「●つ 筒井 康隆」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【455】 筒井 康隆 『乱調文学大辞典』
「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(筒井 康隆)
作家のある時期のピークであるとともに分岐点的な作品。
早川書房['71年](装幀/杉村 篤)/『脱走と追跡のサンバ (角川文庫)』['74年](カバー・イラスト/杉村 篤)/『脱走と追跡のサンバ (角川文庫―リバイバルコレクション エンタテインメントベスト20)』['96年]/角川文庫モノクロイラストカバー版(カバーイラスト:山藤 章二)/『新潮現代文学 78 脱走と追跡のサンバ おれに関する噂 他』['79年]
SF作家となった「おれ」がいる「この世界」は、いつか「正子」と一緒にボートに乗ったときに排水口から流れついた異世界で、情報による呪縛、時間による束縛、空間による圧迫に満ちた世界であり、かつて作家になる前にいた「あの世界」とは異なる時間軸にあるらしい。「おれ」は、「あの世界」へ戻るべく「この世界」からの脱出を図るが、「おれ」を脱出させまいとする「尾行者」と演じる果てしないドタバタ追跡劇の末に行き着く世界もまた「あの世界」ではなく、「おれ」は現実と虚構の境界のゆらぎの間をただひたすら疾走することになる―。
'70(昭和45)年10月から'71(昭和46)年9月まで「SFマガジン」に連載され、'71年10月に早川書房より出版スラップスティックと言えばそうかなという感じもしますが、「多元宇宙理論」をモチーフに、ボルヘス的なカオスの世界を描いているともとれます。作者のエッセンスが詰まったような作品で、当時の"ニューウェーブSF"の影響はあるかと思いますが、ギャクとユーモアでそうした枠組み自体も笑い飛ばしている感じ。単行本刊行時は「ナンセンス」「奇想天外」「新感覚」というキャッチだったようですが、形容しがたい独自世界だったということではないでしょうか。『世界のSF文学総解説』(自由国民社、最新改版1991、担当執筆者・平岡正明)では「筒井康隆の最高傑作といわれている」と紹介されています。
今読むと、「パンチ・カード」とか「FORTRAN」などのタームに時代を感じる部分もありますが、女性がデータ化されるところは人々が電脳化された近未来を描いた押井守のアニメ「イノセンス」('04年)さながらであり、主人公が陥っている情報により作られた仮想現実の世界というのは、この小説の中にもある社会事象のワイドショー化や、現在のインターネットの普及などにより、より読者に身近な感覚のものになっているのではないでしょうか、その意味では先駆的だったと思います。
つげ義春の「ねじ式」などを想起させる部分もある全編に漂うシュールな感じをはじめ、『家族八景』('72年/新潮社)、『おれに関する噂』('74年/新潮社)や『虚航船団』('84年/新潮社)など作者の後の作品の萌芽を幾つも見ることもできますが、この作品以降は、〈エンターテインメント〉と〈純文学寄り〉の切り分けがはっきりしていったような印象があり、そうした意味では、作家のある時期のピークであるとともに分岐点的な作品であったのではないかと思います。
【1974年文庫化[角川文庫]/1996年再文庫化[角川文庫―リバイバルコレクション エンタテインメントベスト20]】
《読書MEMO》
・2010年「菊池寛賞」受賞(作家生活五十年、常に実験的精神を持って、純文学、SF、エンターテインメントに独自の世界を開拓してきた功績)