【308】 × 里中 哲彦 『まともな男になりたい (2006/04 ちくま新書) ★☆

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「ちくま新書」の男性論シリーズの不作ぶりを象徴する本?

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まともな男になりたい』 ちくま新書 〔'06年〕

 著者の言う「まともな男」とは、まじめに仕事し、社会の行く末を案じ、自らの役割と存在価値を顧みる人間のことで、「まとも」を支えるものは、"自己承認と自己証明のための「教養」"と、"狂信にも軽信にも距離を置く「平衡感覚」"であると。
 日本人の道徳や美意識は、こうした「教養」と「平衡感覚」の営為のなかにあったはずなのに、今や「まとも」な人間は稀少となり、「みっともない人たち」ばかりで、廉恥心は忘れ去られ、俗物性が蔓延しているとのこと。

 こうした内容に加え、「小生」という語り口や論語を引いてくるところなどから60歳前後の人が書いているかと思ったりしますが、冒頭にあるように、著者は"惑うことばかり多かりき"40代とのこと。
 フェニミストや経済評論家に対する批判には共感する部分もありましたが、中谷彰宏とか引用するだけ紙の無駄のような気もし、いちいち相手にしなくてもいいじゃん、放っとけば、と言いたくもなります。
 こんなの相手にしておいて、自らも俗物であり、俗物性とどう付き合うかとか言ってるから、世話ないという感じもしました。

 片や、福沢諭吉や福田恆存、エリック・ホッファーを褒め称え、それらの著作から多くを引き、とりわけ勢古浩爾氏に対しては単なる賞賛を超えた心酔ぶりですが、傾倒のあまり、本書自体が氏の著作と内容的にかなり被っている感じがしました。

 「ちくま新書」の男性論(?)シリーズを読むのはこれで5冊目になりますが、評価は"5つ星満点"で次の通り。
 ・小谷野敦 著 『もてない男-恋愛論を超えて』('99年)★★★
 ・勢古浩爾 著 『こういう男になりたい』('00年)★★
 ・諸富祥彦 著 『さみしい男』('02年)★★☆
 ・本田 透 著 『萌える男』('05年)★★★
 ・里中哲彦 著 『まともな男になりたい』('06年)★☆

 大学講師で文芸評論家、洋書輸入会社勤務の市井の批評家、大学助教授でカウンセラー、ライトノベル作家で「オタク」評論家、そして河合塾講師(本書著者)と、まあいろいろな人が書いているなあという感じですが、 『萌える男』を除いては何れも人生論に近い内容で、総じてイマイチでした。

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