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自らのシニシズムをモデルを介することで、より"自由に"書いている。
『青の時代 (1950年)』 『青の時代 (新潮文庫)』新旧カバー
昭和24年11月26日付 朝日新聞記事
東大生起業家・山崎晃嗣による"アプレゲール犯罪"と呼ばれた「光クラブ事件」に材を得て、'51(昭和25)年、三島由紀夫が25歳のときに発表した長編小説で、同じく東大在籍時に起業した堀江貴文氏の「ライブドア事件」の際に、この事件がよく引き合いにされました。
この小説が発表されたのは、『仮面の告白』('49年)、『愛の渇き』('50年)の発表の後、『禁色』('51年)の発表前の時期にあたりますが、その割には三島独特の文学的修辞や哲学的思弁が少なく、読みやすい作品ではあります。
光クラブは金融業でしたが、ライブドアも主に利益を得ていたのはIT事業ではなくファイナンス事業だったこと、光クラブは直接ファンドですがライブドアも株主ファンド的性格であったこと、一方は蛸足配当、もう一方は粉飾決算...と、確かに通じる点は多いかも。
実際に山崎晃嗣がどういう人物だったのか、自著はあるものの、自分の本質を人に見せないようにしていたという面もあってよくわかりませんが、東大法学部でも成績優秀で、徹底した合理主義者でもあったようです。
育った家庭は裕福でしたが、子供の頃いじめられて、軍隊でもいじめられ、人間不信、人間性悪説論者になり、更に、自身が闇金融の詐欺に遭って、但し、その時は、その詐欺の手法に感心したらしく、自ら「闇金」を起こしたら、一時的には大成功を収めました。
何しろ、契約しか信じないという人間だったから、取立ては厳しかったらしく、返せない人が苦しむのを見ても、もともと人間性悪説だから、彼自身はこたえなかったようです(そのように振舞っていただけかも知れないが)。
でも、資金繰りに行き詰って、結局、返済期限の前日に服毒自殺しますが、青酸カリによるこの自殺は、「貸借(カリ)を清算する」というシャレらしいです。
三島にとっては事件そのものよりも、その自死による事件の幕の引き方も含めた「山崎」の人物イメージが、自らのシニシズム、つまり、「それが嘘であることを知っているからこそ、それを信じるふりを止められない」 という機械的な観念を投射するのにお誂え向きだったではないでしょうか。
前半分の山崎の子供時代から大学入学の頃までを描いた部分は、まさにそのシニシズムの形成過程が「仮面の告白」的に描かれていて、主人公にとって友情も恋愛も演技であり、友の前で見せる演技は太宰治の「人間失格」を髣髴させるものであり、それが恋愛においては「女が自分を愛したときに女を捨てる」ことに喜びを見出すという屈折した感情になり、社会に対しては「目的のない金儲け」へ向かわせる―。
子供時代の父親への反発なども含め、"フィクション"という枠の中で「仮面の告白」よりも"自由に"書いているのが興味深いです。
その分、三島自身が「尻すぼまりの失敗作」であると言うように、金融業者としての主人公を描いた後半部分は、金融業者や闇金のシステムに関する取材は一応はされているものの、三島らしい文学性があまり発揮されておらず、物足りない感じがします。
【1950年単行本[新潮社]/1971年文庫化[新潮文庫]】