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免疫の概念に、学際的視点から触れられていて面白い。様々な思いが込められたタイトル。
『懐かしい日々の対話』 (2006/10 大和書房)
免疫学者・多田富雄氏と識者10人との対談集で、前半部分は、冒頭の河合隼雄(臨床心理学)をはじめ、養老孟司(解剖学)、溝口文雄(計算機科学)、村上和雄(遺伝子工学)、石坂公成(免疫学)との対話を通して、免疫学や多田氏の提唱するスーパーシステムの概念に、様々な学際的視点から触れられていて面白かったです。
河合氏との対談で、多田氏は、「生物学では中心のない原理で成立している仕組みが見つかっている」ことを指摘していますが、免疫システムなどはまさにその代表例で、脳も同じかもしれず、『「私」は脳のどこにいるのか』という本がありましたが、こうした問い方自体が、従前の工学システムの考え方に捉われ過ぎているのかも。
多田氏の場合、こうした生命システムのネットワーク的構造や自己目的的な複雑化が、都市や社会の諸システムの読み解きに敷衍されているのがわかります。
多田氏の先生にあたる石坂公成氏との話では、免疫学が現在直面している壁の話から科学(的)と言われるものの限界に話が及んでいますが、"どうやって"生命が誕生したかは解き明かせても、"なぜ" 生命が誕生したかは永遠にわからないのかも...という思いになりました(別に、地球も含め宇宙に生命が皆無であっても、地球や宇宙は困らないわけだし...)。
後半部分には〈能〉をテーマにした対談が2本あり、専門的でやや敷居が高かった部分もありましたが、〈能〉の奥義も「自己」と「非自己」の関係性に触れて免疫システムのアナロジーにしてしまうところが、いかにも多田氏らしいなあと。
最後のイランの映画監督キアロスタミ氏との対談では、両者の〈自分の死〉に対する考え方の違いが明瞭になったにも関わらず、死をテーマにした監督の作品に多田氏が〈能〉的なものを見出して惹かれているという構図が興味深かったです。
多田氏は'01年に脳梗塞で倒れて発声機能を失い、もうこうした対談は出来ない、また、対談相手の中には米原万里氏のように亡くなった人もいる、そうした様々な思いが込められたのが、本書のタイトルです。