【793】 ◎ 加賀 乙彦 『死刑囚の記録 (1980/01 中公新書) ★★★★☆

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死刑囚の置かれた実態を知るとともに、死刑制度の是非について考えさせられた。

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死刑囚の記録 (中公新書 (565))』〔'80年〕

 著者は医学部を卒業後まもなく東京拘置所の医官となりましたが、本書は、著者が20代の後半に接した多くの死刑囚たちの記録であり、極限状況における彼らの言葉や行動、心理を精神科医の視点で淡々と記録する一方で、死刑囚との触れあい、心の交流も描かれていて、宗教に帰依した死刑囚が、執行の前日に著者に書き送った書簡などは心打つものがあります。

 しかし、こうした宗教者的悟りの境地で最期を迎える死刑囚は、本書で紹介されている中のほんの一握りで、多くの死刑囚が拘禁ノイローゼのような状況に陥っていて、症状には強度の被害妄想など幾つかのパターンはありますが、刑罰の目的の1つに犯罪者を悔悟させるということがあるとすれば、死刑制度についてはその機能を充分には果たさないように思えました。

 著者が拘置所に勤務する契機となったある死刑囚との面談で、著者はその死刑囚が語る真犯人説にすっかり騙されますが(そもそも、"真犯人"なるものが架空の存在だった)、そうした経験を糧にし、予断を交えないように慎重に対処しながらも、多くの死刑囚を見るうちに、その何人かについては免罪であるかもしれないという印象を拭いきれずにいます。

 また、拘置所内で暴発的行為を繰り返す死刑囚の中には、単なる拘禁ノイローゼではなく器質障害が疑われる者もいて、刑罰の理由である犯罪行為そのものが、それにより引き起こされた可能性も考えられることを示唆していて、実際に公判時の精神鑑定などを見ると、精神科医によって意見がまちまちであったりする、こうした曖昧な報告をもとに死刑が執行されることに対しての疑問も感じました。

 著者は、死刑は"執行に至るまでの過程において"残虐であるとして、制度そのものに異を唱えていますが、実際、毎日24時間の「生」しか保証されていないとすれば(死刑の執行は、かつては前日、今は当日の朝に告知される)、死刑囚の多くが、「改心」云々以前に躁鬱状態に陥るのは無理からぬことだと思いました。

 一方で、無期囚が起伏のない日々の中で躁鬱が欠落し「拘禁ボケ」状態に退行する傾向が見られるのに対し、死刑囚や重罪被告は、生への貪欲な執着を示し、却って密度の濃い日々を送る傾向が見られる(それが創作であったり妄想の構築あったり、再審請求準備であったりと対象は様々だが)という著者の報告は、興味深いものであると同時に、自らを振り返って、日々どれだけ「死」を想って密度の濃い日々を送ろうとしているだろうかと考えさせられるものでもありました。

死刑囚と無期囚の心理.bmp 尚、この死刑囚と無期囚の拘禁状態における心理変化の違いにについて著者は、本名「小木貞孝」名で上梓された『死刑囚と無期囚の心理』('74年/金剛出版)の中でも学術的見地から詳説されています(この本は'08年に同出版社から加賀乙彦名義で復刻刊行された)

死刑囚と無期囚の心理

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