【591】 ◎ 高橋 和巳 『邪宗門 (上・下)』 (1966/10 河出書房新社) ★★★★☆

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ナショナリズムと宗教の類似と相克。生きるとは何かということ充分に考えさせる作品。

邪宗門 上下.jpg邪宗門 上.gif 邪宗門下.gif 高橋和巳.jpg  高橋和巳 (1931-1971/享年39)
邪宗門〈上〉 (1966年)』『邪宗門〈下〉 (1966年)』 新潮文庫 /『邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)』『邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)
邪宗門 上 (河出文庫)』『邪宗門 下 (河出文庫)』['14年]
邪宗門 上 (河出文庫).jpg邪宗門 下 (河出文庫).jpg 昭和初期、千葉潔という孤児少年が京都の山間のとある駅に降り立ったところから物語は始まり、潔は地元宗教団体「ひのもと救霊会」に拾われ、様々な経験を経てやがて「救霊会」の女性教主の後継者になる。教団は現世の世直しを掲げてその規模を拡張するが、戦時下において反天皇制を標榜する教団に、当然のことながら国家が介入し、教団内部の信徒の裏切りなどもあって、教団は壊滅への道を辿る―。

 作者・高橋和巳(1931-1971)は、「天才的な一人の宗教的指導者とその教団の組織過程を通じて、現代が持つもろもろの矛盾と、宗教というものが人間存在に対してもつ意味とを追求」(『邪宗門』作者の言葉)したとのことで、大本教をモデルにしたと一般には言われていますが、ある種の実験的なユートピア共同体のイメージに小説としての血肉を与えるために、大本教や天理教の歴史を参照したというのが正解でしょう。

 作中の"もともとは一庶民"だった女性教主というのは、大本教、天理教と重なり、戦前・戦中・戦後の弾圧の歴史も大本教のそれと符号しますが、「救霊会」の教義は、作者が執筆当時傾倒していたインド仏教の一派に近いと見られていて、宗教を通じて国家とは何か、そこにおける個人とは何かということを問うているこの作品は、だからと言って宗教を単なる道具立てとして用いているのではないことは確かです。

 しかし、国家体制からの"与えられた民主主義"というものを否定したかにも思えるこの作品は、宗教という枠を超えて、昭和40年代に全共闘世代の圧倒的支持を得ました。
 今はそうした自らの思想に直結させて本作を読み解く読者は少ないと思われるものの、ナショナリズムと宗教の類似と相克(ゆえに教団が擬似国家化すると、弾圧が強まる)といった普遍的なテーマをも孕んでいるように思えます。

 その他にも―、
 ・正義とは何か(この作品から導き出される答えは無いが、少なくともそれは絶対的なものでなく相対的なものであり、それを絶対化したところから共同体の崩壊が始まる)、
 ・思想とは何か(潔自身は宗教人になりきれないながらも教団の思想に殉ずるかたちとなる)、
 ・恋愛とは何か(この作品には多くの献身的な宗教人たる女性が登場し、潔と行動を共にすることでそれぞれに悲惨な最期を迎えるが、それは信仰よりも恋愛に殉じているように見える)、
 といった様々なテーマを含んだ作品であり、良く言えば"重層構造"ということですが、盛り込みすぎて小説としては破綻しているようにも思えるフシもあります(作者が耽読したドストエフスキーの作品にも同じ傾向があるなあと)。
 それでいて、千葉潔や教団幹部の壮絶な生き様を通して、生きるとは何かということを読者に充分に考えさせる作品だと思います。
 
 【1971年文庫化[講談社文庫(上・下)]/1977年再文庫化[新潮文庫(上・下)]/1993年再文庫化[朝日文芸文庫(上・下)]/2014年再文庫化[河出文庫(上・下)]】

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This page contains a single entry by wada published on 2006年12月23日 23:01.

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