【815】 ◎ 山本 博文 『武士と世間―なぜ死に急ぐのか』 (2003/06 中公新書) ★★★★☆

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史料から浮かび上がる武士道の本質。武士こそ最も「世間」に左右されていた。

武士と世間 なぜ死に急ぐのか.jpg   武士道.jpg  山本 博文氏.jpg 山本博文 東京大学史料編纂所教授/略歴下記)
武士と世間 なぜ死に急ぐのか 中公新書 1703』〔'03年〕 新渡戸稲造 『武士道 (岩波文庫)』(矢内原忠雄訳)

 新渡戸稲造(1862-1933)の『武士道』に「サムライはなぜ、これほど強い精神力をもてたのか?」という副題をつけたのは歴史家の奈良本辰也(1913-2001)ですが、本書の著者によれば、『武士道』は、武士道の理想を語ることに偏りすぎているためその「?」に答えるものとなってはおらず、武士の高い倫理性や無私の精神は、実は「内面的な倫理観」よりもむしろ「武士の世間」からの強い圧力によって形成されたものであると―。本書では、多くの史料からそのことを明らかにしています。

 武士にとって戦場で手柄をあげることも討ち死にすることも同等に名誉なことであり、そのために、死ぬとわかって戦に臨むケースもあり、また、主君が亡くなったときに殉死するのは「名誉ある死」のチャンスであり、強く制止されたにも関わらず追い腹を切った下級武士も多くいたようです。

 赤穂浪士の例を見ても、少なくとも討ち入りメンバーに加わり最後まで残った志士たちは、死ぬことを当然と思い切っていたようですが、その根底においては、この場を逃れた場合は、家の面目は潰れ、自分も武士として生きていくことは出来ないという、忠誠心よりむしろ世間に対し面目を立てることの方が動機付けとなっていたことが窺えます。

 殉死すべきと思われる人物が殉死しなかった場合、世間から冷ややかな眼でみられたということで、武士というのもたいへんだなあという印象を受け、これでは、武士の「義理」ではなく世間体のために死ぬようなものではないかとも思いましたが、こうした感想も現代人の感覚に基づくものらしく、「義理」や「武士の一分」は内的な倫理意識としてあり、それが「世間」の評価と一致していたのだと。
 井原西鶴の小説に描かれる武士などを見ても、個人のメンタリティとしては、「武士としての義理」と「世間に対する義理」は未分化だったようです。

 「武士の一分」というのは、主従関係から離れた個人の面子みたいなものですが、やはり名誉意識であるには違いなく、面白いのは、西鶴の『武家義理物語』の中に、同じ内面的倫理観である「一分」と「義理」とが相克する仇討物があり、ここでは「義理」が上に格付けされているようです。

 赤穂の義士たちも、幕府の裁定に従うという「義理」に反して自らの「一分」を貫いたために切腹せざるを得なかったともとれますが、「義理」にしろ「一分」にしろ、「世間」の眼が背後にあったと本書は結論づけていて、強固な意志で自らの行動を律していたと思われる武士こそが、最も「世間」に左右されていたという本書の指摘は、ある意味刺激的なものでした。
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山本 博文 (東京大学史料編纂所 教授)
1990年、『幕藩制の成立と日本近世の国制』(校倉書房)により、東京大学より文学博士の学位を授与。1991年、『江戸お留守居役の日記』(読売新聞社)により第40回日本エッセイストクラブ賞受賞。
江戸幕府の残した史料の外、日本国内の大名家史料を調査することによって、幕府政治の動きや外交政策における為政者の意図を明らかにしてきた。近年は、殉死や敵討ちなどを素材に武士身分に属する者たちの心性(mentality)の究明を主な課題としている。
主な著書に、『徳川将軍と天皇』(中央公論新社)、『切腹』(光文社)、『江戸時代の国家・法・社会』(校倉書房)、『男の嫉妬』(筑摩書房)、『徳川将軍家の結婚』(文藝春秋社)『日本史の一級史料』(光文社)などがある。

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山本 博文氏(やまもと・ひろふみ=東大史料編纂所教授)2020年3月29日、腎うがんのため死去、63歳。主に近世政治史を研究した。著作は日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した「江戸お留守居役の日記」や「『忠臣蔵』の決算書」「歴史をつかむ技法」など。

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