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「死」がより明確な時間的期限をもって示されるならば、死刑は殺人よりも残酷であるかも。
『宣告 上巻』『宣告 下巻』 ['79年/新潮社]『宣告 ((上)) (P+D BOOKS)』『宣告 ((中)) (P+D BOOKS)』『宣告 ((下)) (P+D BOOKS)』['19年]
新潮文庫 (全3巻)
1979(昭和54)年・第11回「日本文学大賞」(新潮文芸振興会主催)受賞作。
ドストエフスキーは『白痴』の中で、「死刑は殺人よりも残酷である」と主人公に言わせていますが、それは、死刑囚には予め自分が殺されることが100%わかっているからです。この小説は、独房の中での何時訪れるかわからない"その時"を待つ主人公を中心に描かれているため、感情移入せざるを得ず、読み進むにつれて読むのが辛くなりました。ラストがどうなるかは、主人公も読者もわかっているからです。
著者による『死刑囚の記録』('80年/中公新書)を読むと、主人公のモデルとなった人をはじめ、宗教者の境地に達した死刑囚もいたようですが、被害妄想、ノイローゼ、ヒステリーといった病的症状や、「早く殺してくれ」といった刹那主義に陥るなどのケースの方が多く、それらの例もこの小説に多々反映されているように思いました。自分はまず主人公のようにはなれないと思いますし、そうすると、動物のように自分を後退させ、何らかの病理状態に"逃避"するということになるのだろうか...。
『死刑囚の記録 (中公新書 (565))』 ['80年]
ある意味「死刑は殺人よりも残酷である」という思いに、読めば(かなり高い確率で)駆られることになるヘビーな小説ですが、死刑と無期刑の差が受刑者にとっていかに大きかということも、当たり前のことですが改めて感じました。さらに、執行のその時には、世間に公表されることなく国家によって殺されていくことを思うと、死刑執行の"密室性"の問題などについても考えさせられます。
現状日本には、無期刑というものはあるものの"終身刑"というものは無く、無期の場合、一定期間が経過すれば仮出獄となるようです(ただし"出所"ではなく"仮出獄"であり、死ぬまで保護観察下にある)。一方、死刑囚は100人以上いて、その多くが小菅の東京拘置所にいるのですが、死刑が確定してから長期の年月が経過している死刑囚も多いようです。
だからと言って、"死刑"が部分的に"終身刑"の役割も負っていると考えるのは、安易なのかもしれません。誰にどのような基準で実際に死刑が執行されるのか、共犯者の刑が確定しないと刑の執行はされないなどの基準はあるようですが、細かいことはよくわからないし、死刑囚ら自身にもわからないのではないか、それでは、そのことを明確するのがいいのかどうか、"100%"死ぬ(国家によって"殺される")ことがより明確な時間的期限をもって示されるのであれば、そのとき「死刑は殺人よりも残酷である」ということになるのかも知れません。
【1982年文庫化・2003年改訂[新潮文庫(上・中・下)]/2019年[小学館・P+D BOOKS(上・中・下)]】
加賀 乙彦(かが・おとひこ)2023年1月12日死去。93歳没。小説家、医学者(犯罪心理学)、精神科医。『宣告』