【660】 ◎ ルイ=フェルディナン・セリーヌ (生田耕作:訳) 『夜の果てへの旅―世界の文学42 セリーヌ』 (1964/10 中央公論社) ★★★★★

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暗黒文学が示す、きれいごとを突き抜けた真にヒューマンなもの。

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夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)』『夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)』['03年改版版] 『セリーヌの作品〈第1巻〉夜の果てへの旅』国書刊行会 版
世界の文学〈第42〉セリーヌ (1964年) 夜の果ての旅

Louis-Ferdinand Céline (1894-1961).gif 1932年に原著が出版されたフランスの作家ルイ=フェルディナン・セリーヌ (1894‐1961)『夜の果てへの旅』は、中央公論社刊「世界の文学」の第42巻として1964年に刊行されていて(生田耕作(1924-1994)訳)、この全集の面子が、前3巻(第39〜41巻)がカフカ、モーム、マルロー、後3巻(第39〜41巻)がフォークナー、へミングウェイ、トルストイなので、「おいおい、こんな処にいていいの?」という感じもします。

Louis-Ferdinand Céline (1894-1961/享年67) 

 それは、居並ぶ文豪たちと比べて力量が劣るように感じられるためではなく、才脳でもパワーではそれらを上回っている、しかし、昭和30年代の文学少女や読書少年のいる家庭に置かれる「文学全集」のイメージからすると、その中の1冊とするには、あまりに規格外のような印象さえ受けるためです。

 ここに描かれている壮大な『旅』は、主人公の医師バルダミュにとって決して清々しい旅などではなく、汚物と一緒に濁流に流されて街の場末から地の果てに至るような旅で、ところどころシニカルなユーモアも見られるものの、全頁が人間の醜さと人生への嫌悪に溢れた、徹底した「負の文学」ととれるかと思います。

 著者のセリーヌ(本名デトゥシュ)は、第1次世界大戦では名誉負傷で英雄となり、その後パリで開業医となり、この間に本書を発表して新人でフランス最高の文学賞を受賞しますが、第二次世界大戦中は反ユダヤ主義を標榜し、戦後亡命するも捉まり、戦犯宣告を受けて投獄されています。しかし彼の才能を惜しむ人はやはりいて、彼の減刑運動にアメリカ人作家のヘンリー・ミラーなど多くの作家が関わりました。

 この小説のダダイスティックかつアナーキーなムードや実験的な手法を多々用いている点はミラーに通じる部分がありますが、主人公が最後にアメリカへ行くというのも、ミラーと行き違いで面白い(小説の後半でバルダミュはアフリカからアメリカに渡るが、"手漕ぎのガリー船"でいくというのが何ともシュール)。  

ルイ=フェルディナン・セリーヌ.jpg またセリーヌは、サルトルやカミュよりもいち早く人間の不条理性、猥雑性を白日のもとに晒した実存主義の先駆的作家とも見做されていますが、サルトルは、彼を「暗黒文学の先駆者」と言っており、セリーヌは結局、その後も「灰色の文体」の作品を発表しながら、孤独と経済苦のうちに死んで行きます。この作品に見られる強烈な「反ヒューマニズム」は、魂の叫びとも言えるもので、多くの読者が感動するのは、そこにきれいごとを突き抜けた真にヒューマンなものを認めざるを得ないからではないでしょうか。

STUDIO LIPNITSKI Louis Ferdinand Céline et ses chiens, c.1955

『夜の果てへの旅―世界の文学42 セリーヌ』
『夜の果てへの旅―世界の文学42 セリーヌ』.jpg

 【1978年文庫化・2003年改版[中公文庫(上・下)]/1995年単行本〔国書刊行会(『セリーヌの作品 第1巻』)〕】

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