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新しい型の「やさしさ」を通して現代人の価値意識の変化を探る。
『やさしさの精神病理 (岩波新書)』 〔95年〕 大平 健 氏 (精神科医/略歴下記)
精神科医である著者の面接室を訪れた患者の症例を通して、彼らがしばしばこだわる "やさしい関係"とは何かを考察しています。
彼らが言う"やさしさ"とは、例えば、席を譲らない"やさしさ"であったり、親から小遣いをもらってあげる"やさしさ"であったり、好きでなくても結婚してあげる"やさしさ"であったり、ポケベルを持ち合いながらそれを使わない"やさしさ"であったりします。
旧来の「やさしさ」が他人と気持ちを共有する連帯志向の言わば"ホット"なそれであったのに対し、彼らの"やさしさ"は、相手の気持ちに立ち入らず、傷つけないように見守る"ウォーム"な「やさしさ」であると著者は言います。
彼らにとって、一見「やさしそう」な人は「なにかうっとーしく」敬遠したくなるような感じがする人であり、彼らはそうした「無神経な人」を避け、彼らなりの"やさしさ"を理解できる人としか付き合わないが、その関係は必ずしも安定的ではなく、些細なことで関係はこじれる。
その際に相談相手のいない彼らは、"ホット"なイメージのカウンセラーよりも"クール"な印象を持つ精神科医を訪ねることが多いとのことです。
「時代の気分」と言われるまでに"やさしさ"が横溢する世の中の背後に、「相手にウザイ思いをさせたくない」という新しいタイプの「やさしさ」があるという。精神科の面接室からそれを考察するという意味では確かにこれは一種の"病理学"なのかもしれません。
どんなに親しい人の前でも本当の自分は出さないという彼らは、やがて自分とは何かも分からなくなり「自分探し」の旅にはまり込んでいく...。
こうしたスパイラルに対する解決方法を著者が自ら示しているわけではありません(それは正統的なカウンセリング姿勢とも言える)。
紹介された事例には、フィクションの要素も入っていると思われます。
また、軽度のものから完全な分裂症までこの1冊に含まれてしまって、それが良かったのかどうかは疑問です。
それらを考慮しても、現代人の人間関係における価値意識の変化を探るうえでの示唆を含んだ1冊ではあると思いました。
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大平 健 (おおひら・けん)精神科医・聖路加国際病院精神科部長
1949年鹿児島県生まれ。1973年東京大学医学部卒業。著書に『豊かさの精神病理』『やさしさの精神病理』『純愛時代』(以上岩波新書)、『診察室にきた赤ずきん』(早川書房)。近著に『ニコマコス恋愛コミュニケーション』(岩波書店)があり、複雑なこころの問題を柔らかな語り口で解き明かしている。