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吉行淳之介作品の"再翻訳"作業に見る「面白うて、やがて哀しき...」。
『やがて哀しき外国語』〔'94年〕 『やがて哀しき外国語(講談社文庫)』〔'97年〕(表紙イラスト:安西水丸)
前作『遠い太鼓』('90年/講談社)が旅行滞在記であったのに対し、このエッセイはニュージャージー州プリンストンに'91年から2年半腰を落ち着け(後半の1年はプリンストン大学で日本文学を教えるのですが)、アメリカの社会と文化の中での生活を描き、それらを通して、日本および日本人、さらには日本文学や日本語について考察したものになっています。と言っても基調にあるのは生活者の視点で、日々の出来事などが独特の文体で軽妙に綴られている部分も多く、楽しく読めます。
プリンストン大学で日本文学を教えるにあたり"第三の新人"を選んだことに興味を持ちました(因みにプリンストン大学は、かつて江藤淳が留学して後に教鞭をを執った大学であり、また、村上春樹の後は大江健三郎も同大学の客員講師として招かれている)。
Princeton University
吉行淳之介の「樹々は緑か」(「砂の上の植物群」の習作)の英訳版を読んで「クラシック音楽の古楽器演奏にも似た」面白みがあるとしています。さらにその英訳版を日本語に、「帰国子女的」に再翻訳して(ここでも面白がっている)、自らの訳文を原文と比較をしていますが、この作業を通して日本語と外国語の埋めようもない溝を浮き彫りにしています(やがて哀しき...か)。
プリンストン滞在中に書かれた小説が『国境の南、太陽の西』('92年/講談社)や『ねじまき鳥クロニクル』('94年/新潮社)などであり、プリンストン大学での講義内容は、『若い読者のための短編小説案内』('97年/文藝春秋)に反映されています。
小説書きながらエッセイもしたため、大学で講義もし、またその内容を本にする...精力的かつ効率的だなあと感心させられます。こうしたペースを維持する場合、日本の大学で教えるよりは海外の大学で教えるのがいいのでしょう。夏目漱石が、早く小説書きに専念したくて、大学に何度も辞職願を出しながら、なかなか辞めさせてもらえなかったという話を思い出しました。春樹氏の方は、'05年から米国のハーバード大学で教えていますが、今度も同様、(講義をしながら執筆活動もする)「ライター・イン・レジデンス」という立場のようです(そう言えば、江藤淳もプリンストン大学で教鞭をとりつつ文筆活動を続けていた)。
【1997年文庫化[講談社文庫]】