【402】 △ 芥川 龍之介 『侏儒の言葉 (1932/08 岩波文庫) 《(1927/09 文藝春秋社)》 ★★★

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「わたしは良心を持っていない。持っているのは神経ばかりである」と。

侏儒の言葉.gif       侏儒の言葉.jpg          侏儒の言葉・西方の人.jpg
侏儒の言葉 (岩波文庫 緑 70-4)』旧版/『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (岩波文庫)』改定版/新潮文庫

 1923(大正12)年に創刊された「文藝春秋」の創刊号から連載された芥川龍之介(1892-1927)の箴言集で、新潮文庫版では、3年間続いた連載の打ち切り後に死後発表された部分が〈遺稿〉として区切られています。

侏儒の言葉.bmp 「侏儒の言葉」は、以前読んだときには、芥川の思想が凝結されているような気がして、文学というのは贅肉をそぎ落としていくと最後は思想になっちゃうのかなと思ったりしたのですが、後世の文芸評論家のこの作品に対する評価は今ひとつのようで、「西方の人」と併録されている新潮文庫版の解説では、「西方の人」を買っているわりには「侏儒の言葉」に対しては、「断片的に捕らえられた"人生"とか"神"とかは、結局は言葉の問題に過ぎなくなっており、そこに芥川の晩年の問題が露呈されている」としています(岩波文庫の解説の中村真一郎は、そのことを踏まえながらも高い評価をしている)。

『侏儒の言葉』 (1927(昭和2)年/文藝春秋社)

 「『侏儒の言葉』は必ずしもわたしの思想を伝えるものではない。ただわたしの思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬものである」と〈序〉にもあり、今思えば、断想集に近いものと言ってよかったのかも知れません。
                                  
 「道徳は常に古着である」
 「忍従はロマンティックな卑屈である」
 「人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である」
 「我我は一体何の為に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない為である」
侏儒の言葉.jpg 「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである」
 等々、逆説的な社会風刺と遊戯的なレトリックが入り混じった感じですが(有名な「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うには莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である」などもそう)、もっと自分の感性をダイレクトに書いているようなのもあり、
 「モオパスサンは氷に似ている。もっともときには氷砂糖にも似ている」
 なんて言われてもちょっとねえという感じも。

 「わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである」
 彼が最も信じていたのは自分の「神経」であり、最後にはこの言葉に帰結するのかもと思いましたが、普通の人間でも時としてこういう気分になることがあるかも。

侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (岩波文庫)

 【1932年文庫化・1950年改版・1968年改版・2003年改版[岩波文庫(『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な』)]/1968年再文庫化[新潮文庫(『侏儒の言葉・西方の人』)]/1969年再文庫化[角川文庫(『或阿呆の一生・侏儒の言葉』)]/1981年再文庫化[旺文社文庫(『羅生門、鼻、侏儒の言葉 他』)]】

《読書MEMO》
●「侏儒の言葉」...1923(大正12)年〜1927(昭和2)年発表

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This page contains a single entry by wada published on 2006年9月 3日 00:05.

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