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滅ぼされた帝国の謎に迫る。カラーを含め写真が豊富だが、文章はやや硬い。
『図説 インカ帝国』(1988/10 小学館)
15世紀にアンデス山中に突如出現した大帝国インカですが、本書によると、インカ文明の起こる以前に、紀元前にチャピオン、7世紀にワリという2つのホライゾン(文化的拡がり)があり、例えば"チャピオン"と"ワリ"の間には、地上絵で有名な"ナスカ文化"などもあり、我々がインカ遺跡と一口に呼んでいるものにも、いろいろと歴史的隔たりや変遷があることがわかります。
本来インカというのは、標高3,400メ―トルにある要塞都市クスコを首府とするタワンティンスーユ帝国のことですが、帝国が統治した周辺に散在した国家・民族も含めて「インカ」と呼ぶのが一般的であるようです。
本書は、そうしたインカの先史を含む歴史、社会・政治、経済構造、宗教・芸術などを豊富な図説と併せ解説し、軍事・政治・経済において峻険なアンデスに点在する諸国を支配・統治し、文字や貨幣を持たないながらも計算と統計の技能を持ち、農業や交易を盛んにして多くの巨石建造物を築きながらも、王朝開闢から僅か100年そこそこでスペイン人に滅ぼされた帝国の謎に迫ります。
インカ帝国による他国の支配とは、土地の支配ではなく人とモノの支配であり、また、無駄な戦乱を避けるための"互恵"的な考え方が、文化としてあったということが印象に残りました(インカの最後の王となったアタワルパも、ピサロたちスペイン人が侵攻して来たときに、彼らが欲しがっている"黄金"を与えることで解決をしようとしているが、同じような発想ではないだろうか)。
結局、ピサロに捕らえられた後も王位にあったアタワルパも、反乱を企んでいると疑われて処刑され(1533年)、ピサロは傀儡の王を立てますが、その後も民族の抵抗やスペイン人同士の覇権争いもあって混乱期が続き、抵抗の象徴であるアタワルパの甥トゥパク・アマルーが捕らえられ処刑された(1572年)のをもって、本書では、"インカの最後"としています(インカには"王"という意味もある)。
カラーを含め写真が豊富で見ていて飽きませんが、文章は増田氏らしい生き生きとした描写に乏しく、F・ピースに合わせたのか、日本・ペルーの国際交流事業の一環として研究・出版されたものであるためなのか教科書的な感じがするのと、値段が3,400円というのがちょっと...(「日本図書館協会」の選定図書になっているので、図書館に行けばあるかも)。