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医師という立場から人間の生と死を見つめた珠玉の名篇集。芥川賞候補作と直木賞候補作を収める。
『死化粧』角川文庫['71年]『死化粧 光と影』渡辺淳一全集 第1巻(角川書店)
渡辺淳一の初期短編4篇を収めたもので、いずれも主人公は医師ですが、今でこそ"不倫小説の大御所"のように見られているこの作家が、医師という立場から人間の肉体や死を冷静に見ながらも、それだけでは割り切れない精神の問題を真摯に描くところからスタートした作家であることがわかります。
『死化粧 (文春文庫)』['86年]/『死化粧 (角川文庫)』['18年]
「死化粧」は、医師の母親の病気と死、それを巡る親戚たちなどを描いた作品で、「新潮新人賞」の前身である「同人雑誌賞」(1966年・第12回)を受賞しています(選考委員は伊藤整、井伏鱒二、大岡昇平、尾崎一雄、永井龍男、中山義秀、三島由紀夫、安岡章太郎)。主人公の医師が、絶望的な病状を呈す母親の、すでに除去不能となった脳腫瘍に思わずメスを入れようとする場面が印象的で、フォルマリン漬けの母親の脳を見ながら母を想う場面もこの作家ならではのものでした(芥川賞選考委員だった川端康成は、「刺戟の強い作品であった」「脳の手術など詳細に書き過ぎ」と評している)。
「訪れ」では、末期ガンの小学校長が主人公に告知を迫る場面や、自らの死を悟った後の絶望がリアルに描かれていました。「死化粧」に比べると読者寄りで書いている感じもしますが、直木賞の選考で、源氏鶏太、海音寺潮五郎、水上勉といった選考委員らが、「直木賞より芥川賞向きではないか」と評しています。
「ダブル・ハート」は、作者が作家を志す転機になったと言われる札幌医科大で行われた日本初の心臓移植手術に材を得たものですが、ドナーの配偶者の屈折した心理に焦点を当てている点では"小説的"ながらも、一方で医局の体質的問題などを浮き彫りにしていて、氏が自分の勤務している大学病院で行われた心臓移植手術に、当初から懐疑的であったことを窺わせます。
「霙」は重症身障児病院に勤務する医師と看護婦や障害児の親を巡る話ですが、親にとって、また社会にとって重症身障児とはどういう存在なのかを、小説という手法で鋭く問題提起しているように思えました。
「死化粧」が芥川賞候補作、「霙」「訪れ」が直木賞候補作と何れも珠玉の名篇ですが、個人的にはやはり、この頃の渡辺作品は芥川賞っぽい感じがします。結局、作者は、後に発表した「光と影」で直木賞を受賞し、芥川賞ではなく直木賞作家となり、更に直木賞選考委員となります(第91回(昭和59年/1984年上半期)から選考委員に。最終的には、第149回(平成25年/2013年上半期)まで通算30年・60回にわたり委員を務めた)。
【1971年文庫化[角川文庫]/1986年再文庫化[文春文庫]/1996年単行本改編〔角川書店(『死化粧・光と影』)〕/2018年再文庫化[角川文庫]】
渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年(昭和8年)10月24日 - 2014年(平成26年)4月30日
2014年4月30日、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去。80歳。