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モチーフ選択範囲を人体の部位に限定し、これだけのお話を作るのは大したもの。
『人体模型の夜』 (1991/11 集英社)
「邪眼」「セルフィネの血」「はなびえ」「耳飢え」など12篇を収めたアンソロジーで、著者最初の直木賞候補作(その後2度候補になるも受賞に至らず、'04年に転落事故死)。
人体の構成要素がそれぞれの作品のモチーフになっていることがわかりますが、ラストの"戦慄"に至るストーリーテリングの巧みさはさすがです。
「セルフィネの血」は、「楽園」を求め南の島に夫婦で移り住んで間もない男の話で、その島はどういうわけか住民は男性より女性の方が圧倒的に多いのだけど、平和で暮らしやすく、島の人々も親切で何の憂いも無くのんびり生活しているようで、まさにこの島こそ「楽園」に思えると村の長老に話したところ、思わぬ返事が返ってくる―。エキゾチックな状況設定に作風の幅を感じました(この作品で問題になっている〈メクラウナギ〉って実際いるのですね)。
「耳飢え」は盗聴魔の話で、新たな盗聴先を求め転居を繰り返す男がいて、ある日巡りあった盗聴相手の隣り部屋の女性が、毎晩夫婦の会話らしきをことしているが、女性の声しか聞こえず、夫がいるらしき気配は無い―。
作者は、読者が考えそうな結末を先に挙げてしまうので、読者はそれ以外の結末を推察しなければならず、その分ワクワクさせられ、ラストは期待を裏切らない"戦慄"でした。
「邪眼」は、地理的差異を背景に、日常から非日常へ横に広がっていく感じが個人的にはいいと思いました。
それに比べると、連載の最初の方で発表された「膝」「ピラミッドのヘソ」なども悪くないけれど、SF的シュールというか縦に突き抜けた感じで、オチは落語の小話のような感じも。
その辺りの不統一感がやや気になるものの、モチーフの選択範囲を限定したうえで、これだけのお話を作ってみせるのはやはり大したものです。
【1995年文庫化[集英社文庫]】