2007年1月 Archives

「●の 野坂 昭如」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●は 萩尾 望都」【698】 萩尾 望都 『ポーの一族

凄い記憶力で綴る個人的「文壇史」。三島や吉行の後輩への意外な配慮に感心させられた。

文壇.jpg 『文壇』 (2002/04 文藝春秋) 文壇2.jpg 『文壇 (文春文庫)』  〔05年〕 

 2002(平成14)年・第30回「泉鏡花文学賞」受賞作。

 野坂昭如の個人的「文壇史」という感じで、週刊誌にコラムを書いていた30代になったばかりの頃(年代で言えば'61(昭和36)年ごろ)から、三島由紀夫が自殺した'70(昭和45)年までのこと、特に「エロ事師たち」執筆('63年)から'67年の発表の「アメリカひじき」「火垂るの墓」で直木賞を受賞するまでの間のことが詳しく書かれています。

 それにしても凄い記憶力で、どこの店に誰と行ったら、そこに誰と誰が居て、どんな様子だったかということがこと細かく書かれています(かなり偏執狂的?)。
 川端康成、大江健三郎といった大御所、純文学作家から、流行小説家、編集者まで多くの文壇関係者が、そうした文壇バーのようなところに集っていたのがよくわかり、なあ〜んだ、狭い世界だなあと思わされる一方で、ゴシップ的なことも含め興味は尽きず、一気に読まされてしまったという感じ。

吉行 淳之介.jpg三島由紀夫.jpg こうした多士済々の顔ぶれの中で、その言動において際立った光彩を放っているのが三島由紀夫と吉行淳之介で、以前から2人の作品を評価していた野坂氏にとって、自らの小説デビュー作「エロ事師たち」がこの2人に最大賛辞をもって迎えられたことは、ある意味非常に幸運なことにも思えます。

 しかし、そのことにより逆に書けなくなってしまう時期があり、それを乗り越え、「エロ事師たち」「とむらい師たち」を経て「火垂るの墓」に至る―と言うと一見サクセスストーリーかと思われますが、常に雑文家出身の負い目があり(だから本書には、「交遊録」というより、いつも自分は部外者だったという感じが滲んでいる)、「火垂るの墓」発表後も、作中で虚実ないまぜにしたことへの後ろめたさに苛まれている。
 そうした彼の劣等感や当時を時めく流行作家に対する嫉妬みたいなものが素直に吐露されていて、逆に嫌味感を感じずに読めました。

 それにしても、三島や吉行って、結構その間も彼を励ましたりアドバイスしたりしている、その意外なこまめさには感心させられました(三島は常に彼を「さん」づけで呼び、対談を申し込んだり自宅でのパーティーに招待したりし、また吉行は"第三の新人"仲間に彼を紹介するとき、雑文家・プレイボーイとしてでなく、小説家として紹介している。これは、野坂氏がまだ直木賞の候補にもなったことがない時期の話である)。

 【2005年文庫化[文春文庫]】

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「死」を隠蔽する社会風潮へのアンチテーゼの表題作。三島、吉行も褒めた「四面凶妻」。

とむらい師たち 野坂昭如y.jpgとむらい師たち 1967.jpg   とむらい師たち.jpg 野坂昭如ルネサンス 5.jpg  とむらい師たち 河出文庫.jpg
単行本 ['67年]/『とむらい師たち』 講談社文庫['73年]/『とむらい師たち (岩波現代文庫 文芸 116 野坂昭如ルネサンス 5)』(カバー:和田 誠)['07年]/『とむらい師たち: 野坂昭如ベスト・コレクション (河出文庫)』['17年](解説:東山彰良)

 デスマスク師の"ガンめん"は、葬儀のレジャー産業化を図る葬儀演出家の"ジャッカン"らと組んで、万国博に対抗すべく日本葬儀博覧会の実現に執念を燃やすが―。

 '66(昭和41)年発表の表題作は、高度成長期において人の「死」というものが社会から隠蔽されようとされている風潮にアンチテーゼを投げかけた作品であり、「エロ事師たち」('63年発表)同様、スペシャリスト集団の男たちの奮闘をユーモアと哀切を込めて描いており、「エロ事師たち」とは、そのテーマにおいて「性」と「死」という対極を成しています。

 創刊号の表紙をベートーベンのデスマスクにすることに決まった葬儀雑誌「葬儀之友」の編集会議の様子など、笑える箇所が多いですが、再読してみると、一見書き殴り風のようでいて、葬儀社に関する取材がけっこう綿密になされていることに感心させられました。

とむらい師たち tirasi.jpgとむらい師たち 1シーン.jpg この作品は勝新太郎主演で映画化されていて(監督:三隅研次/共演:伊藤雄之助、藤村藤本義一 2.jpg有弘)、脚本は藤本義一氏です。テレビで観てあまり覚えていないのですが、ラストで勝新太郎が現世と来世を彷徨するような場面があって、これは藤本義一が敬愛する映画監督・川島雄三監督(恐山出身)へのオマージュが込められているとのことです(藤本義一が脚本家として最初に師事したのが川島雄三だった)。

映画「とむらい師たち」 ('68年/東映)

 他に、掘立小屋に同居する5人の学生が赤線で貰った毛虱に泣かされる「あゝ水銀大軟膏」、TV番組ライターの男が育児・家事放棄のとんでもない悪妻に悩まされる様を悲喜劇風に描いた「四面凶妻」、ベトナム出征兵士を無償で慰撫する女性を描いた「ベトナム姐ちゃん」、性の奥義を極めたというわけのわからない不思議な婆さんとの出会いを描いた「うろろんころろん」の4篇を収録(講談社文庫版・岩波現代文庫版も同じ)。

野坂 昭如 『とむらい師たち』.jpg いずれも、'66(昭和41)年から翌年にかけて(36歳から37歳にかけて)の1年間に発表された作品で、直木賞受賞作「アメリカひじき」「火垂るの墓」も'67年の発表作であることから、まるで何か舞い降りたかのような旺盛な創作ぶりが窺えます。

 今回の再読で、一般に評価の高かった「ベトナム姐ちゃん」('67年)は、出征兵士となった恋人との主人公の原体験がうまく伏線として物語に絡んでいると再認識しましたが、五木寛之もこのころ「海を見ていたジョニー」('67年)などベトナムものを書いていたなあと。

 講談社文庫版の巻末解説では「四面凶妻」だけが社会的風刺が弱いと見られたのか、解説の対象から外れていますが、個人的にはこれも印象に残った作品。今ならば育児放棄は、充分社会的テーマになるのではないでしょうか。
 ただし、「妻」のことをこんな風に書いて大丈夫かなあと変に気をもんでしまいましたが、近著『文壇』('02年)によれば、自分の奥さんがこんな女でなくて良かったという思いから書いたらしく、やや安心。

吉行 淳之介.jpg三島由紀夫.jpg 『文壇』ではさらに、三島由紀夫が電話してきてこの作品を褒め、ただし「お終いが少し汚い」と言ったとか(酔いつぶれながら更にビールを要求する妻に、男は小便を混ぜたビールを飲ませる)、吉行淳之介も褒め、「短編集の表題にするといい」と言ったという話も明かされていて、見る人は見ているという感じで、なんとなくよかったなあという気持ちになりました。

 【1973年文庫化[講談社文庫]/2007年再文庫化[岩波現代文庫・野坂昭如ルネサンス]/2017年再文庫化[河出文庫・野坂昭如ベスト・コレクション(浣腸とマリア、マッチ売りの少女、むらい師たち、ベトナム姐ちゃん、死児を育てる、色即回帰を所収)]】

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嗜好からくるイメージをここまで物語として膨らませることができるものかと、ちょっと感心。『痴人の愛』と少しダブった。

家畜人ヤプー (1970年)2.jpg 家畜人ヤプー (1970年).jpg 家畜人ヤプー角川文庫版.jpg 『劇画家畜人ヤプー「快楽の超SM文明」編』.jpg
家畜人ヤプー (1970年)』(挿画・装本:宇野亜喜良)/['70年/都市出版社]/『家畜人ヤプー』 角川文庫改訂増補決定版(カバー・イラスト:村上芳正)['72年]/『劇画家畜人ヤプー「快楽の超SM文明」編 (3巻)』['14年/電子書籍版]

 ドイツのとある森の中で、麟一郎とその婚約者クララは謎の飛行船を見つけるが、それは2000年後の宇宙大帝国イースから来て不時着したもので、2人はその飛行船で、白人至上主義、女権主義のイースに連れて行かれる。イースでは、白人が支配層で黒人はみな奴隷、そして日本人はヤプーという"家畜人"の扱いを受けていて、ヤプーは皮膚をはじめとして体を改造され、人間椅子、畜人犬、畜人馬、河童、自慰機械、肉便器などに改造されている―。

奇譚クラブ 昭和33年2月号.png 1956年より『奇譚クラブ』に「ある夢想家の手帖から」というタイトルで連載され、その後断続的に書き継がれた長編小説で、自分が読んだ角川文庫版も、文庫化に際して加筆・修正されたものであるとのこと。

 作者の「沼正三」は正体不明の作家で、現職エリート判事K氏だったという説が有力ですが、自分の社会的立場は伏せる一方で、角川文庫版の巻末に、「捕虜生活中、ある運命から白人女性に対して被虐的性感を抱くことを強制されるような境遇に置かれ、性的異常者として復員して来た」と、その嗜好の原因を明かしています。

 自らの性的嗜好からくるイメージをここまで物語として膨らませることができるものかと、嫌悪を超えてちょっと感心してしまうし、ぺダンティックな要素を含んだ文脈や全体の構築力から、作者が相当の知識人であることが窺えますが、『奇譚クラブ』という雑誌が初出であることからもわかるように、「表現すること」自体が目的として書かれたものであるような気もします(同じような嗜好を持った人には評価の対象になり得るだろうが、一般的には、「奇書」と見られているのではないか)。

三島由紀夫.jpg 生前の三島由紀夫がこの作品に強い関心を示し、版元を通じて「沼正三」に会おうとしたらしいですが、三島の全集の"しおり"に「沼正三」が寄稿していて、"沼氏"は編集部と「沼正三」の"仲介役"のフリをして三島に会ったとあります。しかし、この"仲介役"の人物は別に実在していて、時に自ら「沼正三」を名乗り、実際『続・家畜人ヤプー』はこの人の筆によるものらしいというからややこしい(三島は晩年、自分は「沼正三」が誰だか知っていると言っていたそうですが...)。

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)』 (コミック/全5巻)['99年]
家畜人ヤプー 第1巻.jpg石森章太郎 家畜人ヤプー.jpg かつて石森章太郎が本作を劇画化し、'83(昭和58年)1月に辰巳出版より刊行されていますが(最近では江川達也のものがある)、石森章太郎のものは、ストーリーは原作に忠実ながらも「サイボーグ009」みたいなタッチなので、SFっぽく(元来はSFという形を「借りているだけ」の作品だが)、原作の、あの"肉便器"に尻の皮膚が触れたときのウェットな感覚の描写のようなものは伝わってきません。

劇画 家畜人ヤプー 宇宙帝国への招待編』 石森章太郎・作 ('83年/辰巳出版) 昭和58年1月左開き版(初版)/昭和58年6月右開き版(5版)

 それでも、原作の中にある西洋へのコンプレックスと女性へのコンプレックスの一体化を再認識させられ(文庫解説にある作者の西洋&女性コンプレックスの元となった捕虜体験は、個人的には、会田雄次の『アーロン収容所』を想起させた)、そう言えば谷崎の『痴人の愛』についてもそうした読み解きをする見方があることを思い出しました。 

家畜人ヤプー 改訂増補限定版.bmp 【1970年単行本[都市出版社](挿画:宮崎保之)/1970年改訂増補限定版・1971年改訂増補限定版特別再販[都市出版社](挿画・装本:村上芳正)/1970年単行本・1971年改訂増補普及版[都市出版社](挿画・装本:宇野亜喜良)/1972年改訂増補決定版[都市出版社](挿画・装本:村上芳正)/1972年文庫化(改訂増補決定版)[角川文庫](カバー・イラスト:村上芳正)/1975年初版本愛憎版[出帆社](装幀:勝川浩二/挿画:宮崎保之)/1984年限定愛蔵版[角川書店](画:村上昴)/1991年改訂増補完全復刻版[スコラ](挿画・装本:宇野亜喜良)/1992年最終増補決定版[大田出版(全3巻)](装幀・画:奥村靫正)/1999年再文庫化[幻冬舎アウトロー文庫(全5巻)](カバーデザイン:金子國義)】

『家畜人ヤプー』改訂増補限定版(1971年・都市出版社/挿画・装本:村上芳正) 
                                      
                                            
家畜人ヤプー石森 復刻版.jpg 劇画家畜人ヤプー2.jpg
劇画家畜人ヤプー【復刻版】』『劇画家畜人ヤプー2【復刻版】』 
 
《読書MEMO》
沼正三『家畜人ヤプー』.gif「捕虜生活中、ある運命から白人女性に対して被虐的性感を抱くことを強制されるような境遇に置かれ、性的異常者として復員して来た。(中略)以来20余年間の異端者の悩みは、同じ性向を有する者にしかわかるまい。昼の私は人と議論して負けることを知らなかったが、夜の私は女に辱められることに陶酔した。犬となって美女の足先に戯れることが、馬となって女騎士に駆り立てられることが、その想念だけでも快感を与えてくれた。被虐と汚辱の空想の行きつくところに汚物愛好も当然存在した。/祖国が白人の軍隊に占領されているという事態が、そのまま捕虜時代の体験に短絡し、私は、白人による日本の屈辱という観念自体に興奮を覚えるようになって行った。」(角川文庫版627p)

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テレビ芸能人の分析に長けていた著者の真骨頂。

ナンシー関大コラム.jpg 『ナンシー関 大コラム』 (2004/02 世界文化社)

 著者が亡くなった後に、新進・既存のコラムニストたちが辛口ぶりを発揮すると「ナンシー関の後継か」などと言われることがありますが、これは一種の期待願望であって、死後も次々と出版されている著者自身の書いたものを読むと、コレを超えるのは容易ではないという気がします。

 '04年に順次刊行された「大コラム-テレビ芸能人編」「超コラム-テレビCM編」「激コラム-世情編」というシリーズの1冊ですが、「テレビ芸能人編」であるこの本が一番面白かった。と言うか、「テレビCM編」「世情編」となるにつれて"意外と"さほど面白くなくなってきました。

 テレビ芸能人・文化人を見ていて、何か感じる違和感やウソ臭さの背後にあるものを鋭く見抜くとともに、それを的確な言葉で表現してくれていたなあと。やはりこの点が著者の真骨頂ではなかったかと思います。
 文芸評論家の鹿島茂氏は彼女の面白さを、フローべールの『紋切型辞典』(岩波文庫)に近いと言ってましたが、これって大絶賛しているということですね(鹿島氏はフランス文学者でもある)。

 そして多分、テレビに映し出されるものに対する眼力を曇らせないようにするために、自らの私生活における文化芸能人的なものを(そうした人種との接触を含め)、極力排していたのではないかと思います。一種、"節制"生活のような感じで。

 ちょっと興味深いのは、こき下ろすばかりでなく、ジャイアント馬場を「葉巻が似合う稀な日本人」としたり(プロレス雑誌に寄稿したものではありましたが)、それから、大食い選手権のチャンピオンに男女を問わず感嘆の意を表していて、また違った一面を知った気がしました。
 多くの面で"節制"しているわけだから、これぐらいは自分の嗜好を出しちゃってもいいのかも...。

《読書MEMO》
●糸井重里...見るのが辛い80年代の亡霊
●加藤晴彦...女性客の愛玩タレント
●高田万由子...皇室側の人のように振舞う根拠は?
●中谷彰宏...まだいた「トレンドウミ男」

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これから面白くなるところだったのに、「平成の2大散文家」唯一の共著になってしまった。

リリー&ナンシーの小さなスナック.jpg 『リリー&ナンシーの小さなスナック』 小さなスナック.jpg 文春文庫 (『小さなスナック』)
(ブックデザイン:坂本志保)

 雑誌「クレア」に連載されたナンシー関の対談で、10年前から大月隆寛、町山広美氏を相手に続いて、リリー・フランキー氏が3人目の対談相手だったわけですが、これが一番面白いと言うか、かなりユルイ感じもありますが、将来に向けての可能性を秘めていたような気がします。

 しかし、この対談の中で「10年後も間違い無く消しゴムを彫っている」と将来予測していたナンシーが、第24回対談の前日に急逝し('02年6月)、それまでの23回の対談を収めた本書が、リリー&ナンシーの唯一の共著になってしまいました。
 文芸評論家の福田和也氏などは、この2人を「平成の2大散文家」と評しているぐらいで、対談もこれからもっと面白くなると思われたところだったから、残念。

 それぞれの対談にテーマはあって無いようなものですが、いい感じの言葉のキャッチボールで、それぞれのイラストと版画が楽しめるのもいいです。
 言葉の端々に双方の鋭い感性が窺える一方、ナンシー関が意外と率直にテレビドラマで泣いたりすることを告白していたり(泣いたイコール感動しているではないと言っていることが肝要ですが)、時にどこか自虐的であったりし、またリリー・フランキー氏に対して優しい先輩のように包容的でもあったりして、彼女の新たな一面を見た気がしました。
 
 それだけに、末尾のリリー・フランキー氏の追悼文も哀しく、無念さを増します。
 この追悼文には詳しく書かれていませんが、次の対談予定場所だった、ナンシー関の馴染みの焼肉店(ここの女性経営者とは経営者が屋台の時代からナンシー関は親しくしていて、亡くなる1週間前にも来ていた)をリリー・フランキー氏が訪れ、対談で出す予定だった料理を全部出すようママに頼み、お店の人たちと追悼会をしたそうです。

 リリー・フランキー氏が亡くなった母親の思い出を綴った『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜』('05年/扶桑社)でブレイクしたのは、ナンシー関の死の3年後で、母親を亡くしたたのは、この対談が始まる少し前だったのではないだろうか。
 
ナンシー関-没後10年おかえりナンシー.jpg【2005年文庫化[文春文庫(『小さなスナック』)]】

     

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「自分を欺いて賢人ぶるより、たとえ浅薄でも感じたことを正直に書く」姿勢。

甘茶日記.jpg  『甘茶日記』 (2005/11 毎日新聞社)

 「サンデー毎日」連載コラムの'05年分('04年11月〜'05年11月掲載分)を収録。

 最初に読んだのは'96年版の『クダラン』('02年/文春文庫)で、社会問題については素人の立場から素朴な疑問を呈し(いい意味で、素人を装ったプロとも言えるが)、映画などの文化芸能ネタでは「通」ぶりを発揮していている、そのバランスが自分の好みに合っていましたが、その後もの批評のスタンスは変わっていないようです。

 『クダラン』('96年)以降も、『無茶な人びと』('97年)、『厭々日記』('98年)、『へなへな日記』('99年)、『くすだま日記』('00年)、『ほぼ地獄。ほぼ天国。』('01年)、『あんまりな』('02年)、『まんざら』('03年)、『ここに幸あり』('04年)、そしてこの『甘茶日記』('05年)、さらに『よろしく青空』('06年)と続いていて(タイトルだけ見るとシリーズだとわかりにくいのが玉に瑕)、'06年に20周年企画として自選集『コラム絵巻-20年SPECIAL』を刊行しています。

 その間、政治・社会問題に関してはいろいろと評論家などから突っ込みを入れられていますが(突っ込まれても仕方がないものも多々あった)、継続の陰には、本書にある「自分を欺いて賢人ぶるより、たとえ浅薄でも感じたことを正直に書くべきだと思う」(徳岡孝夫)という信条があったのでしょう。

livedoor_top02.jpg 一応の下調べをしながらも知ったかぶらず、言うべきことは言うがわからないところは断定せず "疑問符"にとどめている(評論ではなくコラムであるからこそ許されるスタンスなのかも知れないが)、その姿勢には好感が持てます。

 '05年も、ライブドアのニッポン放送をめぐる株争奪戦や、福知山線の脱線事故など色々あったわけですが、その時だけ議論が盛り上がって、その後どうなっちゃったの、というような批判精神を忘れていないのもいいです。

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社会問題について素朴な疑問を呈し、文化芸能ネタでは「通」ぶりを発揮。

クダラン.jpg 『クダラン』 (1996/12 毎日新聞社)   クダラン2.jpg 『クダラン (文春文庫)』 〔'02年〕

 「サンデー毎日」連載コラムの年鑑型単行本で、'96年分を収録していますが、この単行本シリーズは、毎年その年の12月に刊行されるため、年末に今年も色々あったなあ、と振り返るのに丁度よい本です。

 ただし、実際に自分が本書を読んだのは、'02年刊行の文春文庫版で、その間に6年の"時差があり、文庫化にあたって、コラムによっては〈P.S.〉として、その後の動きなどが書き加えられている、それらをまた今、思い出すように再読しているという...。

 社会問題などの時事ネタと、映画・本・古典芸能などの文化芸能ネタの配分バランスがほどよく、社会問題については素人の立場から素朴な疑問を呈し、映画をはじめ文化芸能ネタでは「通」ぶりを発揮していています。

 雑誌連載は'85年からスタートしており、所謂"アグネス論争"なども、林真理子 vs.上野千鶴子というイメージがありますが、発端となったのは、この連載での"アグネス批判"を林真理子が支持したことから始まっているらしいです。

abe.gif 本書でとりあげている'96年の話題には、君島家騒動、ミドリ十字土下座謝罪、TBS騒動などがありましたが(もうかなり忘れちゃったなあ)、ものごとの責任のとり方に結構こだわっているのに、「TBSは死んだ」と自ら言いながら、その後もキャスターとして居座った人のことは、どういうわけか特に書いていない、一方で、安部英(たけし)・前帝京大副学長の"哀しくおぞましい"笑い顔に着目したりしていますが、この部分は感覚的に共感するところアリで、男性コラムストはあまりこんなこと書かないのではないかと思いました(その安部老人も亡くなってしまったけれど、事件そのものは忘れてはならない事件です)。

 全体としてはむしろ、専門の映画評や、ややマニアックな猟書遍歴が楽しく、女性月刊誌 「クレア」連載のエッセイが文庫にして150ページ分併録されているのもお得で、こちらの方は、芸能ネタに対する切り込みの鋭さがより発揮されている感じです。

 "オヤジを貶しながらオヤジ受けを狙っている"コラムストとの批評もありますが、読者ターゲットによって使い分けている感じで、女性誌に書くときは、ときどき軽い自虐ネタも入れている(そうした点では、酒井順子などの先駆者に当たるのか?)、でも、そうしたことも含め、楽しく読めました。

 酒井順子の『負け犬の遠吠え』('03年/講談社)に照らすと、中野翠の場合、歌舞伎とか落語とか、完全にこの頃から、「負け犬」の趣味に嵌まっている感じで、しかも自虐ネタまで...。
 しかし、自分たちのことを、反語的な意味が込められているにせよ「負け犬」と呼んだ酒井順子に対し、中野翠は、どこかで専業主婦をバッサリ切っていたはずで、この対照は、両者の年齢とキャリアの違いによるものなのでしょう。

 【2002年文庫化[文春文庫]】

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骨太の芥川賞作品。主人公は「血」に負けたのか? むしろ、裏返された成長物語のように読めた。
岬 中上健次.png 岬.jpg 十九歳の地図 dvd.jpg 十九歳の地図 映画.jpg  神々の深き欲望L.jpg
』['76年] 『』文春文庫 「十九歳の地図(廉価版) [DVD]」「NIKKATSU COLLECTION 神々の深き欲望 [DVD]

中上 健次.jpg 表題作である「岬」のほか、「黄金比の朝」「浄徳寺ツアー」など3篇を収めていますが、作者の小説は郷里の紀州を舞台にしたものが多い中、表題作はまさに出身都市である新宮市を舞台に、家族と共に土方仕事をしながら、逃れられない血のしがらみに喘ぐ青年を描いたものです。作者は本作により、戦後生まれとしては初めての芥川賞作家となりましたが、近年の芥川賞作品に比べると、ずっと「骨太」感があると思いました。

中上健次(1946‐1992/享年46)

 「十九歳の地図」で芥川賞候補になり、作品としての幅を拡げるために三人称にしたのか? それも一面の真実かも知れませんが、多分「彼」にしないと作者に書けない要素というのが、この「岬」という作品にはあったのではないかと考えます。

中上健次VS村上龍―俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて、ー。 対談+短篇小説+エッセイ.jpg中上 vs 村上.jpg 芥川賞の選考委員であり、中上健次との対談集もある村上龍氏は(『中上健次VS村上龍―俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて。』('77年/角川書店)―これも面白かった。村上氏が名が中上健次を前にしてやや背伸びしている感もあるが、2人の文学遍歴の共通点や相違点などがよくわかる)、後に、この『岬』という作品を受賞作の水準に定めていたことを、ある年の芥川賞の選評で述べていたように思います。
中上健次VS村上龍―俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて。 対談+短篇小説+エッセイ (1977年)

 登場人物はそれほど多くないのですが、主人公の「彼」(秋幸)を取り巻く人物の血縁関係が複雑で、読みながら家系図を作った方がいいかも知れません。父・母がそれぞれ異なる兄弟姉妹が入り乱れ、その家計図メモがだんだんぐちゃぐちゃになってきた頃に出来事は大きく進展し、義父が叔父を刺したり、異父姉の錯乱があったりしますが、姉を連れて家族で岬にピクニック?にいくところは、それまでの殺伐感とは違ったソフトフォーカスな感じがあり、印象的でした。

 書いてみた家計図を見て、こうして〈親族の基本構造〉を破壊している元凶は、3度の結婚をしている主人公の母親だと思ったのですが、主人公は、登場人物のすべてと距離を置いている中、この母親に対しては、愛憎入り混じっている感じで、姉に対する意識にも微妙なものがあり、こんなぐちゃぐちゃな血縁関係の中でも、自らを定位しつつ、どこか"家族"を求めているところがあるのかなあと。

 主人公は最後に異母妹と思われる女性を見つけて交合しますが、これは、それまで比較的おとなしかった彼が、父や義父と同じ獣性に目覚めた、つまり「血」に負けて同じように鬼畜の道に嵌まったということなのでしょうか。それとも、潜在的渇望としてあった兄妹愛に目覚めたということ?

 自分にはこの辺りはむしろ、今まで子どもだった主人公が、エディプス・コンプレックスを克服した話のように読めました。血縁関係のない義父と同じようになるということは、「血」に負けたという理屈は成立せず、むしろ、男になる、つまり妹と交わることで自らが父権そのものになる、という裏返された成長物語のように思えたのですが...。

十九歳の地図 文庫.jpg十九歳の地図.jpg なぜ「彼」という三人称が使われているのかもこの作品の"謎"で、「十九歳の地図」と同じような鬱屈した予備校生を主人公にした「黄金比の朝」では「ぼく」だったのが、「岬」や「浄徳寺ツアー」では「彼」になっている、しかし共に、「彼」を使うよりも「ぼく」でいった方がずっと自然に読める箇所がいくつかあります。

 『十九歳の地図 (河出文庫 102B)

「十九歳の地図」で芥川賞候補になり、作品としての幅を拡げるために三人称にしたのか? それも一面の真実かも知れませんが、多分「彼」にしないと作者に書けない要素というのが、この「岬」という作品にはあったのではないかと考えます。

 中編「十九歳の地図」(短編集『十九歳の地図』('74年/河出書房新社、'81年/河出文庫)所収)は、和歌山から東京に出てきて、新聞配達をしながら予備校に通っている浪人生の青年の鬱々とした青春を描いたもので、新聞を配達しても感謝されるわけでもなく、集金に行けば煙たがられ、仕舞には飼犬に吠えられるという、ストレスだらけの生活の中、青年は、新聞の配達先で自分の気に入らない家について、地図上で☓印をつけていくという―このメインストーリーだけでも暗い話ですが、併せて、主人公の周辺の社会の下層で生きる人々の生き様が描かれていて、中上健次らしい暗さだなあと。

十九歳の地図00.jpg十九歳の地図0.jpgさらば愛しき大地 poster.jpg この「十九歳の地図」は映画化され('79年/群狼プロ)、監督は暴走族を追ったドキュメンタリー映画「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」('76年/群狼プロ)の柳町光男(後に、根津甚八、秋吉久美子主演での「さらば愛十九歳の地図b.jpgしき大地」('82年/群狼プロ)などの佳作を撮るが、中上健次は「さらば愛しき大地」の脚本にも参加している)、主人公の青年役は「ゴッド・スピード・ユー!」にも出ていた本間優二(映画出演を機に暴走族から役者に転じたが1989年に引退)、主人公の下宿の同居人で、偽の入れ墨で客を脅して集金している元釘師の新聞配達人に蟹江敬三(1944-2014)(いい演技をしていて「さらば「十九歳の地図」蟹江.jpg愛しき大地」にも出演している。そして、「さらば愛しき大地」でもいい演技をしている)が扮していて、この蟹江十九歳の地図 沖山秀子.jpg敬三と、自殺未遂で片脚が不自由になった娼婦を演じた沖山秀子(1945-2011)(ジャズ・ヴォーカリストでもあり、中上健次は彼女の大ファンだった)の濡れ場シーンの何と暗いこと! とにかく暗い暗い作品でしたが、その暗さを通して、青年の意志のようなものがじわーっと伝わってくる(ある意味「前向き」な)不思議な仕上がりになっていました。

神々の深き欲望_07.jpg神々の深き欲望 dvd.jpg 沖山秀子は、すでに今村昌平監督の「神々の深き欲望」(' 68年/日活)で存在感のある演技をみせており、汚れ役に迫力のある女優でした。この作品は、南国の孤島の村を舞台に、兄娘相姦や父娘相姦など村の禁制を破ったことで疎外され追放されていく太一族の太根吉(三國連太郎)と、島の産業開発や観光開発のためコミュニティとしての絆が崩壊していく村社会を描いたものでした。

 地元開発を機に村社会に亀裂が生じるというのはよくある設定ですが、主人公・根吉の娘(松井康子神々の深き欲望.jpg)を島の区長(加藤嘉)が引き取って愛人にし、区長が亡くなった後、兄は妹を取り戻して逃避行を図るものの、息子(河原崎長一郎)を含む村人達に殴殺されてしまうというストーリーにみられるように、また、語り部によって語られる説話的な構成という点からも、個と家族、共同体の関係性に重きを置いた作品という印象を受けました。神々の深き欲望 スチール.jpg沖山秀子の演じたのは、息子の妹で、開発業者の社員(北村和夫)に政略的に与えられる白痴の娘の役でした。

沖山秀子(太トリ子(太亀太郎の妹))/嵐寛寿郎(太山盛(太根吉の父で神に仕える太家の長。自分の娘と近親相姦をして根吉を産ませている))

 彼女が北村和夫演じる社員を好きになったことが悲恋の結末に繋がり、最後は「岩」になってしまったという、説話または神話と呼ぶにはあまりにドロドロした話で、キネマ旬報ベストテンの'68年の第1位作品ですが、観た当時はあまり好きになれなかった作品でした(沖山秀子は良かった。と言うより、スゴかったが)。しかしながら、後に観直すうちに、だんだん良く思えるようになってきた...(抵抗力がついた?)。

沖山秀子.jpg 因みに、沖山秀子は関西学院の女子大生時に今村昌平監督に見い出されてこの映画に出演し、これを機に今村昌平監督の愛人となり、その関係が破局した後は、カメラマン恐喝のかどで逮捕され(留置場では全裸になって男性受刑者を歓喜させ、「みんな何日も女の体を見てないからね。私はブタ箱をパラダイスにしてやったんだよ」と言ったという逸話がある)、出所後は精神病院に入院、退院後マンションの7階から投身自殺をするも未遂に終わり、「十九歳の地図」出演時の「自殺未遂で片脚が不自由になった娼婦」役の「自殺未遂で片脚が不自由になった」というのはそのまま地でいっているというスゴさでした。(2011年3月21日死去)

十九歳の地図5.jpg「十九歳の地図」●制作年:1979年●監督・脚本:柳町光男●製作:柳町光男/中村賢一●撮影:榊原勝己●音楽:板橋文夫●原作:中上健次「十九歳の地図」●時蟹江敬三.jpg間:109分●出演:本間優二/蟹江敬三/沖山秀子/山谷初男/原知佐子/西塚肇/うすみ竜/鈴木弘一/白川和子/豊川潤/友部正人/津山登志子/中島葵/川島めぐ /竹田かほり/中丸忠雄/清川虹子/柳家小三治/楠侑子●公開:1979/12●配給:プロダクション群狼●最初に観た場所:文芸坐ル・ピリエ(81-1-31)(評価:★★★★)●併映:「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」(柳町光男) 

ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR(1976) dvd_.jpgゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR .jpg「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」●制作年:1976年●製作・監督:柳町光男●撮影:岩永勝敏/横山吉文/塚本公雄/杉浦誠●時間:91分●出演:ブラックエンペラー新宿支部の少年たち/本間優二●公開:1976/07●配給:プロダクション群狼●最初に観た場所:文芸坐ル・ピリエ(81-1-31)●2回目:自由が丘・自由劇場(85-06-08)(評価:★★★)●併映(1回目):「十九歳の地図」(柳町光男)●併映(1回目):「さらば愛しき大地」(柳町光男)
ゴッド・スピード・ユー!BLACK EMPEROR [DVD]

加藤嘉(竜立元(クラゲ島の区長で製糖工場の工場長))
神々の深き欲望 .jpg神々の深き欲望 竜立元 加藤嘉.jpg「神々の深き欲望」.jpg「神々の深き欲望」●制作年:1968年●監督:今村昌平●製作:山野井正則●脚本:今村昌平/長谷部慶司●撮影:栃沢正夫●音楽:黛敏郎●時間:175分●出演:三國連太郎/河原崎長一郎/沖山秀子/嵐寛寿郎/松井康子/原泉/浜村純/中村たつ/水島晋/北村和夫/小松方正/殿山泰司/徳川清/石津康彦/細川ちか子/扇千景/加藤嘉/長谷川和彦●公開:1968/11●配給:日活●最初に観た場所:池袋・文芸地下(83-07-30)(評価:★★★★)

中上 健次 ユリイカ.jpgユリイカ2008年10月号 特集=中上健次 21世紀の小説のために

 【1978年文庫化[文春文庫]/2000年再文庫化[小学館文庫(『岬・化粧 他』-中上健次選集12)]】

中上 健次.jpg  沖山秀子 2.jpg 沖山秀子 in「喜劇・女は度胸」('69年/松竹)with 渥美清

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