2007年4月 Archives

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「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ

面白かった。コミカルなトーンと登場人物の心の闇の兼ね合いが計算され尽くされている。

まほろ駅前.JPG   まほろ駅前多田便利軒.jpg       「まほろ駅前多田便利軒」より.jpg 本書より
まほろ駅前多田便利軒』 (2006/03 文藝春秋)

 2006(平成18)年上半期・第135回「直木賞」受賞作。

 東京のはずれに位置する"まほろ市"の駅前で便利屋を営む多田啓介は、正月の仕事帰りにバス停で、高校の同級生で極端に無口で変人だった行天春彦に出会い、その行天が多田のところに住みついて多田の便利屋稼業を手伝うようになってから、さまざまな事件に巻き込まれるようになる―。

 29歳での直木賞受賞は、平岩弓枝(27歳)、山田詠美(27歳)に続く歴代3位の若さだそうですが、直木賞の選評では、平岩氏が「この作者の年齢の時、私はとてもこれだけの作品は書けなかった」と一番褒めていたように思います。

 便利屋というのがハードボイルド小説における探偵事務所みたいな位置づけになっていて、ペットの世話や塾の送り迎えなどの雑事請負を通して窺える今時の世情や人と人との繋がりをうまく物語として取り込んでるところに惹き込まれ、多田と行天のやりとりなどもひたすら面白いのですが、一方で、章の扉ごとにある劇画調の挿画に感化されるまでもなく、コミック的な面白さに流れているという印象も抱きました(つまりリアリティがない。いちいち、既視感のある漫画の1カットが頭に浮かぶ)。

 しかし、ギャグ的な面白さだけで成り立っているわけでなく、読み進むにつれて、なかなか愛嬌がある居候男・行天の心の闇のようなものがちらちら見えてきて、このコミカルなトーンの中で、その辺りの重い部分をどう落とし込むのか、多田と行天の関係がどうなるか、といった点で結構最後までぐいぐい引っぱられました。

まほろ駅前多田便利軒 文春文庫.jpg 平岩氏ではないですが、なぜ、こんなに器用に書けるのかホント不思議。計算され尽くされていると言っていい。
 少女コミックの影響を受けているは間違いないと一般の読者なら誰もが思うところですが、直木賞選考委員の作家先生たちがどの程度そのことを思ったか(阿刀田高氏は作者は男性だと思っていたらしい)。 
                               
まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)』 ['09年]

 【2009年文庫化[文春文庫]】

まほろ駅前多田便利軒 映画.jpg 映画「まほろ駅前多田便利軒」(2011年)
 監督:大森立嗣 主演:瑛太/松田龍平

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死刑執行に携わる看守を主人公とし、日常と非日常、生と死の対比を描いて秀逸。

夏の流れ2.jpg 夏の流れ・正午なり 丸山健二.jpg 夏の流れ.jpg
夏の流れ』['67年]/『夏の流れ・正午(まひる)なり (講談社文庫)』 ['73年]/『夏の流れ―丸山健二初期作品集 (講談社文芸文庫)』 〔'05年〕

 1966(昭和41)年度下期・第23回「文學界新人賞」及び1966(昭和41)年下半期・第56回「芥川賞」受賞作(講談社文芸文庫版の帯にある「毎日出版文化賞受賞」は、「講談社文芸文庫」自体が第58回(2004年)毎日出版文化賞(企画部門)を受賞したことによるもの)。

 主人公は刑務所に勤める看守で、死刑執行もその仕事に含まれているのですが、そうした看守の刑務所の中での世間から隔絶した "日常"と、刑務所の外での市民としての日常を対照的に描き、デビュー作にして芥川賞を受賞した作品(しかも23歳1カ月という当時の歴代最年少受賞)。

 とりわけ死刑執行の"その日・その時"のハードボイルドタッチな描き方は話題を呼んだようですが、本当に秀逸なのは、小説の中にある対比の構成ではないでしょうか。

 "仕事"前の休日に釣りにいく話をしている看守たちや"仕事"を終えて家に帰る主人公(家には新たな命を宿した妻がいる)と、刑を目前に抗い、退行し、死んでいく死刑囚。仕事に馴染めず1回も刑の執行を経験せずに辞めていく若い看守と、儀式的に淡々と刑を執り行うベテランの上司らの対比(主人公はその中間にあると言えるかも)などが、抑制された文章で描かれています。

 特に、"仕事"によって与えられた特別休暇で子どもたちを海水浴に連れて行く主人公と、そこで語られる妻との辞めた若い看守をめぐる短い会話などには、非日常が日常を侵食する毒のようなものが含まれていました。
 一度読んだら、忘れられない作品の1つだと思います。

 当時芥川賞選考委員だった三島由紀夫は「男性的ないい文章であり、いい作品である」としながらも、「23歳という作者の年齢を考えると、あんまり落着きすぎ、節度がありすぎ、若々しい過剰なイヤらしいものが少なすぎるのが気にならぬではない」としていて、文芸誌へ最初に応募した作品が本作だったわけで、無名の新人の実力を1作で判断するのはかなり難しいことだったのかもと思わせます(文体については後に、篠田一士が講談社文庫版の解説で、ヘミングウェイを想起させると高く評価しています)。

正午なり 00.jpg 作者の初期の中・短編作品にはこうした生と死が対比的に描かれるものが多い一方、講談社文庫版に併収されている中篇「正午(まひる)なり」のような、ある種の帰郷小説のようなものも多く、後者のモチーフはその後の作品でもリフレインされていて、実際作者は文壇とは交わらず、都会を離れ安曇野に定住していることはよく知られている通りです。

「正午なり」1978年映画化(監督:後藤幸一)出演:金田賢一/田村幸司/結城しのぶ/原田芳雄/若杉愛/津山登志子/手塚理美/南田洋子/長門裕之/絵沢萠子
 
 【1973年文庫化[講談社文庫(『夏の流れ・正午なり』)]/2005年再文庫化[講談社文芸文庫(『夏の流れ-丸山健二初期作品集』)]】

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「河内十人斬り」の惨劇に材を得た作品。終局の描写は素晴らしいが...。

告白.jpg  『告白』['05年/中央公論新社]河内音頭 河内十人斬.jpg「河内音頭 河内十人斬」CD

 2005(平成17)年度・第41回「谷崎潤一郎賞」受賞作。

 明治26年に河内水分で、農家の長男・城戸熊太郎が、妻を寝取られた恨み、金を騙し取られた恨みから、同じく村の者に恨みを抱くその舎弟・谷弥五郎と共謀し、村人10人を惨殺したという事件(「河内十人斬り」という任侠的な敵討ち物語として、河内音頭のスタンダードナンバーにもなっている)を題材にしたもの。

 単行本の帯には「人は人をなぜ殺すのか」とあり、かなり重苦しい雰囲気の物語かと思いきや、酒と博打の生活から抜け出せないダメ男・熊太郎を、河内弁と独特の"町田節"で落語みたいにユーモラスに描いていて、そのアカンタレぶりに対する作者の愛着のようなものが滲み出ています。

 熊太郎という男は言わばヤクザ者ですが、もともと進んで悪事を働くような人物ではなく、他人を思いやることもできる人間なのに、いつも他人に誤解され、割を食って損ばかりしている、それを自分では、自分が思弁的な人間であり、自分の心情をうまく言葉にできないためだ感じている人物です。

 小説の中では随所にその熊太郎のねちっこい"思弁"が内的独白として語られ、その彼が凶行に及んだ最後の最後で、思っていることを言葉にしようとする、そこにタイトルの『告白』の意味があるということでしょう。

 カタストロフィに向かう終局の描写は素晴らしく、そこに至るまでのユーモラスなプロセスは、対比的な効果を高めることに寄与しているとは思いますが、進展がないまま同じような出来事が続いているような印象もあり、やや冗長な感じがします。

 ただし、人物造型といい語り口といい"町田ワールド"ならではのユニークさで、読み終えてみれば力作には違いないとの感想は持ちましたが、テーマ的には、「人は人をなぜ殺すのか」と言うより、「熊太郎はなぜ人を殺したのか」という話であるように思えました。
 
●朝日新聞・識者120人が選んだ「平成の30冊」(2019.3)
1位「1Q84」(村上春樹、2009)
2位「わたしを離さないで」(カズオ・イシグロ、2006)
3位「告白」(町田康、2005)
4位「火車」(宮部みゆき、1992)
4位「OUT」(桐野夏生、1997)
4位「観光客の哲学」(東浩紀、2017)
7位「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド、2000)
8位「博士の愛した数式」(小川洋子、2003)
9位「〈民主〉と〈愛国〉」(小熊英二、2002)
10位「ねじまき鳥クロニクル」(村上春樹、1994)
11位「磁力と重力の発見」(山本義隆、2003)
11位「コンビニ人間」(村田沙耶香、2016)
13位「昭和の劇」(笠原和夫ほか、2002)
13位「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一、2007)
15位「新しい中世」(田中明彦、1996)
15位「大・水滸伝シリーズ」(北方謙三、2000)
15位「トランスクリティーク」(柄谷行人、2001)
15位「献灯使」(多和田葉子、2014)
15位「中央銀行」(白川方明2018)
20位「マークスの山」(高村薫1993)
20位「キメラ」(山室信一、1993)
20位「もの食う人びと」(辺見庸、1994)
20位「西行花伝」(辻邦生、1995)
20位「蒼穹の昴」(浅田次郎、1996)
20位「日本の経済格差」(橘木俊詔、1998)
20位「チェルノブイリの祈り」(スベトラーナ・アレクシエービッチ、1998)
20位「逝きし世の面影」(渡辺京二、1998)
20位「昭和史 1926-1945」(半藤一利、2004)
20位「反貧困」(湯浅誠、2008)
20位「東京プリズン」(赤坂真理、2012)
4位「火車」(宮部みゆき、1992)
4位「OUT」(桐野夏生、1997)
4位「観光客の哲学」(東浩紀、2017)
7位「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド、2000)
8位「博士の愛した数式」(小川洋子、2003)
9位「〈民主〉と〈愛国〉」(小熊英二、2002)
10位「ねじまき鳥クロニクル」(村上春樹、1994)
11位「磁力と重力の発見」(山本義隆、2003)
11位「コンビニ人間」(村田沙耶香、2016)
13位「昭和の劇」(笠原和夫ほか、2002)
13位「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一、2007)
15位「新しい中世」(田中明彦、1996)
15位「大・水滸伝シリーズ」(北方謙三、2000)
15位「トランスクリティーク」(柄谷行人、2001)
15位「献灯使」(多和田葉子、2014)
15位「中央銀行」(白川方明2018)
20位「マークスの山」(高村薫1993)
20位「キメラ」(山室信一、1993)
20位「もの食う人びと」(辺見庸、1994)
20位「西行花伝」(辻邦生、1995)
20位「蒼穹の昴」(浅田次郎、1996)
20位「日本の経済格差」(橘木俊詔、1998)
20位「チェルノブイリの祈り」(スベトラーナ・アレクシエービッチ、1998)
20位「逝きし世の面影」(渡辺京二、1998)
20位「昭和史 1926-1945」(半藤一利、2004)
20位「反貧困」(湯浅誠、2008)
20位「東京プリズン」(赤坂真理、2012)

 【2008文庫化[中公文庫]】

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文体やフレーム破壊にパワーを感じる一方、構成的には今ひとつ。

舞城 王太郎 『阿修羅ガール』1.jpg舞城 王太郎 『阿修羅ガール』2.jpg舞城 王太郎 『阿修羅ガール』3.jpg  阿修羅ガール2.jpg
阿修羅ガール』〔'03年/新潮社〕 『阿修羅ガール (新潮文庫)』〔'05年〕

 2003(平成15)年・第16回「三島由紀夫賞」受賞作。

 女子高生のアイコは、好きでもないクラスメイトの佐野とセックスしてしまい、行為のあと嫌悪感に陥り、相手を蹴飛ばしてホテルから飛び出す―。
 「減るもんじゃねーだろうとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心」と、ナンかテンポいい書き出しだなあと思って第1部を読み始めましたが、小気味良い女子高生の独白体も、ホントは佐野なんかより陽治が好きで...といった陳腐な純愛話と学園内スケバン抗争ばかりがだらだら続いて、さすがに少し飽きてくる...と思ったら途中から佐野の行方不明に始まり色々と騒ぎは大きくなって、ミステリー仕立てに加えてスラップステッィクな感じに。

 それが第2部に入ると、「崖」「森」「グルグル魔人」の「三門」構成で、「崖」ではアイコは「三途の川」上空にいて、「いくな。もどれ」といった陽治からのメールメッセージ(文中、巨大活字で書かれている)を受けていて、ここまでは、「何でもあり」の中にも1つの流れがあって、まあまあ面白かったです。

 でも「森」「グルグル魔人」で、意図的にそうした小説的な流れを断ち切っているかのように思え、それがあまり効果的だったとは思えませんでした(特に「森」は唐突すぎた)。
 結局、何だかよくわからないうちに終わってしまって、と思ったら第3部があって、しっかり第1部と第2部の「三門」のそれぞれの関係を解説しているので、親切と言えば親切なのですが、小説としてこれはどうなのだろうか。

 アイコの成長物語だとしても(である必要もなかったと思うが)、第3部の語り手は第1部よりずっと老けた感じがして繋がらないし...。
 文体にも、どんどん自らのフレームを破壊していく様にもパワーを感じますが、構成的にはうまくいっていないような気がしました。
 
 【2005年文庫化[新潮文庫]】

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田中小実昌をとりあげるなどして興味深いが、全体的に紙数不足?

生きる歓び.jpg 『生きる歓び (新潮文庫)』 〔'03年〕 田中小実昌.jpg 『田中小実昌 (KAWADE夢ムック文藝別冊)』 〔'04年〕

 表題作の 「生きる歓び」は、妻と墓参り出かけた谷中で、生後間もない迷い猫に遭遇し、その仔猫は全盲かもしれず、結局、放っておけずに拾って面倒をみるという話で、身辺雑事を描いたエッセイみたいな感じですが、作者に言わせれば小説とのこと。
 「私」の対象(仔猫)に対する思い入れさが、淡々とした文章の中にも感じられ、やがて小さな生命の復活を目の当たりにし、「私」自身が仔猫から感動を与えられているのがわかり、命や生きることについて哲学的考察もされています。

 ただし、個人的には、「生」というものの相互作用のようなものを感覚的に感じとれたものの、それ以上深い考察に誘われることはなかった。というのは、エッセイとしても小説としても、そこまでいくには中途半端な紙数で終わっている感じだからです(もっとも、この人の小説はいつもプッツリ終わるものが多いのですが、表紙カバーに片目の猫の写真があるのを見ると、猫は何とか生き延びたみたい。猫好きの作家は多いが、誰か作品反映度のランキングつけた人いないのかな)。

 併録(こっちの方が長い)の「小実昌さんのこと」は、田中小実昌(1925‐2000)の追悼文で、ほとんど事実のみを書いてあるそうですが、これも小説であるとのこと。
 作者は、西武百貨店に勤務し、池袋コミュニティカレッジの企画の仕事とかをしていて、阿部和重や中原昌也らと並んで〈セゾン系〉と言われたりしているけれど、年齢が1回り違うという感じ。だから、田中小実昌さんが出てくる...。
 でも、とぼけた味のエッセイで知られ、「11PM」とかに出演したりしていた小実昌さんの、作家としての部分にしっかり嵌っている感じがよく(彼の小説は独立教会の牧師の子に生まれたという特異な出自もあって、多分に宗教哲学的)、ただしこちらも、追悼文としては長いけれど、そのあたりのテーマになると、引用しているうちに紙数が尽きた感じも。
 「ぼく」は、氏のもう一つの顔であるミステリ翻訳家として、自社のカルチャー・スクール講師に招聘するわけですが、その経緯やその後の関係が、よくある編者者と作家の付き合いなどとはまた違って興味深かったです。

 西武っていい会社だなあと思いました。まあ、色んな人を講師に呼んだのだろうけれど、自分の趣意も容れてもらえて。
 『草の上の食卓』の創作ノートによると、小説を書くために休職することを会社が認めてくれたらしいし(バブル期の話ですが)、それでも会社を辞めた(会社に対してキレたという話を聞いた)というのは、やっぱり働かされているという意識がどこかであったんだろうなあ。

 【2003年再文庫化[新潮文庫]】

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「何も起こらない小説」。保坂流「小説のルール」がよく体現された作品。

草の上の朝食.jpg草の上の朝食 (中公文庫)』 〔'00年〕  書きあぐねている人のための小説入門.png 『書きあぐねている人のための小説入門』 〔'03年〕

プレーンソング.jpg 1993(平成5)年・第15回「野間文芸新人賞」受賞作。

 作者のデビュー作『プレーンソング』('90年/講談社)の続編で、前作同様、「ぼく」と4人の仲間(お調子者のアキラ、撮影マニアのゴンタ、会社経営をしていたとかいう島田、野良猫の餌やりが日課のよう子)のアパートでの共同生活の日常が淡々と描かれていて、「ぼく」の競馬仲間で、あまり物を深く考えない石山さん、競馬の中に自らの世界観を注入してしまったような感じの三谷さんなどの登場人物も同じ。
プレーンソング (中公文庫)』 〔'00年〕

 会話を通してのこれらユニークなキャラクターの描き方が丁寧で(「創作ノート」によると3回ぐらい全編にわたって書き直されている)、また面白くもあり、「ぼく」が工藤さんという年上の女性と恋人関係のようなものに至ることのほかには、さほどたいした出来事もなく、ぷっつり話は終わってしまうのですが、そのことにもあまり不満は感じませんでした。

 もともと作者は、ここ10年流行った「何も起こらない小説」の先駆者みたいな人ですが、同著者の『書きあぐねている人のための小説入門』('03年/草思社)によれば、「テーマはかえって小説の運動を妨げる」(60p)、「代わりにルールを作る」(64p)等々が述べられていて、『ブレーンソング』での第1ルールは、「悲しいことは起きない話にする」、第2ルールは、「比喩を使わない」「作品を仕上げる都合だけで、よく知らないものや土地を出さない」(68p)ということだったそうで、「社会にある問題を後追いしない」(不登校・老人介護・環境保護・リストラなど)(74p)、「ネガティブな人間を描かない」(83p)ことが作者の信条だそうですが、本作は前作以上にこの基本ルールが踏襲されている感じがしました。

 「ぼく」が初めて工藤さんを仲間に紹介する場面が良かったです。み〜んないい人って感じで、「ぼく」にとって工藤さんは「外」の人で、4人は「中」の人という感じがしました(だから、恋愛小説にはなっていないのでは)。
 でも、この小説での「いい人」って何だろうで考えると、相手の存在を認めつつも相手に過度の干渉をしないというか、こうした異価許容性のようなものを彼らは持ち得てるように思え、無視はしない(関心を示してくれる)が決して邪魔もしない、そうした人間関係が描かれている点が、今の若い読者に心地良い読後感を与えることにつながっているのでは。
 逆に、ぬるま湯的で性に合わないという人も多くいるだろうけれど、時代設定は'80年代後半でバブル景気に入った頃のはずで、こうしたモラトリアム的というか、ノンシャランな生活をしていても、引きこもりだ、ニートだと世間から言われることがなかったんでしょうね。
 だから、登場人物たちは、聖書やニーチェの話をする、つまり、「世間」ではなく「世界」が思考対象となっているのだと思いました。

 登場人物のうち男性はモデルがいるけれど、女性はほとんど創作らしく、電話友達のゆみ子が「よう子ちゃんは未来なのよ」と言うくだりは、創作が嵩じてやや"作品解説的"な感じがしました。
 こういう"ヒント"から自分なりに作品の背後の世界観を読み取ってもいいけれど、個人的には、ただ味わうだけでもいいかも、と思いました。 

 【1996年文庫化[講談社文庫(『プレーンソング・草の上の朝食』)]/2000年再文庫化[中公文庫]】

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不思議な味わいがある神秘と日常の取り合わせ。乾いた可笑しさ。

赤い橋の下のぬるい水.jpg  辺見 庸 『赤い橋の下のぬるい水』.jpg        自動起床装置.jpg      赤い橋の下のぬるい水mvie.jpg
赤い橋の下のぬるい水 (文春文庫)』/単行本 ['92年]/『自動起床装置 (新風舎文庫)』 〔'05年〕/映画「赤い橋の下のぬるい水」('01年・日活)役所広司/清水美砂

 保険外交員の「ぼく」は、長く美しい首の女がスーパーの輸入チーズ売り場で万引きをしたのをたまたま目撃し、その女の跡を追ったことから、河口の赤い太鼓橋のたもとに住むその女・サエコと付き合うようになるが、実は彼女は驚くべき身体の秘密を持て余していた―。

 女の持つ性的な"水"の秘密というモチーフは神秘的ですが、その性的な"水"と女の住む家の近く橋の下を流れる汽水のイメージが重なり合いなどは、神秘的というより叙情的な印象を受け、また、主人公の男女の関係は一点の神秘を前提にしながらも、それ以外の部分はわりと現実的に描かれていている気がしました。

 フォルマジオ・アル・ペペロンチーノという名のチーズやエジプト・ルーセット・バットという蝙蝠の番いなどをめぐる描写にもみずみずしい叙情が感じられますが(食べ物の描写が特に凝ってる)、一方で、女がそこで生活していることを表すものとしても効いてる感じ。

 ましてや「ぼく」の方は、保険会社の契約促進月間"連月戦"の只中にいるサラリーマンで、サエコの秘密をマスコミに話したらどうなるだろうかということを考えたりもするごく普通の生活者であり、こうした男女の日常と一点の神秘の取り合わせに不思議な味わいがあってなかなかいいと思いました。

 「ぼく」が"水"を通してサエコを所有しようとするうちに、"水"そのものが目的化してサエコと交わることの証のようなものになっていく様が面白く、決して明るい話ではないのですが陰湿でもなく、ペーソスを含んだ乾い可笑しさをもって描かれている気がしました。

 作者のデビュー作である『自動起床装置』('91年/文藝春秋、'94年/文春文庫、'05年/新風舎文庫)は、1991(平成3)年上半期・第105回芥川賞作品であり、通信社の仮眠室で「越こし屋」の仕事をする主人公の眼を通して人生の滑稽さや哀しみを描いた佳作でしたが、同時に文明批評的でもあり、ジャーナリストでもある作者のルポルタージュ的な切り口というものも内包されていたように思います(評価★★★☆)。

 人間の根源的な本能(『自動起床装置』の場合「眠り」)を通して文明批評を行うという点では、著者はこの後『もの食う人びと』('94年/共同通信社、'97年/角川文庫)に見られるように、「食」に飽くなきこだわりをみせますが、この作品は完全なルポルタージュです。

 それらに比べるとこの作品は、作者の文芸作家としての持ち味がストレートに発揮されていて、近年はジャーナリストとしての活動がもっぱらである作者ですが、その根源的な文学的資質の非凡さを示していると思いました。

赤い橋の下のぬるい水02.jpg赤い橋の下のぬるい水1.jpg 『赤い橋の下のぬるい水』は今村昌平(1926‐2006)監督によって映画化され('01年・日活)、カンヌ映画祭にも出品されていますが、今村監督の実質的な遺作となりました。

「赤い橋の下のぬるい水」(2001年)監督:今村昌平、出演:役所広司/清水美砂(カンヌ国際映画祭ノミネート作品)

赤い橋の下のぬるい水 [DVD]

 【1996年文庫化[文春文庫]】

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