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年代で異なる作風。巻頭アルバムに窺える家庭人と逃亡者の二面性。
「ゲンセンカン主人」
『ゲンセンカン主人―つげ義春作品集 (アクション・コミックス)』
'66(昭和41)年から'70(昭和45)年発表のつげ作品から12本を選んだもので、巻末に作品リストがあり、そちらは'83年までに発表・刊行されたつげ氏の全作品の年譜になっています。
ねじ式 (1968「月刊漫画ガロ」増刊号)/沼 (1966「月刊漫画ガロ」2月号)
本書の最初に出てくる、かの有名な「ねじ式」ほか、「山椒魚」「通夜」「海辺の叙景」「沼」「峠の犬」は、いずれも'66-'68年の作品です(発表誌はいずれも「月刊漫画ガロ」)。
「沼」('66年)は、背景などはすでにつげ義春特有の幽玄さを帯びているコマがあるのが窺え、内容にも作者らしい叙情性はありますが、登場人物の絵は"永島慎二"風という感じで、「通夜」('67年)は、内容は軽妙ですが、背景絵のタッチがよりつげ作品らしい微細なものになっています。
「やなぎや主人」('70年)は1年の休筆を経た後の作品。人も背景もリアルで暗いタッチになっています。「初茸がり」「古本と少女」「チーコ」「噂の武士」は、'65-'66年の初期のヒューマンタッチな作品群で、「噂の武士」('65年)は宮本武蔵の偽者を描いた時代物。独特の抒情性は見られず、ストーリー主体です。
「月刊漫画ガロ」つげ義春特集 1968年No.47、1971年No.91
最後の本書表題としても選ばれている「ゲンセンカン主人」('68年)は、極端に暗い作風で、主人公の旅人の顔もリアルになっています。個人的には、この「ゲンセンカン主人」と、休筆後の「やなぎや主人」に最も"つげ作品"らしさを覚えましたが、短い期間に結構作風が微妙に変化してるなあと、改めて感じました(「ゲンセンカン主人」は石井輝男監督により、1993年に同タイトルで映画化されており、内容は「李さん一家」「紅い花」などを含んでいる)。
「ゲンセンカン主人」
巻頭に作者の写真アルバムがありますが、これだけ見ていても天才作家の「家庭人」と「逃亡者」の二面性が窺え、作品の発表年と対比しながら見るとたいへん興味深いものです(作者は時に、"家庭"に対しても"時代"に対しても、意識的に「逃亡者」であろうとした?)。
『夏目房之介の漫画学』('85年/大和書房)の中に、'70年前後のマンガを読み返して、「こんなに疲れるとは思わなかった。水を含んだ雑巾みたいな気分だ」とあり、そのころは、林静一、佐々木マキ、真崎守などを中心に、安保闘争の時代を反映したり極端に前衛的だったりする作品が多かったようですが、「総じて青臭く、独特の過剰さに辟易する」と。そうした中で、「実際、今でも時に読みたいと思うのはつげ義春の旅行ものとか、水木しげるの浮世ばなれした作品ぐらい」と書いてありました。