足を動かすことさえ、そうなのだと。動かそうと思って動かすのではなく、脳が、先にそうしたくなうような指令を出して、後から意志や感情がついてくる。クオリアなども後発的副産物なのだ―と。

 第3講では、「記憶」をテーマに、曖昧な記憶しか持てないという脳の特質を明らかにする一方で、記憶のメカニズムを大脳生理学的観点から解説(この部分は少し難しいが、それでも類書に比べて解り易い)、第4項では、アルツハイマー治療など最先端研究を通して、脳の進化について語っています。

 追加された第5講は、2、3年で脳科学研究の状況は目覚しく変化するということでの追加らしいですが、大学生たちが脳科学を専攻した理由とかにページが結構割かれていて、質疑もいかにも学者の卵っぽいものが多い。

 それに比べると、4講までの中高生の質問は(慶応ニューヨーク学院の生徒たち8名を先着順で受講生に据えたらしいが)、わかりやすい言葉で発せれながらもユニークで、しかも、意図せず最先端のテーマに繋がるものも多く、講師の話を進めていく原動力になっています。
 (一緒に授業を受けていて、誰かが質問をした意味が最初わからず、先生の答えを聞いて、「ああ、いい質問だったんだなあ」と初めて知った―そんな経験を、読みながらしている感じ。遅れをとってはいけない、という気分になった。)

 こうしたことは、何よりも導き手である講師の手腕によるところが大きいのでしょうが(著者自身も、あの頃の自分だから出来た、と述べている)、最先端にある研究者が、極めて有能な教師でもある場合の好例であり、それが、教授でも准教授でもなく、30歳代前半の「助手・研究員」クラスの人によって為されているというのが面白いと言えるかも('07年に准教授になったが)。
 これからが楽しみな人。あまり「頭が良くなる...云々」的な本ばかり書いて、商売の方に走らないで欲しい。

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今でもそこそこにオーソドックスな入門書として読める。

脳の話16.JPG脳の話 岩波新書.jpg  時実利彦(1909-1973).gif 時実利彦(生理学者、1909-1973/享年63)
脳の話 (岩波新書)』['62年]

 1962(昭和37)年刊行という古さですが(1963年・第17回「毎日出版文化賞」受賞)、本論の最初で系統発生(脳の進化)と個体発生(脳の発達)、マクロ解剖の構造(脳の構造)を解説し、次にニューロンなどシステムの話(ネウロン)に入っていくという体系は、現代の専門教育におけるオーソドックスな講義の進め方と何ら変わらないものです。
 中盤は、大脳皮質の分業体制を示し、感覚、運動、感情、言語などのメカニズムを説き、後半では、記憶や学習、眠りと夢見、意識や行動などを、脳がどのように司っているかが書かれています。

 教科書的な並び方ですが、例えば「脳の重さ」についてだけでも、
 ・古代人類の脳の重さは現代人類の何歳のそれに相当するか(例えば北京原人は、3歳児ぐらいの脳の重さ)、
 ・偉人たちの脳の重さは普通の人より重かったのか(重い場合もあるが、必ずしもそうであるとは言えない)、
 ・脳の重さは高等動物の証しなのか(クジラの脳は7000gある)、
 ・では「脳重:体重」の比率が高等・下等を示しているのか(日本人の脳の重さの体重比は、スズメやテナガザル、シロネズミより小さい―だったらアメリカ人もフランス人もそうだろうが)、
 等々。
 そうなると、高等・下等を決めるのは、脳細胞の数か、皺の数か、はたまた細胞の絡み方か、と...読者の関心を引き込むような記述がなされています。

 図説も豊富ですが、著者は、実験脳生理学の手法を日本に導入した人であり、これまでの有名な海外での実験を紹介するだけでなく、自らの実験室で行ったマウス実験などを、写真と併せて紹介しているのが興味深く、電気生理学と分子生物学、とりわけ電気生理学の面での脳研究は、記憶の仕組みと海馬の役割などについても、この頃には既にここまでわかっていたのか、という思いにさせられます。

 「生の意欲」「生の創造」は前頭葉がその座であるとし、「生の創造」が人類滅亡の危機を抱かせることになった今日、「生の意欲」を達成するためには、シュバイツァーの説くところの「生への尊敬」が平和への唯一の道であり、脳の仕組みを凝視し、この心に徹してこそ豊かな実りが期待できると結んでいて、この頃の偉い先生って、思想と学問をきっちり結び付けていたのだなあという思いがしました。

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数式を使わないで相対性理論を説明。文系向きで楽しく読める入門書。

宇宙時代の常識-教養としての相対性理論.jpg 『宇宙時代の常識―教養としての相対性理論』 講談社現代新書 ['66年] 数式を使わない物理学入門.jpg 『数式を使わない物理学入門―アインシュタイン以後の自然探検 (1963年)』 光文社カッパブックス

宇宙時代の常識―教養としての相対性理論0.JPG宇宙時代の常識_5317.JPG アインシュタインの相対性理論の入門書として、たいへん分かり易い本で、同時期に読んだ何冊かの中で、内容が最もすんなり頭に入った本でした。

猪木 正文.JPG 版元は講談社ですが、〈ブルーバックス〉ではなく〈現代新書〉の方に入っているのがミソというか、初心者向きであるとともに文系向きであり、殆ど数式を使わず、比喩表現など言い表し方を工夫することで補っています。

 説明を補足する図も、図というより「絵」的で(真鍋博のイラスト)、喩え話として挿入されている宇宙旅行の話なども含め、SF小説感覚で読めます。

 例えば、加速度(重力)が時間を遅らせることの説明を、年上の妻との不和を解消するにはどうしたらよいかといったユーモラスな話で説明したり(妻を宇宙船に乗せて旅をさせ、年齢差を逆転させることで不和解消?)、遊星間または恒星間宇宙船は可能かというSF的テーマのもと試算結果を検討したりして(原理的には、例えば20光年先にある星ならば地球時間で18年で往復可能ということになる)、読者の興味を惹き付けるのが上手。

 著者の猪木正文(1911‐1967)は、湯川秀樹、朝永振一郎らを育てた仁科芳雄(1890‐1951)に師事した物理学者ですが、『数式を使わない物理学入門』('63年/カッパブックス)といった著書もあり、「数式を使わない説明」を得意としていたのでしょうか、本書刊行の翌年、50代半ばで亡くなっているのが惜しまれます。

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自己暗示も記憶喪失も嘘の類型であると―。印象に残った記憶喪失者の話。

『うその心理学』相場均(講談社現代新書).jpgうその心理学.jpg 『うその心理学』相場均(談社現代新書)2.jpg 異常の心理学.jpg
うその心理学』 講談社現代新書〔'65年〕/『異常の心理学』〔'69年〕/『うその心理学』本文イラスト:真鍋博

うその心理学』18.JPG 本書でも紹介されている、子犬を絞め殺した夢を見た女性のフロイトによる分析の話は有名ですが、こうした憎しみの「転移」は、夢の中で自分に嘘をついているとも言え、本書を読むと、人間というのは、夢に限らず現実においても嘘をつくようにできているということになります。但し、自己中心的な嘘をつき続ける人は、やはり虚言症と呼ばれる病気であり、クレペリンの調べでは、虚言症者の43%は自殺を図っているそうです(周囲の誰かが病気だということに気づいてあげないと危険な状況になるかも)。

 自己暗示などは意識的に自分を騙すような要素もあるわけで、一方、記憶喪失の場合は、無意識のうちに(自己防衛的に)自分に嘘をつく(自分を欺く)ものと言えるようです。同じ著者の『 異常の心理学』('69年/講談社現代新書)を読んだ時に記憶喪失の症例が印象に残りましたが、本書でも、特に印象に残ったのは、ルーという記憶喪失者の話(124p)。

West Country Gallery web site.jpg ルーは貧しい若者だった。母と2人、とある町に住み、小さな店で働いていた。仕事は単調で、生活は苦しく味気なかった。彼の楽しみといえば、場末の酒場に集まる船員たちに混じって、彼らの冒険談に聞き入ることだった。危険とスリルに富んだ海の男の生活。熱帯の陽光に輝く紺碧の海。遠い国々の風景。ルーは夢み、そして憧れた。しかし、彼には養わねばならない母がある...。

 ある日、ルーは突然姿を消した。年老いた母親の嘆き。探索。ルーはあちこちの家の手伝いをしたりして僅かな路銀を稼ぎながら、海辺の町へと旅をしたのだった。初めて、運河をゆき過ぎる荷船で働き、辛い労働によく耐えた。やがて、あちこちを流れ歩く鋳掛屋の徒弟になった。海への憧れは満たされたとは言えないが、それでも変化のある生活が送れた。

 数ヵ月たったある日、親方は徒弟たちに酒を振舞った。「今日はちょっとお目出度いことがあるのでな。祝杯でもやってくれ。」ルーは親方に今日は何日ですかと聞いた。親方が日を教えたとき、突然ルーは叫んだ。「今日は母さんの誕生日だ。」若者は、はっとわれにかえった。ここはどこだろう。今まで僕は何をしていたのだろう。いつも行く場末の酒場で船乗りたちと酒を飲み、彼らの話を聞き、そして酒場を出た―彼の頭の中にあるのは、それだけだった。そこからは空白なのだ。今まで何をしていたのか全然記憶が無い。びっくりして彼を見つめている親方の顔も、ルーには全く見知らぬ人の顔だった―。これって、今で言うところの「解離性遁走」に近いのではないだろうか。

Ronald Colman, Greer Garson in Random Harvest
『心の旅路』グリア・ガースン、ロナルド・コールマン.bmp こうした記憶喪失は映画などのモチーフしても扱われており、よく知られているのがマーヴィン・ルロイ監督の「心の旅路」(原題:Random Harvest、'42年/米)です(原作は『チップス先生、さようなら』『失われた地平線』などの作者ジェームズ・ヒルトン)。

心の旅路ド.jpg 第1次世界大戦の後遺症で記憶を失ったスミシィ(仮称)という男が、入院先を逃げ出し彷徨っているところを、踊り子ポーラにに助けられ、2人は結婚し田舎で安穏と暮らすが、出張先で転倒したスミシィは、自分がレイナーという実業家の息子であった記憶喪失以前の記憶を取り戻し、逆に、ポーラと過ごした記憶喪失以後の3年間のことは忘れてしまう―。

 かなりご都合主義的な展開ととれなくもありませんが、「コールマン髭」のロナルド・コールマンが記憶喪失になった男を好演していて(共演はグリア・ガーソン)、同じマーヴィン・ルロイ監督の"メロドラマ"「哀愁」よりも、こちらの"メロドラマ"の方が素直に感動してしまいました("記憶喪失"というモチーフの面白さもあったが)。

「心の旅路」パンフレット
心の旅路 パンフレット.jpg「心の旅路」.jpg「心の旅路」●原題:RANDOM HARVEST●制作年:1942年●制作国:アメリカ●監督:マーヴィン・ルロイ●製作:シドニー・フランクリン ●脚本:クローディン・ウェスト/ジョージ・フローシェル/アーサー・ウィンペリス●撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ ●音楽:ハーバート・ストサート●原作:ジェームズ・ヒルトン「心の旅路」●時間:124分●出演: ロナルド・コールマン/グリア・ガーソン/フィリップ・ドーン/スーザン・ピータース/ヘンリー・トラヴァース/レジナルド・オーウェン/ライス・オコナー●日本公開:1947/07●配給:MGM=セントラル●最初に観た場所:高田馬場ACTミニシアター(84-12-23)(評価:★★★★)●併映「舞踏会の手帖」(ジュリアン・デュビビエ)

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「●中公新書」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の著書(湯川 秀樹)

円熟期の湯川博士が科学の未来や宗教と科学について語る―「科学」と「老荘」の対談。

人間にとって科学とはなにか.jpg人間にとって科学とはなにか (中公新書132)』['67年] 湯川秀樹.jpg 湯川秀樹 (1907-1981/享年74)『J-46 人間にとって科学とはなにか (中公クラシックス)['12年]

人間にとって科学とはなにかc.bmp 湯川秀樹60歳、梅棹忠夫47歳頃の対談。物理学者と人類学者でかなり面持ちが異なる「大家」のとりあわせのようですが、梅棹忠夫氏は生物学から入って人類学に転じた人で、湯川氏も生物学への関心が高く、生物学と物理学の融合といった統一科学的な話にすんなり入り、科学と価値体系やヒューマニズとの関係の問題、宗教と科学の問題や、科学の未来はどうなるかといった話に、高い密度を保ったまま拡がっていきます。

 NHKのフィルムアーカイブで最晩年の湯川氏が世界平和を訴えているのを見たことがありますが、さすがに老いたという感じで(一応まだ70代前半なのだが、この人晩年は多病だった)、それに比べて、この対談の頃は、抽象的な問題を分かり易く論理的に説明したかと思うと、いきなり禅問答みたいにジャンプしたりして、それでいて、そのジャンプ先が元のテーマとしっかり繋がっており、こうした大きなテーマを扱うに相応しい、「知の巨人」ぶりを見せつけてくれます。

KAWADE夢ムック 梅棹忠夫.jpg 一方、この大科学者に伍する形であらゆるところからテーマを引っぱってくる梅棹氏も凄いけれども、やはり年齢差もあって、話しながらも基本的には聞き手であるといった感じがし、但し、京都学派の先達と後輩ということもあって知的土壌での共通項があるのか波長が合う感じがし、時々2人とも京都弁になるなどして読む側に対しても親近感を感じさせます。 『梅棹忠夫---地球時代の知の巨人 (文藝別冊)

 とは言え、碩学の2人の話は難しい部分もあり、禅問答のような部分まで含めて自分に全部出来たか、心もとなさも残りましたが、湯川氏が、「知」の世界に人でありながら「知」を否定する老荘思想との結びつきが強い自分というものを対象化して語っているのが興味深く、対談の終わりに行くほど老荘的な厭世的気分が発言に滲み出ているのを感じました。

はじめての超ひも理論.jpg 個人的にも、例えば最近の本で『はじめての"超ひも理論"―宇宙・力・時間の謎を解く』('05年/講談社現代新書)などを読むと、超ひも理論から導き出される多元宇宙論では、今我々がいる宇宙は50番目の宇宙で、このあと51番目があるか無いかはわからないという説が述べられていて、何だかますます「江月照らし 松風吹く 永夜清宵 何の所為ぞ」(意味は本書参照)という気分になっていたところです。
はじめての〈超ひも理論〉 (講談社現代新書)

 虚しいけれども、そうした虚無と日常的に向き合う物理科学者の葛藤は、常人の比ではないのかも。「神を持たない宗教」とも言える老荘思想に湯川氏が惹かれるのもわかるような気がしますが、湯川氏自身はこの対談を、自分たちを出汁(ダシ)にして「科学」と「老荘」が対談していたのではなかったか、と振り返っています。

《読書MEMO》
●湯川:量子論をつくりだした物理学者マックス・プランクが、繰り返し使った言葉に、「人間からの離脱」というのがある(5p)
●湯川:老子の最初に「道の道とすべきは常の道にあらず」とあるが、これを曲解すれば(あるいは正解かも知れないが)、20世紀の物理によくあてはまる(8p)
●湯川:物質とかエネルギーとかいう概念に入っていないものとして、重要なものがいろいろある。中でも、従来の物理学の領域に比較的近接しているもの、一番つながりがありそうなものは「情報」だ(17p)
●梅棹:(情報とは)可能性の選択的指定作用のこと(18p)情報というものの性質で一つ大事なことは、ジェネレーティブ generative だということ(生みだす力)(30p)。
●梅棹:科学は、一種の自己拡散の原理。自分自身をどこかへ拡散させてしまう。自分自身を臼のようなものの中に入れて、杵でこなごなに砕いて粒子にしてしまう。それを天空に向って宇宙にばらまくような、そういう作業(95p)
●梅棹:科学の直接の応用を問題にするのだとすれば、科学は本質的に無意味なものだという答を出さざるを得ないことになりかねない(98p)
●湯川:科学者をつき動かしているのは、これは、やはり執念(103p)
●湯川:科学はつねにわからんことを前提にして成り立っている。宗教は、原則としてわからんことがない。科学というのは常に疑惑にみちた思想の体系(.128p)
●湯川:生命の流れの中で、エネルギーを己の存在する一点に集積することで永劫の未来をとりこむ(=当為)、「当為」の方向→現在の時点でのエネルギーのピークをつくる(生命ボルテージを上げる)、「認識」の方向→ピークを両側にならす(生命ボルテージを下げる)。「認識」は科学の本質(.135p)
●湯川:「当為」は自己凝縮の原理、「認識」は自己拡散の原理(.136p)
●湯川:生き方の問題というのは主観の問題か、客観の問題か、難しい。人間は社会的な存在、主観だけですむかどうか知らないが、最後は主観が勝つのじゃないかと思う。心理的なものの方が強い。そこに一種の「絶対」が出てくる(.152p)

【2012年再新書化[中公クラシックス]】

梅棹 忠夫2.bmp  梅棹 忠夫3.bmp  梅棹 忠夫(うめさお ただお)2010年7月3日、老衰のため死去。90歳。

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戦国はヨーロッパ流の「食うか食われるか」の時代。マキャベリズムの実践者だった信長と秀吉。

敗者の条件2.jpg敗者の条件 改版 (中公文庫 あ 1-5)』文春文庫['07年改版版]敗者の条件.jpg敗者の条件―戦国時代を考える (中公新書 (62))』['65年] 
 
会田雄次(あいだゆうじ).jpg 西洋史学者・会田雄次(1916‐1997)が書いた日本史の本で、晩年は右派の論客として鳴らした人ですが、学者としても40代で既に専門分野の枠を超えていた?
 でも何故、イタリア・ルネッサンスの専門家が日本の戦国武将のことを書くのか?

会田雄次 (1916‐1997/享年81)

アーロン収容所.jpg そのあたり、まず、『アーロン収容所』('62年/中公新書)にもあった自身の英軍捕虜体験の一端が本書でも紹介されていて、それは、英国人が、死刑判決を受けた日本人戦犯に対し、恩赦が下るという偽の噂を流して生きる望みを抱きかけたところで処刑を行うというもので、肉体だけでなく精神まで破壊しないと復讐をしたという気にはなれないという英国人(ヨーロッパ人)の、日本人には見られない復讐心の強さ、あるいは競争心の強さなどを指摘しています。

 著者の専門であるルネッサンス期のイタリアは、こうしたヨーロッパ人気質が最も顕著に現れた時代であり、小国乱立の中、芸術・文化の繁栄と権謀術数の渦巻く政治が併存していたのですが、ヨーロッパ史全体を俯瞰すればこうした状況の方がむしろ常態であり、それに比べると日本の歴史はぬるま湯のような時代が殆どを占める、その中で戦国時代というのは、ちょっと油断をすれば寝首を掻かれる特異な時代で、この時代に限れば、ヨーロッパ流の「食うか食われるか」という時代だったと。

 こうした観点のもとに、歴史の敗者となった人物が、どこでどういう過ちを犯してそうなったのかを、斎藤道三、武田信玄・勝頼、蒲生氏郷、松永秀久などの辿った道を追いながら検証していますが、彼らに共通するのは、肉親に対する思い入れや自分に対する過信、敵に対する見くびりなどが、ここ一番という時の判断を狂わせ、それが身の破滅に繋がったとしているとのことで、一方で、織田信長や豊臣秀吉など、世が平和であれば異常者とされたり卑賤とされたりするような人物が戦国の世において覇権を握ったのは、従来の日本人(あるいは武将)の価値規範や因習にとらわれず、また、ここぞという時に決断し、躊躇せず実行に移すだけの胆力があったという、その人間的器の違いに尽きるということのようです。

 信長や秀吉のしたことの中には、常軌を逸した非人道的な事柄も少なくありませんが、その行動指針は、著者が指摘するように、マキャベリの君主論に見事に重なっているように思え(例えば「一度叛いた人間には、けして最終的に信を置くな」といった法則)、途中で挿入されているヨーロッパ史上のやり手の君主の話や油断して殺された側の話が、これら日本の武将たちの明暗とダブり、より説得力をもって「敗者」と「勝者」の違いが理解できます。

 戦国モノなので、読んで面白いということが先ずありますが、1つ1つの史料に対してその真偽を吟味している点では歴史家のスタイルを保ちながら、本書で展開されている趣旨の中核部分が、ある種の精神論であるというのも興味深いです。

 【1983年文庫化・2007年改版[中公文庫]】

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1冊で世界史が分かるだけでなく、歴史とは何かを考えさえてくれる本。

講談社現代新書 教養としての世界史_.jpg教養としての世界史.jpg 『教養としての世界史 (講談社現代新書 80)』 〔'66年〕

西村貞二.jpg 一人の歴史家が単独で著した世界史の通史で、しかも新書1冊にコンパクトに纏められていますが、過去にも現在にもこうした試みを為した歴史学者は少ないように思え、また、そうしたことが出来る人というのもあまりいなくなっている気がします。

 著者の西村貞二(1913‐2004)は西洋史学者であり、専門は西欧近世史ですが、本書では、西洋史だけでなく、東洋史(東西アジア、インド)、アフリカ史までを網羅し、西洋史の方は、教科書でわかるようなことは出来るだけ端折って、より本質的な、出来事に至る歴史背景や、その出来事によって何がどう変ったのか、それを支えた文化・思想・哲学は何だったのかなどに踏み込んでいるのに対し、東洋史の方はやや教科書的な観があるもののその差は僅かで、全体を通して、史実の取捨選択とポイントを抑えた解説に、歴史に対する透徹した眼力が窺えます。

 とは言え、語り口は極めて平易で、著者なりの史観が、私見として断りを入れながらもどんどん盛り込まれているので、読み物として楽しめながら読めます。

 例えば、ギリシア・ローマ時代を比較し、歴史は教訓ではないとしながらも、あえて歴史に教訓を求めようとするならば、ギリシアよりもローマから学ぶものが多いとしていたり、中国の唐以前の文化に対して唐の文化を極めて高く評価していたり、中世ヨーロッパの歴史を概説した後、これを8世紀のイスラム文化や7世紀から13世紀の中国文化と比べると、明らかに東洋の方に分があるとしています。

 アジア史における日本の位置づけ、特に清朝末期と比較した場合の、明治維新に対する評価と問題点の指摘なども興味深く、誤りの無い歴史はないというか、誤りがあったからこそ前進があったという著者の考えは、最後に自らが引いているヘーゲルの「歴史の幸福なページは空白」なのかもしれないという指摘に通じるものがあります。

 但し、「ヘーゲル史観」などという難しい話は本書には殆ど出てこない、それでいて、読者に知識を与えるだけでなく、歴史とは何かということを考えさせる筆の運びになっているのが、本書の妙ではないかと思います。

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"スナップの天才"ぶりは異国の地でも萎えることがなかった。

木村 伊兵衛 『木村伊兵衛のパリ』.jpg木村伊兵衛のパリ.jpg 『木村伊兵衛のパリ』 ['06年] 僕とライカ 木村伊兵衛傑作選+エッセイ.jpg 『僕とライカ 木村伊兵衛傑作選+エッセイ
(31.8 x 23.4 x 3.8 cm)

 輸入したてのライカを使って1930年代の東京を撮ったことで知られる木村伊兵衛(1901‐1974)が、日本人写真家として戦後初めてヨーロッパ長期取材に出かけてパリの街を撮ったカラー作品群ですが、木村の没後も人目に触れることのなかったのが、撮影から半世紀を経た海外での写真展出品を機に再評価され、日本でも写真集(本書)として刊行されたものであるとのこと。

木村004.jpg 全170点の中には一幅の風景画のような作品もありますが、パリの下町や市井の人々を撮ったスナップショットのようなものが多く、50年代に出版された木村の「外遊写真集」に対し、木村の盟友・名取洋之助(1910‐1962)が、木村をガイドとした外国旅行として楽しめばよいのか、木村の写真集として見ればよいのか、と彼に迫ったところ、「人間を通しての甘っちょろい観光になっているかもしれない」が、「ヨーロッパの人間がわかってくれれば良い」と答えたとのこと―、随分控えめだが、彼らしい答かも。

木村005.jpg 当時の事情から、国産低感度フィルム(フジカラーASA10)での撮影となっていて、確かに露出が長めの分、ブレがあったり少し滲んだ感じの写真が多いのですが、これはこれで味があるというか、(多分計算された上での)効果を醸しています。
 同じ街の風景でも、昭和30年頃の日本とパリのそれとでは随分異なり、19世紀から変わらず21世紀の今もそのままではないかと思われるような町並みも多く、風景などを捉えた写真では、エトランゼとして驚嘆し、そこに佇む木村というものを感じさせます。

 しかし、撮影者の存在を忘れさせる作品が本来のこの人の持ち味、木村012.jpg下町の奥深くに潜入し(この点は、巨匠カルティエ=ブレッソンが紹介してくれた写真家ドアノーの導きによるところも大きいようだが)、街の片隅とそこに暮らす人々を撮った写真では、演出を排し、人々の生活感溢れる様子を活写していて、"スナップの天才"ぶりは異国の地でも萎えることがなかったということでしょうか、これがまた、フランス人の共感をも誘った―。

 撮影日記の抄が付されていますが、木村の文章は『僕とライカ』('03年/朝日新聞社)でもっといろいろ読め(カルティエを訪れたときのことなども詳しい)、この人がかなりの文章家でもあったことが窺えます。

木村0021.jpg 更に対談の名手でもあったということで、『僕とライカ』には、土門拳(1909‐1990)、徳川夢声(1894-1971)との対談が収録されていますが、土門拳との対談は大半が技術論で、写真同好会の会員が情報交換しているみたいな感じ(写真界の双璧、作風を異にする両巨匠なのだが、まったく隠しだてがない―篠山紀信と荒木経惟の不仲ぶりなどとは随分違う。但し、土門拳も名取洋之助とは不仲だったようだ)、一方、徳川無声との対談では、徳川夢声の訊くとも訊かぬとも知れない口調に導かれて、自らのカメラとの馴れ初めなどを積極的に語っています(徳川無声という人がとてつもなく聞き上手だということで、この2本の対談だけでは対談の名手だったかどうかまではわからない)。

【2014年ポケット版】

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多くの人が犠牲となった原因を浮き彫りに。2つの"The Tower"を思い出した。
World trade centers attack Here is a diagram showing where the planes hit and the times of impact and collapse.gif
9.11 生死を分けた102分.jpg9.11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言.jpg 『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』 ['05年]
 ニューヨークタイムズの記者が、2001年に起きた世界貿易センター(WTC)の9.11事件後、生存者・遺族へのインタビューや警察・消防の交信記録、電話記録などより、その実態を詳細にドキュメントしたもので、"102分"とは、WTC北タワーに旅客機が突入してからビルが2棟とも崩壊するまでの時間を指していますが、その間の北タワー、南タワーの中の状況を、時間を追って再現しています。

 380ページの中に352人もの人物が登場するので混乱しますが(内、126人は犠牲者となった。つまり、犠牲者の行動は、残りの生存者の目撃談によって記されていることになる)、米国の書評でも、この混乱こそ事件のリアリティを伝えている(?)と評されているとのこと。

 WTCは、大型旅客機が衝突しても倒れないように設計されたとかで、確かに、旅客機が「鉛筆で金網を突き破る」形になったのは設計者の思惑通りだったのですが、その他建築構造や耐火性の面で大きな問題があったとのこと(建材の耐火試験をしてなかった)、それなのに、人々がその安全性を過信していたことが、犠牲者の数を増やした大きな要因であったことがわかります。

航空機の衝突で炎上する世界貿易センタービル.jpg 旅客機衝突50分後にやっと南タワーに救出に入った多くの消防隊員たちは、その時点で、旅客機が衝突した階より下にいた6千人の民間人はもう殆ど避難し終えていたわけで、本書にあるように、上層階に取り残された600人を助けにいくつもりだったのでしょうか(ただし内200人は、旅客機衝突時に即死したと思われる)。ビルはゆうにあと1時間くらいは熱に耐えると考えて、助けるべき民間人が既にいない階で休息をとっている間に、あっという間にビル崩壊に遭ってしまった―というのが彼らの悲劇の経緯のようです。

航空機の衝突で炎上する世界貿易センタービル

崩壊した世界貿易センタービル.jpg 一方、北タワーに入った消防隊員たちには、南タワーが崩壊したことも、警察ヘリからの北タワーが傾いてきたという連絡も伝わらず(元来、警察と消防が没交渉だった)、そのことでより多くが犠牲になった―。

 亡くなった消防隊員を英雄視した筆頭はジュリアーニ市長ですが、本書を読み、個人的には、こうした人災的問題が取り沙汰されるのを回避するため、その問題から一般の目を逸らすためのパーフォーマンス的要素もあったように思えてきました。

崩壊した世界貿易センタービル

 事件後、消防隊員ばかり英雄視されましたが、ビル内の多くの民間人が率先して避難・救出活動にあたり、生存者の多くはそれにより命を落とさずに済んだことがわかります。

 それでも、北タワーの上層階では、避難通路が見つけられなかった千人ぐらいが取り残され犠牲となった―、そもそも、110階建てのビルに6階建てのビルと同じ数しか非常階段が無かったというから、いかにオフィススペースを広くとるために(経済合理性を優先したために)安全を蔑ろにしたかが知れようというものです。


 本書を読んで、2つの"The Tower"を思い出しました。

The Tower SP.gifタワー ケース.jpg 1つは、ビル経営シミュレーションゲームの「The Tower」(当初は「Tower」というPCゲームで、パソコン購入時にオマケで付いてきたりもした。現在はゲームボーイ用ソフト)で、WTCではないが収入を得るために賃貸スペースばかり作っていると、初めは儲かるけれどもだんだん建物のあちこちに不具合が出てくるというものでした(最上階に大聖堂を建てた経験もあることからくる慢心から、オートモードにして外出して戻ってみると、空き室だらけなっていた...)。今思うと、たいへん教訓的だったと言えるかも。 

タワーリング・インフェルノ3.jpgtowering.gif もう1つは、"The Tower"というリチャード・マーティン・スターンが'73年に発表した小説で(邦訳タイトル『そびえたつ地獄』('75年/ハヤカワ・ノヴェルズ))、これを映画化したのがジョン・ギラーミン(1925-2015)監督の「タワーリング・インフェルノ」('74年/米)ですが、映画ではスティ―ブ・マックィーンが演じた消防隊長が、ポール・ニューマン演じるビル設計者に、いつか高層ビル火災で多くの死者が出ると警告していました。

タワーリング・インフェルノ クレジット.png この作品はスティーブ・マックイーンとポール・ニューマンの初共演ということで(実際にはポール・ニューマン主演の「傷だらけの栄光」('56年)にスティーブ・マックイーンがノンクレジットでチンピラ役で出ているそうだ)、公開時にマックイーン、ニューマンのどちらがクレジットタイトルの最初に出てくるかが注目されたりもしましたが(結局、二人の名前を同時に出した上で、マックイーンの名を左に、ニューマンの名を右の一段上に据えて対等性を強調)、映画の中で2人が会話するのはこのラストのほかは殆どなく、映画全体としては豪華俳優陣による「グランド・ホテル」形式の作品と言えるものでした。スペクタクル・シーンを(ケチらず)ふんだんに織り込んでいることもあって、70年代中双葉十三郎.jpg盤期の「パニック映画ブーム」の中では最高傑作とも評されています。映画評論家の双葉十三郎(1910-2009)氏も『外国映画ぼくの500本』('03年/中公新書)の中で☆☆☆☆★(85点)という高い評価をしており、70年代作品で双葉十三郎氏がこれ以上乃至これと同等の評点を付けている作品は他に5本しかありません。

 因みに、映画の中での「グラスタワー」ビルは138階建て。そのモデルの1つとなったと思われるこの「世界貿易センター(WTC)」ビルは110階建て二棟で、映画公開の前年('73年)に完成して、当時世界一の高さを誇りましたが(屋根部分の高さ417m(最頂部:528m))、翌年に完成した同じく110階建てのシカゴの「シアーズ・タワー」(現ウィリス・タワー)に抜かれています(シアーズ・タワーは屋根部分の高さ442m(アンテナ含:527m))。

タワーリング・インフェルノ dvd.jpg『タワーリング・インフェルノ』(1974) 2.jpg「タワーリング・インフェルノ」●原題:THE TOWERING INFERNO●制作年:1974年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・ギラーミン●製作:アーウィン・アレン●脚色:スターリング・シリファント●撮影:フレッド・J・コーネカンプ●音楽:ジョン・ウィリアムズ●原作:リチャード・マーティン・スターン「ザ・タワー」●時間:115分●出演:スティーブ・マックイーン/ポール・ニューマン/ウィリアム・ホールデン/フェイ・ダナウェイ/フレッド・アステア/スーザン・ブレークリー/リチャード・チェンバレン/ジェニファー・ジョーンズ/O・J・シンプソン /ロバート・ヴォーン/ロバート・ワグナー/スーザン・フラネリー/シーラ・アレン/ノーマン・バートン/ジャック・コリンズ●日本公開:1975/06●配給:ワーナー・ブラザース映画)(評価:★★★☆)
タワーリング・インフェルノ [DVD]


《読書MEMO》
●70年代前半の主要パニック映画個人的評価
・「大空港」('71年/米)ジョージ・シートン監督(原作:アーサー・ヘイリー)★★★☆
・「激突!」('71年/米)スティーヴン・スピルバーグ(原作:リチャード・マシスン)★★★☆
・「ポセイドン・アドベンチャー」('72年/米)ロナルド・ニーム監督(原作:ポール・ギャリコ)★★★☆
・「タワーリング・インフェルノ」('74年/米)ジョン・ギラーミン監督(原作:リチャード・M・スターン)★★★☆
・「JAWS/ジョーズ」('75年/米)スティーヴン・スピルバーグ監督(原作:ピーター・ベンチュリー)★★★★

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夫のピート・ハミル氏と現場ではぐれた...! 9.11テロとその後の1週間をリポート。

 目撃アメリカ崩壊.jpg目撃 アメリカ崩壊 (文春新書)』['01年]

目撃 アメリカ崩壊2.jpg ニューヨーク・マンハッタン、世界貿易センター(WTC)ビルから数百メートルのところに住むフリージャーナリストである著者が、自らが体験した9.11テロとその後の1週間を、事件直後から継続的に日本に配信したメールなどを交え、1日ごとに振り返ってリポートしたもので、本書自体も事件1ヵ月後に脱稿し、その年11月には新書として早々と出版されたものであっただけに当時としては生々しかったです。

ピートハミル 山田洋次.jpg 事件直後、WTC付近で仕事をしていた夫のピート・ハミル氏の安否を気遣い現場に直行、そこでWTC南タワーの崩壊に出くわし、避難する最中に夫とはぐれてしまうなど、その舞い上がりぶりは、著者の、週刊文春の「USA通信」での大統領選レポートなどとはまた違った高揚したトーンで、緊迫感がよく伝わってきます(身近にこんな大事件が起きれば、しかも現場で次々とビルから身を投げる人々を目撃すれば、混乱しない方がどうかしているが)。

青木富貴子、ピート・ハミル夫妻と山田洋次監督('05年/共同)
(ピート・ハミル氏は映画「幸せの黄色いハンカチ」の原作者とされている)

 1日1章でまとめられていて、各章の冒頭にロウアーマンハッタンの地図が挿入されているため地理的状況が把握しやすく、著者の住むキャナルストリート以南が立ち入り禁止区域になり、事件後何日かは、出かけると自宅に戻れなくなる可能性があったとのこと。
 こうした規制下での生活、友人の安否情報、食料調達状況などの身辺の話や、事件直後、国民の前から姿をくらましたブッシュ、現場へ早々に出向いたジュリアーニ、ヒラリー・クリントンといったTVニュースを通しての政治家の動きとそれに対する国民の反応など、書かれていることはジャーナリストというよりも地元ニューヨーカーとしての視点に近い感じです(「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長などのキャリアがある著者だが、基本的には、この人、"じっくり型"ジャーナリスト?)。
 クリントン政権以来、テロの危機に鈍感になってしまっていたアメリカ国民の能天気を批判していますが、今後の国際情勢については、アメリカに報復戦争の口実を与えてしまったとして、貧困に喘ぐアフガニスタンの国情悪化を懸念する夫のピート・ハミル氏の憂いなどを通して、著者自身はこれから考え始めるといった段階である観もあります。

 後半は、むしろ、北タワー83階から1時間15分かけて脱出した人の話などの方が印象に残りました。
 北タワーは航空機突入から崩壊まで1時間40分持ちましたが、15分後に航空機が突っ込んだ南タワーの方は、その後50分ぐらい崩壊したので、この人が南タワーにいたら助からなかったかも。

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