2006年12月 Archives

「●た行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2167】 徳永 圭 『その名もエスペランサ

やや出来すぎた人物像だが、ビジネスパーソンが読めば、グッとくる部分は多い「小説」。

小説 上杉鷹山.JPG 小説上杉鷹山 上巻.jpg 小説上杉鷹山下巻.jpg     小説上杉鷹山.jpg 
小説 上杉鷹山〈上巻〉〈下巻〉』 ['83年]/『全一冊 小説 上杉鷹山 (集英社文庫)』 ['96年]

 財政難に一時は廃藩の話まで出た米沢藩を再興した藩主・上杉治憲(はるのり、隠居後は鷹山)の話で、この人、戦前は国定教科書に取り上げられていた人物ですが、本書にもあるとおり、故J・F・ケネディ大統領が最も尊敬する日本人としてその名を挙げた人でもあります。

 米沢織、絹製品、漆器、紅茶、鯉、一刀彫などの今に至る米沢の名産品は、みなこの人の産業政策の賜物だそうですが、こうした企業で言えば多角化経営みたいなものが本当に実を結んだのは、鷹山亡き後で、在命中の実績としては、天明大飢饉の際に1人の餓死者も出さなかった(本当かなあ)ことが最大のものと言えるのではないでしょうか。

 その名を後世に残しているのは、「徳」を政治の基本に置き、それを経済に結びつけようと考え、倹約を推奨するけども「生きた金」は積極的に使い、それは「領民を富ませるため」だったという、徳治主義的な政治哲学の実践者であったから。
 ケネディが鷹山を知るきっかけとなった本の著者である内村鑑三流に言えば、「愛と信頼」の政治ということになり、本書にも「愛」という言葉が何度か出てきますが、江戸時代に「愛」という言葉の概念が今のような形であったかどうか、個人的にはやや疑問。

 それと、実際に高徳の人物であったとは伝えられていますが、ちょっと完璧に描きすぎている感じもして、35歳で隠居したのは、次代を育てるというよりは、財政難の折、参勤交代を免がれるための戦略だった(藩主が代わった年は免除される)というのが通説のようです。

 藩政改革の道程は平坦ではなく、、反発する旧弊な重役たちとの確執など、企業小説を呼んでいるような面白さはあります。ときどき、「今の経営行動パターに合せれば」という感じで「企業目標の設定」「それに必要な情報の公開」とか箇条書きで説明が出てくるのが、社内研修テキストみたいでお節介のような気もしましたが。
 人物の描き方もプロトタイプという感じですが、それでも佐藤文四郎とかにスポットを当て、その好漢ぶりを生き生き描いているのは、素直に爽快感を感じました。

 テレビ番組『知ってるつもり!?」』で鷹山がフューチャーされたこともあり、本書はベストセラーとなりましたが、やはり企業の中で、改革派と抵抗勢力の間にいるようなビジネスパーソンが読めば、グッとくる部分は多い「小説」であることには違いありません。

 【1995年文庫化[学陽社・人物文庫(上・下)]/1996年再文庫化[集英社文庫(全1冊)]】

「●て 寺山 修司」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●と コナン・ドイル」 【1403】 コナン・ドイル 『緋色の研究
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「○都内の主な閉館映画館」の インデックッスへ(新宿東映ホール(新宿東映パラス2))

初読は土俗的な暗いイメージ、再読でみずみずしい情感と神話的な虚構性を。

誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく.jpg誰か故郷を想はざる53.JPG誰か故郷を想はざる.jpg  誰か故郷を想はざる2.jpg
誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく (角川文庫)』 ('73年初版・改訂版/表紙イラスト:林 静一)/角川文庫 新装版('05年)
自叙伝らしくなく誰か故郷を想はざる (1968年)』('68年/芳賀書店/表紙イラスト:辰巳四郎)

現代の青春論―家族たち・けだものたち.jpgの『家出のすすめ』('72年/角川文庫).jpg 寺山修司(1935‐1983)の『家出のすすめ』('72年/角川文庫)を読んで実際に家出したという人がいたとかいないとか言われていますが、直接の原因とならなくても、20代後半から大学の文化祭などで"家出のすすめ"を説いていた彼の言葉は、当時の多くの若者にとって強いインパクトがあったのではないでしょうか。特に地方の若者にとっては、都会への"脱出"を図る潜在的誘因にはなったりしたのではないかと...(因みに、『家出のすすめ』はその9年前に刊行された『現代の青春論』('63年/三一書房)の改題)。

家出のすすめ―現代青春論 (角川文庫)』('72年)(表紙イラスト:林 静一)/『現代の青春論―家族たち・けだものたち (1963年) (三一新書)
              
書を捨てよ、街に出よう 角川文庫1.jpg書を捨てよ、町へ出よう .jpg 一方、本書『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』は、寺山修司30代前半の自叙伝的エッセイ集で、第1章「誰か故郷を想はざる」と第2章「東京エレジー」から成りますが、初読の際には「誰か故郷を想はざる」の土俗的な暗いイメージに馴染めませんでした。最初に読んだ時は、『書を捨てよ、街に出よう』('67年/芳賀書店)などの方が良かったという印象でした(タイトルからして何か能動的ではないか)。
書を捨てよ,街へ出よう (1967年)』(芳賀書店)(カバー・表紙・目次:横尾忠則)/『書を捨てよ、町へ出よう』('75年/角川文庫)(表紙イラスト:林 静一)
                                      
 「草迷宮」.jpg『草迷宮』.bmp『迷宮譚』.bmp

img_03_02.jpgimg_03_03.jpg「草迷宮」 「迷宮譚」「マルドロールの歌」「一寸法師を記述する試み」

 しかしその後、寺山修司の映画、自伝的作品「田園に死す」('74年)や「草迷宮」('78年)(母がいつも口ずさんでいた手毬唄のルーツを探そうと青年が各地を回り、情報を捜し求めていくうちに巡り逢う数々の女性との関わりの中で成長していく青年の話)、実験映画「迷宮譚」('75年)、「二頭女」「マルドロールの歌」「一寸法師を記述する試み」('77年)などに触れて(何れも新高恵子や蘭妖子という不思議なムードを醸す女優が出ていた)、その上で改めて本書を読むと、映像作品と意外にと言うかかなりイメージ的に重なり、エッセイの一篇一篇が抒情詩のようなみずみずしい情感をもって伝わってきました。ああ、これって散文詩なのだ、この中にいる寺山少年というのは神話の登場人物みたいだなあと。

草迷宮 ちらし.bmp草迷宮 (DVD).jpg 因みに「草迷宮」は、フランスのプロデューサー、ピエール・ブロンベルジュが製作したオムニバス映画「プライベート・コレクション」の1話として製作された中編。寺山の死後、日本で公開された作品で、原作は泉鏡花の同名小説です。

新宿東映パラス2.jpg 「草迷宮」●制作年:1978年(日本公開:1983年)●制作国:フランス・日本●監督:寺山修司●製作:ピエール・ブロンベルジュ●脚本:寺山修司/岸田理生●撮影:鈴木達夫●音楽:J・A・シーザー●助監督:相米慎二/ピエール・ブロンベルジェ●原作:泉鏡花「草迷宮」●時間:40分●出演:三上博史/若松武/新高恵子/伊丹十三/中筋康美/福家美峰/末次章子/蘭妖子/根本豊/サルバドール・タリ●公開:1983/11●配給:東映●最初に観た場所:新宿東映ホール (83-11-12)(評価:★★★☆)●併映:「迷宮譚」(寺山修司)/「消しゴム」(寺山修司)/「質問 (寺山修司へのインタビュー記録映画)」(田中未知) 新宿東映ホール (1972年、新宿東映の2階席を分割して「新宿日活」開館、1978年〜「新宿東映ホール」→「新宿東映パラス2」2004年1月9日閉館

kan.gif 寺山修司の自叙伝的作品の虚構性については既に多く論じられているところで、映画「田園に死す」については、寺山修司自身がはっきり、「これは一人の青年の自叙伝の形式を借りた虚構である」(演出ノート)と述べていますが、同じことが文章において端的に表れているのが、この「誰か故郷を想はざる」ではないでしょうか。

 私生児の母、自殺した級友のエピソード(これ、かなり強烈)など、すべてが虚構というわけではないでしょうが、成人した彼が、映画を作るようにして、或いは自らの神話を編むようにして、自分史を脚色しているという感じがします。

カルメン・マキ(当時18歳)「時には母のない子のように」
('69年第20回NHK紅白歌合戦(紅組司会:伊東ゆかり)
カルメン・マキ 時には母のない子のように.jpg 47年間の生涯に様々なことを成し遂げ寺山修司.jpgたものだなあと改めて思います。「天井桟敷」に新人女優として入団したカルメン・マキのデビュー曲「時には母のない子のように」('69年)の作詞者でもあり、詩や演劇、実験的な映画ばかりでなく、一般向けに公開された映画「初恋・地獄篇」('68年/ATG)や「サード」('78年/ATG)の脚本なども手掛けています。今も各芸術分野に多くの影響を残している寺山修司『初恋・地獄篇』(羽仁進監督)1.bmpサード 79.jpgですが(かつて、自分の少し上の世代に、"テラヤマ"と亡くなった友人の名前を呼ぶような感じで呼ぶ人がいた)、虚構を通して構築しようとした彼のアイデンティティとはどのようなものだったのでしょうか。ちょっとだけ、三島由紀夫のことを思い出しました。

羽仁 進監督「初恋・地獄篇」('68年/ATG)/東 陽一監督「サード」('78年/ATG)
 
 【1968年単行本[芳賀書店(『自叙伝らしくなく―誰か故郷を想はざる』])/1973年文庫化・2005年改版[角川文庫]】

「●ち 陳 舜臣」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●つ つげ 義春」【695】 つげ 義春 『リアリズムの宿

権謀術数を尽くす壮絶な人間ドラマの連続。神の不在と"過去の歴史への執着。

小説十八史略 1.jpg 小説十八史略 2.jpg 小説十八史略 3.jpg 小説十八史略 4.jpg 小説十八史略 5.jpg 小説十八史略 6.jpg 講談社文庫 (全6巻) 『中国五千年(上・下)』 
中国五千年 上.jpg中国五千年 下.jpg 再読しましたが、やはり読み出したら止まらないぐらい面白い!
 神話伝説の時代から元王朝まで網羅していて、単行本は全6巻2段組で1,500ページ以上とボリュームはありますが、同じ作者の『中国五千年(上・下)』('83年/平凡社)などと比べて小説仕立てなので読みやすく、テンポよく各年代を駆け抜けていく感じがあります。

十八史略.jpg 取り上げている故事の数も多いけれど、それらに連続感、"たたみかけ感"があり、飽きさせることがありません。 
 元本(十八史略)が紀伝体であるため皇帝など人物中心で書かれていて、「管鮑の仲」「宋襄の仁」「臥薪嘗胆」といった馴染みの故事成語を生んだ出来事なども最初から次々と出てくるので、親しみやすいかと思います。
 ただし、「管鮑の仲」のような"心温まる"話はむしろ珍しい方で、権力の座を巡って武将や宦官、親兄弟、外戚らが権謀術数の限りを尽くす、壮絶な人間ドラマの連続です。

 本来「王」とは天道を現世で執行する「天子」であったはずです。しかし、周王朝から春秋戦国時代の間のあまりに人間臭い権力抗争の中で、乱立する「王」の威光は無くなったのでしょう。〈人格神〉というものが根づかなかった中国の思想風土も、この時点で決定的づけられたという気がします。
毎日新聞社版 (全6巻)

 そこで秦の高祖(始皇帝)が新たに「王」の上にある絶対権力として「皇帝」を名乗ったわけですが、その「皇帝」さえも、これじゃあ結局おんなじと言う感じです。

 始皇帝も、漢の武帝も、あの唐の玄宗皇帝も、治世末期にはそれぞれ、不老長寿の薬を探させたり、迷信深くなって讒言の酷吏を重用したり、楊貴妃に溺れたりして悪政傾国を招き、晩節を汚しているし、宦官や外戚に操られる"バカ殿"皇帝も多く、奥さんに布団蒸しにされて殺されてしまった皇帝もいるから驚き呆れます。

小説十八史略 上.jpg小説十八史略下.jpg その治世を通しての名君は、唐の太祖・李世民ぐらいでしょうか。彼にしても兄弟を殺し、父を幽閉しているわけですが、生き延びるにはそれしかやりようがない状況だったわけで...。

 中国には王朝が「前王朝」の歴史を作成する歴史が清代まで2千年間あり、こうした過去の歴史に対する継続的な執着、重視は西洋や日本には無いものです。
「歴史を忘れない中国人」というものを感じさせる物語でもあります。
毎日新聞社 愛蔵版 (上・下)

 【1977年-83年単行本[毎日新聞社(全6巻)]/1987年ノベルズ版[毎日新聞社(全12巻)]/1992年文庫化[講談社文庫(全6巻)]/1996年単行本再刊(愛蔵版)[毎日新聞社(上・下)]/2000年単行本再刊[集英社(上・中・下)]】

《読書MEMO》
 「この作品のタイトルに、わざわざ『小説』の二文字を加えたのは、実は架空の人物を投入して、おもしろくしようと考えたからである。だが、『サンデー毎日』に連載をはじめて、私はすぐにその構想を放棄した。中国の歴史にはあらゆる意味でチャーミングな人物が犇めき合っており、架空の人物のはいるスキマがないからである。構想は放棄したけれども、「小説」の二字はあえて除かなかった。 小説を書く姿勢で、自由に筆をはこびたいとおもったからで、読者にもやはり小説のつもりで読んでいただきたい。ある人が私のこの種の作品を「史談」と呼んだ。うまいネーミングである。歴史を素材にして、史実や人物の解釈をするのは、こよなく楽しい作業であり、それでおおぜいの読者を得たことは作者冥利に尽きる。なぜ南宋の滅亡で筆をおいたのかとよく訊かれるが、答は簡単である。私がそのネームバリューを拝借した曹先之の『十八史略』が、南宋滅亡で終わっているからなのだ。」(講談社文庫版あとがきより)

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戦国時代の「他人のために自分の身をかえりみない者」列伝(ヤクザの話ではない)。

中国任侠伝1.jpg 続・中国任侠伝.jpg  中国任侠伝 〔正〕.jpg  中国任侠伝.jpg
 『中国任侠伝 (1973年)』/『中国任侠伝〈続〉 (1973年)』/『中国任侠伝〔正〕』 ['75年文春文庫] /2005年 徳間文庫版

陳舜臣『中国任侠伝』.jpg 「任侠」とはヤクザのことではなく「他人のために自分の身をかえりみない者」のことで、著者は中国における"ますらおぶり"を描きたかったとのこと。「荊軻、一片の心」「孟嘗君の客」「虎符を盗んで」「首がとぶ」「季布の一諾」「おれは幸運児」「いざ男の時代」「似てくる男」の8篇を収めています。

 「荊軻(けいか)、一片の心」は、秦王(始皇帝)暗殺を試みた〈荊軻〉の話ですが、中国で「刺客」と言えば彼・荊軻のことを言うぐらいで、その結末がわかっているだけに切ないこの故事です。荊軻の話は、陳凱歌 (チェン・カイコー)監督の映画「始皇帝暗殺」('98年/中国・日・仏・米)の題材にもなっていますが、史実を始皇帝暗殺.jpg英雄〈HERO〉.jpg一応は追っているものの、ストーリーはややメロドラマ調。更には、始皇帝の刺客に材を得たという点では、張藝謀(チャン・イーモウ)監督のHERO('02年/香港・中国)もそうですが、こちらは完全に架空のストーリーから成る娯楽映画です(何れにせよ、中国映画の2大巨匠と言われる両監督が共に「秦王暗殺」をテーマに作品を撮っているのは興味深い)。

●陳凱歌 (チェン・カイコー)監督('98年)「始皇帝暗殺 [DVD]」出演:鞏俐(コン・リー)/張豊毅(チャン・フォンイー)/李雪健(リー・シュエチエン)/孫周(スン・チョウ)
●張藝謀(チャン・イーモウ)監督('02年)「英雄 ~HERO~ [DVD]」出演:李連杰(ジェット・リー)/梁朝偉(トニー・レオン)/張曼玉(マギー・チャン)/章子怡(チャン・ツィイー)

 「孟嘗君の客」は、食客三千と言われた斉の〈孟嘗君〉もさることながら、侠の心はむしろ質の高い個々の食客にあったのだなあと。

 「虎符を盗んで」は、魏の〈信陵君〉にまつわる話ですが、任侠が男性の専売特許ではないことを教えてくれ、門前で碁を打っていた候じいさん(候生)もいい。

 「首がとぶ」「季布の一諾」は小説として読んでも面白い話で、後者では「季布の一諾」の評判を広めた〈曹丘〉も、命こそかけてはいないが侠の人に当るかも。

 「おれは幸運児」の〈郭解〉が自らの思い違いによる自信で大侠になったとすれば、同じく「史記・遊侠列伝」の有名人〈田仲〉は、任侠の大人物・朱家(季布を救ったのも彼だった)のもとで学んだ信念の人ですが、その話「似てくる男」は、後半のオチにしみじみとした味がありました。

 戦国末期から漢代にかけての話で、「戦国時代」というのは中国も日本も面白いのですが、本書にあるように、中国の「戦国時代」と日本の「戦国時代」とでは、同じ「戦国時代」でも1,870年もの間隔があるわけで(キリスト生誕から明治維新までの長さに相当)、そう考えるとやはり中国の歴史というのはスゴイなあと。
 
 【1975年文庫化・1987年改版版[文春文庫]/2005年再文庫化[徳間文庫]】

「●多田 富雄」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1040】 多田 富雄 『寡黙なる巨人

免疫の概念に、学際的視点から触れられていて面白い。様々な思いが込められたタイトル。

懐かしい日々の対話.jpg 『懐かしい日々の対話』 (2006/10 大和書房)

 免疫学者・多田富雄氏と識者10人との対談集で、前半部分は、冒頭の河合隼雄(臨床心理学)をはじめ、養老孟司(解剖学)、溝口文雄(計算機科学)、村上和雄(遺伝子工学)、石坂公成(免疫学)との対話を通して、免疫学や多田氏の提唱するスーパーシステムの概念に、様々な学際的視点から触れられていて面白かったです。

 河合氏との対談で、多田氏は、「生物学では中心のない原理で成立している仕組みが見つかっている」ことを指摘していますが、免疫システムなどはまさにその代表例で、脳も同じかもしれず、『「私」は脳のどこにいるのか』という本がありましたが、こうした問い方自体が、従前の工学システムの考え方に捉われ過ぎているのかも。
 多田氏の場合、こうした生命システムのネットワーク的構造や自己目的的な複雑化が、都市や社会の諸システムの読み解きに敷衍されているのがわかります。

 多田氏の先生にあたる石坂公成氏との話では、免疫学が現在直面している壁の話から科学(的)と言われるものの限界に話が及んでいますが、"どうやって"生命が誕生したかは解き明かせても、"なぜ" 生命が誕生したかは永遠にわからないのかも...という思いになりました(別に、地球も含め宇宙に生命が皆無であっても、地球や宇宙は困らないわけだし...)。

 後半部分には〈能〉をテーマにした対談が2本あり、専門的でやや敷居が高かった部分もありましたが、〈能〉の奥義も「自己」と「非自己」の関係性に触れて免疫システムのアナロジーにしてしまうところが、いかにも多田氏らしいなあと。

 最後のイランの映画監督キアロスタミ氏との対談では、両者の〈自分の死〉に対する考え方の違いが明瞭になったにも関わらず、死をテーマにした監督の作品に多田氏が〈能〉的なものを見出して惹かれているという構図が興味深かったです。

 多田氏は'01年に脳梗塞で倒れて発声機能を失い、もうこうした対談は出来ない、また、対談相手の中には米原万里氏のように亡くなった人もいる、そうした様々な思いが込められたのが、本書のタイトルです。

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「●「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作」の インデックッスへ

芳醇な味わいのエッセイ。人類進化の加速化の指摘、白洲正子氏の最期などが興味深かった。

独酌余滴.jpg独酌余滴』 朝日文庫 〔'06年〕 ビルマの鳥の木.jpg 『ビルマの鳥の木』('95年/日本経済新聞社)

 世界的な免疫学者で、〈能〉の脚本なども手掛けている多田富雄氏のエッセイ集で、2000年日本エッセイストクラブ賞受賞。

 前半部分は、学会等で世界各都市を飛び回った際に触れたこと、感じたことが主に書かれており、後半部分は、世情から日常生活の話題、免疫学・生命論から能をはじめとする舞台芸術の話など、話題は広く、それでいて、それぞれに芳醇な味わいがあります。

 前著『ビルマの鳥の木』('95年/日本経済新聞社)で、海外に行くと、ホテルを飛び出して土地の人や歴史や自然に接し、特に必ずその都市のダウンタウンに行って、市井の人々の息吹を肌で感じるようにしていると書いていましたが、まさにその通り実践しており、グローバル化の中で取り残され、世界の片隅で生きる人々に対する、著者自身の眼で見た想いと憂いが伝わってきました。

 科学者としての考察も随所にあり、人類進化の大きな段階が、2500万年前(類人猿の誕生)、150万年前(直立二足歩行の原人類ホモ・エレクトズの誕生)、20万年前(ネアンデルタール旧人類の誕生)、4万年前(言語の使用)、5千年前(文字の発明)というように一桁ごとに短くなる非連続で起きていて、類人猿→原人類間が2000万年以上もかかったのに、原人類→旧人類間が200万年程度、旧人類→新人類間が15万年、そして新人類→現代間が5万年に過ぎないことを考えると、そろそろ新・新人類が出てくるかも、という発想は、最後は"パソコン人間"の現代の若者に絡めてエッセイ風にまとめていますが、科学的に見ても、この進化の加速化の先は、一体どうなるのだろうかという不思議な思いになりました。

 そのほか後半部分では、白洲正子氏('98年没)を偲んで、彼女が亡くなるときの様子について触れられており、彼女は自分で病院に電話して救急車が来るまでに好きな物を食べて待ち、入院後ほどなく昏睡状態になって10日後に亡くなったとあり、改めて、何だかすごいなあ、この白洲正子って人は、という感じに。
 著者は、彼女のものの見方や考え方、美意識や行動に「男性」的なもの、彼女の著作テーマにもある「両性具有」的なものを見出しているようですが、これも興味深い考察でした。 

 【2006年文庫化[朝日文庫]】

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人や生き物、自然に対する感性が、少女のように無垢でみずみずしい。

富士日記 上巻.jpg 富士日記 中巻.jpg 富士日記下巻.jpg カバー:武田泰淳氏画帖より   武田百合子.jpg
富士日記〈上〉 (中公文庫)』『富士日記〈中〉 (中公文庫)』『富士日記〈下〉 (中公文庫)』『KAWADE夢ムック 文藝別冊 武田百合子 (KAWADE夢ムック)』 ['04年]

富士日記 武田百合子.jpg 1977(昭和52)年・第17回「田村俊子賞」受賞作。

 作家・武田泰淳夫人であった著者が、富士山麓の山荘で夫と過ごした13年間(昭和39年から昭和51年、泰淳の亡くなる少し前まで)の日々を綴った日記ですが、著者は大正14年生まれなので、昭和年数と年齢がほぼ重なり、40歳代を通して書かれたものであることがわかり、それにしては、人や生き物、自然に対する感性が、まるで少女のように無垢でみずみずしい!

 ものを書くのは好きでなかったとのことですが、夫に「その日に買ったものと値段と天気だけでもいいから日記を書け」と言われて書き始めたそうで、実際に、買ったものとその値段(車のガソリン代まで書いてある)や朝・昼・晩何を食べたかなどが細かく書かれていて、それが山荘生活の雑事(この日記は便所の修理工事の話から始まる)の淡々たる記述と相俟って、〈人間が生活している〉ということの実感がよく伝わってきます。

 夏場はよく河口湖や西湖で泳いでいて、そんな湖が近くにある山荘生活も羨ましいけれど、1つの日記帳に夫も娘も書き込んでいて、むしろ、そうした家族関係そのものに憧れを持つ読者の方が多いのではないでしょうか(泰淳の記述が随筆調なのに対し、百合子の記述はまさに"日記"であるのが面白い)。

 大岡昇平などの盟友や村松友視などの編集者がしばしば山荘を訪ねて来るのですが、そうした人たちを見る目も、石工や職人など市井の人を見る目も、この人は分け隔てなく、また文章自体にもまったく衒いがありません。

 泰淳亡き後たまたま世に出たこの文章を、埴谷雄高、水上勤など多くの作家が絶賛しましたが、まず常に読者を意識している作家には書けない文章であるのと、夫・泰淳に対する温かい眼差しもさることながら、作家の夫人であるということを超えて、彼女個人としての可愛らしくて率直な人間性に対する思い入れもあったのかも知れません。

 その後文筆活動に入ってからは、エッセイでむしろ女性ファンを多く獲得し、'93年の没後も、'04年には雑誌「文藝」の別冊ムックで特集が組まれ、そこにも多くの有名作家が寄稿するなど、ほとんど伝説的存在となっています。
 
 【1977年単行本〔中央公論社(『富士日記-不二小大居百花庵日記(上・下)』)〕/1981年文庫化・1997年改版版[中公文庫(上・中・下)]】

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導入部分にはリアリティあり。だんだん技巧がアザトサにみえてくる。

田口 ランディ 『コンセント』.jpg コンセント.jpg  『コンセント』 (2000/05 幻冬舎)

 ある日、アパートの一室で腐乱死体となって発見された兄。兄はなぜ引きこもり、生きることをやめたのか。
 兄の死臭を嗅いで依頼、自分の不思議な能力を自覚することになる主人公の朝倉ユキは、かつての指導教授であるカウンセラーのもとを訪ねる―。

 著者の兄は実際に自殺したということで、導入部分での「現場」の描写や主人公の心理描写にはすごくリアリティを感じたし、葬儀社の人や清掃会社の人のなんだか割り切っているような話にも、「ああ、現実こうなんだろうな」と思わせるものがありました。

 中盤のカウンセリングの話も、それなりの知識と現実をベースに書かれているようで、かつての指導教授として登場する男についても、こんないい加減なカウンセラーが実際にいるのかどうかは知りませんが、物語としては許せる範囲内であり、個人的にはそこそこ面白かったのです。
 
 しかし、話が次第にシャーマニズムやチャネリング的なものに向かうにつれて、タイトルの「コンセント」の意味が明らかになる一方、それまでのリアリティは急速に色褪せ、個人的な関心はどんどん薄れていったというのが正直なところです。

 受ける人には受けるだろうけれど、キワモノ感は拭えず、読者受けを狙って施されたような技巧が、アザトサに見えてしまう部分がかなりあったように思いました。
 
 【2001年文庫化[幻冬舎文庫]】

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「実験」が主なのか、エンタテインメントが主なのか、どっちでもいいのかも知れないが...。

君が代は千代に八千代に.jpg君が代は千代に八千代に君が代は千代に八千代に2.jpg 文春文庫 一億三千万人のための小説教室.jpg『一億三千万人のための小説教室』 岩波新書

 エロ・グロ・ナンセンス満載の13篇で、特に冒頭の「Mama told me」などは、初めての人には抵抗があるかも知れませんが、ある程度"高橋ワールド"に馴染んでいる読者には、「やり過ぎかな」という感じもややあるものの、ほぼ予定調和の範囲内ではないでしょうか。

 気になったのは、同時期に『一億三千万人のための小説教室』('02年/岩波新書)を上梓しており、その中で「波乱万丈のストーリー」小説というものに否定的な立場であったように思うのですが、「実験小説」群とも思えるこれらの(何れも文芸誌「文學界」にて発表された)作品の中に、結構ストーリー的に面白いものがあり、「チェンジ」などは自分でもいけると思ったのか連作になっていたりすることで、「実験」が主なのか、エンタテインメントが主なのか、よくわからない。

 『博士の愛した数式』('03年/新潮社)に先駆けて「素数」や「オイラーの公式」を取り上げていたり、『蛇にピアス』('04年/新潮社)に先駆けてスプリット・タンをモチーフにするなど才気煥発、「Mama told me」のファンキーなリズムは詩人・谷川俊太郎が褒めているし、その他にも会話文を多くして難読漢字を使用しないなど、全作を通じての周到な計算も窺えます。

 「実験」が主なのか、エンタテインメントが主なのか、はたまた"別の意図"があるのか、あまりこだわらなくてもいいのかも知れないけれど(筒井康隆の初期作品にも、これらが混在していたわけだし)、この人、サービス精神が旺盛すぎるのかも。
 "別の意図"があるとすれば、「この日本という国に生きねばならぬ人たちについて書く」(文庫版自著解説)ということでしょうが、本書に関して言えば、その意気込みはやや空転している印象を受けました。
 
 他の作家もそうですが、初期のいい作品がどんどん絶版になっている(または書店で入手しにくくなっている)のが可哀想...。
 
 【2005年文庫化[文春文庫]】

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『邪宗門』に繋がるテーマ。小説としてはさほど面白くなく、『邪宗門』のエンタテインメント性を再認識。

堕落1.jpg     堕落 高橋和巳.jpg   堕落.jpg 
堕落 (1969年)』/『堕落 (新潮文庫)』〔'82年〕/『堕落 (講談社文芸文庫)』〔'95年〕

 主人公の青木隆造は、かつて〈満州〉国建設に青春を賭けた男で、戦後は福祉事業団「兼愛園」の園長となり混血児の世話をしているが、「兼愛園」での業績が表象されたとき、彼の中で何かが"崩壊"し、施設の女性職員に次々と手をつけるなどして"堕落"の道を歩むこととなる―。

 なぜ彼が表彰されたことを契機に自己崩壊したのかは説明されておらず、一方で、満州国において国家建設の幻想に破れ、妻や子を犠牲にしたことで、嚝野のようなイメージが彼の心を支配し、彼にとって偽善である奉仕活動の最中にも、その失った時間の痛みが彼の心を侵食していたという推測は成り立つのかも知れません。

 共同体もしくは国家幻想に破れるというモチーフは、『邪宗門』('66年)に繋がるもので(本書単行本の刊行は『邪宗門』より後だが、発表は『邪宗門』執筆中の'65年)、国家が国家を裁き得るかという問題を提起しているように思えますが、夢破れた後も生き続けなければならなかった人間の内面に重きを置いている感じがします。

 彼はその後、「兼愛園」を見捨て、さらには愛人までも裏切る―、こうした主人公の"堕落"の描き方には、硬質な筆致の中にもセンチメンタルなものが感じられ、"破滅の美学"という点でも『邪宗門』に繋がるものがあるように思えますが、彼を取り巻く女性ともども(もともと彼女たちは、意図して俗なる存在として描かれているようだが)、あまり好きになれない人物像でした。

 今回が初読でしたが、"インテリゲンチャの苦悩"というやつなのか? 小説としてはそれほど面白いとは言えず(自分自身が"インテリゲンチャ"から程遠いためか?)、こうして見ると『邪宗門』という一見重厚な作品が、エンタテインメント的要素をふんだんに含んだものであったことが却って浮き彫りになったような気がしました。
 
 【1982年文庫化[新潮文庫]/1995年再文庫化[講談社文芸文庫]】

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ナショナリズムと宗教の類似と相克。生きるとは何かということ充分に考えさせる作品。

邪宗門 上下.jpg 邪宗門 上.gif 邪宗門下.gif 高橋和巳.jpg  高橋和巳 (1931-1971/享年39)
邪宗門〈上〉 (1966年)』『邪宗門〈下〉 (1966年)』 新潮文庫 /『邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)』『邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)

 昭和初期、千葉潔という孤児少年が、京都の山間のとある駅に降り立ったところから物語は始まり、潔は地元宗教団体「ひのもと救霊会」に拾われ、様々な経験を経てやがて「救霊会」の女性教主の後継者になり、教団は現世の世直しを掲げてその規模を拡張するが、戦時下において反天皇制を標榜する教団に、当然のことながら国家が介入し、教団内部の信徒の裏切りなどもあって、教団は壊滅への道を辿る―。

 作者・高橋和巳(1931-1971)は、「天才的な一人の宗教的指導者とその教団の組織過程を通じて、現代が持つもろもろの矛盾と、宗教というものが人間存在に対してもつ意味とを追求」(『邪宗門』作者の言葉)したとのことで、大本教をモデルにしたと一般には言われていますが、ある種の実験的なユートピア共同体のイメージに小説としての血肉を与えるために、大本教や天理教の歴史を参照したというのが正解でしょう。

 作中の"もともとは一庶民"だった女性教主というのは、大本教、天理教と重なり、戦前・戦中・戦後の弾圧の歴史も大本教のそれと符号しますが、「救霊会」の教義は、作者が執筆当時傾倒していたインド仏教の一派に近いと見られていて、宗教を通じて国家とは何か、そこにおける個人とは何かということを問うているこの作品は、だからと言って宗教を単なる道具立てとして用いているのではないことは確かです。

 しかし、国家体制からの"与えられた民主主義"というものを否定したかにも思えるこの作品は、宗教という枠を超えて、昭和40年代に全共闘世代の圧倒的支持を得ました。
 今はそうした自らの思想に直結させて本作を読み解く読者は少ないと思われるものの、ナショナリズムと宗教の類似と相克(ゆえに教団が擬似国家化すると、弾圧が強まる)といった普遍的なテーマをも孕んでいるように思えます。

 その他にも―、
 正義とは何か―(この作品から導き出される答えは無いが、少なくともそれは絶対的なものでなく相対的なものであり、それを絶対化したところから共同体の崩壊が始まる)、
 思想とは何か―(潔自身は宗教人になりきれないながらも教団の思想に殉ずるかたちとなる)、
 恋愛とは何か―(この作品には多くの献身的な宗教人たる女性が登場し、潔と行動を共にすることでそれぞれに悲惨な最期を迎えるが、それは信仰よりも恋愛に殉じているように見える)、
 といった様々なテーマを含んだ作品であり、良く言えば"重層構造"ということですが、盛り込みすぎて小説としては破綻しているようにも思えるフシもあります(作者が耽読したドストエフスキーの作品にも同じ傾向があるなあと)。
 それでいて、千葉潔や教団幹部の壮絶な生き様を通して、生きるとは何かということを読者に充分に考えさせる作品だと思います。
 
 【1971年文庫化[講談社文庫(上・下)]/1977年再文庫化[新潮文庫(上・下)]/1993年再文庫化[朝日文芸文庫(上・下)]】

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