【788】 ○ 阿部 謹也 『刑吏の社会史―中世ヨーロッパの庶民生活』 (1978/01 中公新書) ★★★★

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読みやすくはないが、死刑制度の歴史的意味合いを探るうえでは好著。

刑吏の社会史.jpg                   阿部謹也.jpg  阿部 謹也 (1935-2006/享年71)
刑吏の社会史―中世ヨーロッパの庶民生活 (中公新書 (518))』〔'78年〕

 '06年に急逝したヨーロッパ中世史学の泰斗・阿部謹也(1935‐2006)の初期の著作で、「刑吏」の社会的位置づけの変遷を追うことで、中・近世ヨーロッパにおける都市の発展とそこにおける市民の誕生及びその意識生成を追っています。
 かつての盟友で、日本中世史学の雄であった網野善彦(1928‐2004)の『日本中世の民衆像-平民と職人』('80年/岩波新書)などを想起しましたが、「刑吏」という特殊な職業に焦点を当てているのが本書の特徴。

 もともと「処刑」というものは、犯罪によって生じた人力では修復不能な村社会の「傷を癒す」ための神聖な儀式であり、畏怖の対象でありながらも全員がそれを供犠として承認していた(よって、処刑は全社会的な参加型の儀式だった)とのこと。
 当初は原告が処刑人であったりしたのが、12・13世紀ヨーロッパにおいて「刑吏」が職業化し、キリスト教の普及によって「処刑」の"聖性"は失われ"怖れ"のみが残り、その結果、14・15世紀の都市において「刑吏」は賤民として蔑まれ、市民との結婚どころか酒場で同席することも汚らわしいとされ、18・19世紀までの長きに渡り市民権を持てなかった―らしいです。

 本書中盤においては、絞首、車裂き、斬首、水没、生き埋め、沼沢に沈める、投石、火刑、突き刺し、突き落とし、四つ裂き、釘の樽、内臓開きなど様々な処刑の様が解説されていて(後半では「拷問」の諸相が紹介されている)、かなりマニアックな雰囲気も漂う本ですが、例えば絞首には樫の木を使うとか処刑の手続が細かく規定されていたり、仮に罪人が死ななかった場合でもそこで執行はお終いになる(死に至らしめることが目的ではなく、あくまで一回性のものだった)といったことなどからも、「処刑」の「儀式性」が窺えて興味深かったです。

 必ずしも読みやすい構成の本ではないですが、「処刑」が、罪人の処罰よりも社会秩序の回復が目的であり、死刑囚に処刑前に豪華な食事を振舞う「刑吏による宴席」(食欲が無くても無理矢理食べさせた)などの慣習を見ても、都市の発展によりその目的は、特定の遺族や村人の癒しを目的としたものから市民(共同体)の癒しを目的としたものに変容しただけで、残された者の「癒し」を目的としたものであることに変わりはなく、そのため「儀式性」は長く保たれたことがわかります。
 何のために死刑制度があるのか、その歴史的意味合いを探るうえでは好著ではないかと思います。

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