【615】 ○ 藤原 新也 『東京漂流 (1983/01 情報センター出版局) ★★★★

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'80年代初頭の日本社会を独自の視点で鋭く考察。でも、インドの話がやっぱり良かったりして...。

藤原 新也 『東京漂流』単行本.jpg東京漂流 朝日文庫.jpg         全東洋街道 上.jpg 全東洋街道 下.jpg
東京漂流』朝日文芸文庫〔'90年〕 『全東洋街道』集英社文庫
『東京漂流』['83年‣情報センター出版局]

kafu藤原 新也 『東京漂流』3.jpg 写真家である著者が10数年に及ぶインドほか各地の放浪の総括として、トルコからインド、チベット、東南アジアを経由して、最後は高野山で終わる旅をし、それを記した写文集全東洋街道を上梓したのが'81年。その後、著者は東京に住まい、今度は視線を国内に向け、'80年代に入ったばかりの日本社会を独自の視点で鋭く考察した随想が本書です。

 著者は、'60年代の高度成長の時代に対し、'70年代を利己主義(ミーイズム)の時代、'80年代ニューファミリーが台頭する「ブンカの時代」とし、電化製品などに代表されたかつての「三種の神器」は、「フランスパンとブランデーとレギュラーコーヒー」にとって代わられたのではないかと。すでに旧「三種の神器」を手に入れ、自足してもよいはずの日本人が、経済が低成長期に入っても休まずに働き続けたのは、まだ「家」を手に入れてなかったからと(ナルホド)。田園調布に家が建つ」という漫才のフレーズが流行る一方で、持ち家を手にした時には家族の絆は消えていて、そうしたことを'80年11月に起きた「金属バット両親撲殺事件」に象徴させて述べる語り口は、ある意味、わかりやすいものです。

ka藤原 新也 『東京漂流』.jpg 久しぶりに読み返して、他の著者の写文集に比べ、写真がずっと少ないことに気がつきましたが、洗練化、偽善化された社会からはみ出した者が起こしたと分析する「深川通り魔殺人事件」の川俣軍司の写真や、雑誌「フライデー」の連載打ち切りの原因となった、「ヒト食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」というコピーのついたインドで人の死体を野犬が食べている写真など、1枚1枚がキョーレツに印象に残っています。

 でも、本作はやはり文章で勝負している感じ。国内の経済社会動向とそこに生きる日本人の価値観の分析も確かに鋭いけれど、インドの旅で病に感染している子どもたちに接吻していた女性の行為についてのらい病病院の婦長との対話などは、救いとは何かを考えさせられ、ミーイズムとか偽善とかいう問題のレベルを超えていて(彼岸の差がある)感動します。

kafu藤原 新也 『東京漂流』2.jpg
 
 【1990年文庫化[新潮文庫]/1995年文庫化[朝日文芸文庫]】

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This page contains a single entry by wada published on 2007年3月31日 00:49.

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