【243】 ○ スタンレー・ウォシュバン (目黒真澄:訳) 『乃木大将と日本人 (1980/01 講談社学術文庫) ★★★☆

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乃木大将に身近に接した米国人従軍記者が抱いた畏敬と神秘の感情。

乃木大将と日本人.jpg乃木大将と日本人』講談社学術文庫〔'80年〕Nogi, Maresuke.jpg Nogi, Maresuke (1849-1912)

 日露戦争の際、米国からの従軍記者として乃木大将に身近に接したスタンレー・ウォシュバン(Washburn, Stanley, 1878-1950)による本書は、彼の"人となり"を描くことを主眼としていますが(原題は"Nogi: A Great Man Against A Background Of War"(1913))、乃木という人物を通してみた日本人論にもなっています。

 著者が描くところの乃木将軍は、武士道精神と詩情を、さらには無私赤心の愛国心と部下や周囲(著者ら従軍記者、敵軍の敗将など)への思いやりを持ちあわせた精神性の高い人物で、従軍時に27歳の若さだった著者は、彼を"わが父"と仰ぐほどその魅力に圧倒されたらしいことが、その賞賛づくしの文章からわかります。
 同時に、こうした武士道的美学や理想主義が1人物に具現化され、それが組織を統制し士気を高揚させ、死をも恐れぬ苛烈な軍人集団を形成し、旅順陥落という戦果をもたらしたことに、乃木および日本人に対する畏敬と神秘の感情を抱いているようにも思えます。
 武士道精神というものが今あるかというと否定的にならざるを得ませんが、一方、「この人の下でなら...」というのが日本人にとってかなり強い動機付けになるという精神的風土はまだあるのでは。

坂の上の雲1.jpg 本書を読んで想起されるのが、司馬遼太郎『坂の上の雲』での乃木の徹底した"無能"ぶりの描き方で、乃木ファンのような人たちの中には、司馬遼太郎の方が偏向しているのであり、本書こそ真の乃木の姿を描いているとする人も多いかと思いますが、本書はあくまでも乃木の人物像が中心に描かれていて、司馬遼太郎が『坂の上の雲』(「二〇三高地」の章)でも本書"Nogi"について指摘しているように、その戦略的才能について著者は主題上、意識的に避けているようにも思えます。

 さらに司馬遼太郎は、本書で乃木が、本国参謀本部の立案を実行する道具に過ぎなかったとしているのに対し、相当の裁量権が彼にあったことを指摘しており、個人的にもこの指摘に与したいと考えます。
 確かにオーラを発するような一角の人物ではあったかも知れないけれど、ロシア軍があきれるほどの"死の突撃"の反復を行った乃木を"名将"とするのには抵抗を感じます。
 
 ただし一方で、日露戦争をトータルに眺めると、乃木のおかげで欧米諸国に日本贔屓の心証を与えることが出来、そのため公債が集まり戦争を有利に導いたとする見方も、最近はあるようです(関川夏央『「坂の上の雲」と日本人』('06年/文藝春秋))。 
 それは(乃木自身が意図したことではないが)彼の立ち振る舞いや捕虜に対する紳士的態度が、本書の著者のように外国人記者の間に乃木信者が出るぐらいの人気を呼び、国際世論が日本に傾いたとするものです。ナルホドね。

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