【334】 △ 糸山 泰造 『新・絶対学力―視考力で子供は伸びる』 (2004/03 文春ネスコ ) ★★★

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「陰山先生」がいいのか「糸山先生」がいいのかと言うよりも...。

新・絶対学力.jpg  『新・絶対学力―視考力で子供は伸びる』 ('04年/文春ネスコ ) 絶対学力.jpg 『絶対学力―「9歳の壁」をどう突破していくか?』 ('03年/文春ネスコ)

 著者は、塾講師に教え方を指導する仕事などをしている人。前著『絶対学力』('03年/文春ネスコ)で、基礎学力とは計算を速くしたり、漢字を暗記することではなく、教育とは人生を楽しむことができる力を育てることだとし、「教科書の音読・漢字の書き取り・計算ドリル」を「お粗末3点セット」と批判したことで話題になりました(この批判が、陰山英男氏の「百ます計算」や「公文式」に向けられているのは明らか)。

 本書ではこの考え方をさらに進め、「イメージ」できれば「考える力を伸ばせる」とし、「視考力」という言葉でそれを言い表しています。具体例として文章問題の解き方などを示していて、なるほど「読み書き計算」の反復練習だけでは、こうした問題を解くための「考える力」はつかないかも、と思いました。

 陰山氏も公文も「生きていく上での基礎的能力」「生きる力」などという言い方をしています。
 結局のところ、親がどの言い分にフィット感を感じるかだけであって、子どもに対しては、単に学習させる方法の違いになるのではという気もします。
 「陰山先生」もこの「糸山先生」も家庭学習の重要性を説いています。
 陰山先生だって「百ます計算」が全てだと言っているわけではないし、糸山先生だって、行き着くところは「ドリル」なのです。
 多くの親は、子どもの得手不得手などを見ながら、両者の良い点を取り入れようとするのではないでしょうか。

 「百ます計算」が悪いとは思いませんが、一つの方法論が絶対視されるのは、何だか気持ち悪い。だから、こうした違った方法論が出てくるのはいいことだと考えます。
 こうした方法論を「生きる力」とともに唱える論者が、一部の親から"教祖"視されるのは、ある程度やむを得ないのかも。
 教師はある程度、冷静でいて欲しいと思います。
 新たな方法論が話題になるたびに、教師に「目からウロコ」と感動されていたのでは、ついていく生徒の方がシンドイ。

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