【532】 △ 養老 孟司 『バカの壁 (2003/04 新潮新書) ★★☆ (? 養老 孟司 『唯脳論 (1989/10 青土社) ★★★?)

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わかったような、わからないようなという印象。だから、次々と"続編"に手をだしてしまうのか?

バカの壁1.jpg バカの壁2.jpgバカの壁 (新潮新書)』〔'03年〕唯脳論 (ちくま学芸文庫).jpg唯脳論 (ちくま学芸文庫)』〔'98年〕

 2003(平成15)年・第57回「毎日出版文化賞」(特別賞)受賞作。

 まえがきで数学という学問を引き合いに、誰もが最後にはこれ以上はわからないという壁にぶつかり、それが言わば「自分の脳」であると。つまり「バカの壁」は万人の頭の中にあるということを述べています(フムフム)。一方、本文は、これに呼応するように、「話せばわかる」というのは大嘘であるという話で始まりますが(もう諦めろ、放っておけ、ってことか?)、こうした切り口の鮮やかさが、上司など自分の身近にいる人とのコミュニケーションの齟齬にイライラしている人に受けたのかも知れません。でも、このまえがきと本文の繋げ方は、所謂 over-generalization(過度の一般化)気味のような気がし、この本は、こうした切り口の鮮やかさで論理を韜晦させているのではないかと思われる部分も、結構あるように思いました。
 
 話題は認知心理学や脳科学、教育論や日本人論と駆け巡り、個々の論点はまあまあ面白かったのですが、著者の他のエッセイなどで既に述べられていることも多いです。最後は再び、「話せばわかる」といった姿勢は一元論にはまり、強固な壁の中に住むことになるという警句で終っています。

 認知心理学的な話から「唯識論」的な話へいくのかと思いきや、途中から、一種の「教養論」を展開しているようにも思え、論旨が掴みにくいのですが、簡単に言ってしまえば、この「バカの壁」を意識するということは、ソクラテスの「無知の知」とほぼ同じではないかという気もしました。そう考えると、特に目新しい『唯脳論』.JPGことを言ってるわけではないと..。特に、以前に著者の『唯脳論』を読んだ経験からすると(硬軟の差はあるが、話の展開自体はやや似ている)。本書の結語的に著者が批判している一元論や原理主義というのは、「無知の知」の「知」が欠落し、要するに「無知」の状態にあるということ。ただし自分たちはそのことに気付かないということなのでしょう。

 著者の『唯脳論』では、この世界を理解しようとする際には、必ず"自分の脳"というものが介在するのであって、相対性理論のような科学的理論でさえも脳が作ったものであり、「脳はそれを世界に押しつけようと試みる。脳はその法則を自然から引き出すのではなく、その脳の法則を自然に押しつけるのである」といったことが説かれていて、なるほどなあと思わされました。つまり、真理は外部にあるのではなく、脳の中にあるということであって、「われわれの外部にはある規則性がある。その規則性をわれわれに理解できる言葉、すなわち脳の規則性に合致した表現で表したものを真理と呼ぶ」と。

 心は脳の構造作用であり機能なのであるが、人間が「構造」と「機能」を分けて考えること自体が、我々の脳がそのような見方をとるように構築されているからである、という見方はなかなか面白かったですが、なぜ脳という"構造"から"意識"という機能が生まれるのか、ということよりも、脳が脳について考えるということはどういうことなのか、を考察した本と言えたかも。但し、個人的には、そのあたりが若干もやっとしたまま、後半の文明について触れている箇所に読み進むことになってしまいました。そして最後は、文明とは脳化であり、脳化した社会は身体を禁忌とするが、脳も身体の一部であるのに、脳から身体性を排除するという極端なことが現在の日本では起きているという結語に至って、やや社会批評風の結末だったかなあと。

 本書については、「語り下ろし」であるということでの、そのあたりのもやもや感をある程度スッキリさせてくれるかと期待しましたが、読みやすさほどには、内容そのものはわかりやすくはないという感じがしました。個人的には『唯脳論』の前半から中盤にかけてのテーマを掘り下げないうちに、社会批評に行ってしまっている感じがするとともに、『唯脳論』を読んだ際に感じた論理の飛躍のようなものが、本書では「語り下ろし」というスタイルを取ったがために、より甚だしくなっている印象も。結果的に、正直、本書についても、わかったような、わからなかったような、という部分が多く心に残ったという感じ。だから、次々と出される"続編"に手をだしてしまうのか? 或いは、『唯脳論』が完全に理解できないと、あとは著者のこの手の本を何冊読んでも、完全な理解はできないということなのか(本書自体も『唯脳論』の続編乃至は解説編と言えるかも)。
 
 『唯脳論』...【1998年文庫化[ちくま学芸文庫]】

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