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一葉研究の第一人者がわかりやすく解説。美登利が寝込んだ理由は...。
『樋口一葉 (岩波ジュニア新書)』〔'04年〕 森 まゆみ『一葉の四季 (岩波新書)』
森まゆみ氏の『一葉の四季』('01年/岩波新書)も、第1章が樋口一葉の生涯を解説したものでしたが、もう少し一葉のことを知りたく本書を手にしました。著者の関礼子氏は一葉研究の当代の第一人者で、その人が中高校生向けに書き下ろしたのが本書ですが、「薄幸」と「厚遇」という矛盾した評価が併存するこの作家のプロフィールを出来るだけ正確に描くこと、また、一葉が書いた日記・小説・手紙・和歌などを生き生きと読者に伝えることを趣意としています(関氏には『樋口一葉日記・書簡集』('05年/ちくま文庫)などの解説著書もあるが、本書はジュニア向けなので、極めてわかりやすく書かれている)。
個人的には新たに知ったことが多くて面白く、森氏や関氏の著作を読む前は、森鷗外に認められて一躍有名になったと思っていたのですが、私塾「荻の舎」時代から先輩の田辺花圃に認められて激励され(花圃女史のことは森氏の本では一葉の才能に嫉妬していたように書かれていたが)、平田禿木から「文学界」グループに強く勧誘されこれがメディアデビューの契機となり、「にごりえ」を最も絶賛したのは内田魯庵だったということで、短い期間ながらもその間一応のステップを踏んでいるわけだ(ハナから鷗外が出てくるワケ無かったか)。
彼女をある意味最もバックアップしたのは、生前の彼女に対し厳しくその作品を批評した斎藤緑雨で、彼女の死後、全集の編集役として渾身の力を注いでいます(森氏は、一葉が結核で倒れなかったら、2人は一緒になってもおかしくなかった、と書いている)。
斎藤緑雨 (1868-1904/享年36)
小学校を中退し、私塾で学んで、高等女学校卒の才媛作家たちを凌駕した一葉は、塾から出たスーパースターのような感じですが(森氏の本には、当時、公的教育より私塾の方がレベル高かったとある)、関氏が言うように、高等女学校に行っていたら逆に平凡な作家で終わっていたかも。
短い期間ではありましたが、吉原の裏手・龍泉寺町で自ら店を切り盛りするなどの苦労をしたから、「たけくらべ」などの傑作を生み出せたのでしょう。
下谷龍泉寺町の住居だった二軒長屋(模型:一葉記念館)
その「たけくらべ」は、関氏も一葉の作品の中で最も高く評価していますが、よく議論になる、美登利が寝込んで正太に対し不機嫌になる場面が「初潮」によるものなのか「初夜(水揚げ)」(遊女が初めて客と関係すること)によるものか、それとも「初店」(遊女として店に出て客をとること)のためかという点について、「初潮」と「初夜」を一続きのもの(つまり両方である?)と解釈した長谷川時雨の説をとっているのが注目されます(遊女として店に出られるのは16歳からで、数え14歳の彼女が公然と営業することは考えらないとのこと。だから、内密に...ということか)。
これ、「ジュニア新書」だけれども、なかなか現代の感覚ではすぐに思いつかいない部分があります。